やはりイチローは違いの分かる男だ!まずはこの記事を見てください。
WBC日本代表が練習開始−リーダーのイチロー合流 (サンスポ)
本文の中身はどうでもいい。それよりも写真です。イチローの姿を見ましたか。足元に燦然と輝く黒いソックス、初芝スタイルですよ。神ソックスです。
さすがリーダーです。パリーガーの誇りをかけて戦う男の矜持を見ました。今の日本代表に必要なものが何なのか理解している証拠でしょう。
まさに今、イチローは初芝様の境地に足を踏み入れたのです。イチローは、この日をもってHATSUSHIBAとなりました。つまり我々はイチローが単なる「記録に残る選手」から「ファンの魂を揺さぶる選手」に変貌を遂げゆく瞬間を目の当たりにしたことになります。
イチロー=HATSUSHIBA
そんなはずはないと、人は言うでしょう。しかし、その考え方はあまりにも先入観にとらわれすぎています。
確かに初芝様は小太りだし、足も遅いし、たまに盗塁すると観客から悲鳴が上がるし、打率は3割がやっとだったし、守備はアレだし、自分の左側のゴロは全部ショートに任せるし、かといって右側のフライはあさっての方向に追い出すし、チャンスでゲッツーだし、胴上げキラーです。
しかし5と1を足すと6になります。初芝様とイチローには、野球人としてのもっと根源的な部分で共通点があったんです。日本のメディアやファンはそれをまったく捉えていません。
むしろ先入観のない海外のメディアのほうがイチローの初芝イズムを正確に理解しているといえます。
数年前メジャーにわたったイチローを特集したアメリカのテレビ番組でイチローの顔写真がなぜか初芝様になっていたことがありました。これが良い例です。つまり先入観を持たずに見れば、初芝様とイチローはあまりにも共通点が多かった。そのために間違えた、ということなのでしょう。
それに、初芝様は相手にとって価値のある試合になればなるほど力を発揮する選手だったんです。だから国際試合では無類のパワーを発揮できるはずなのです。シドニー五輪のアジア予選で初芝様が松中らを差し置いて4番に座ったのは、初芝様のこうしたお力が高く評価されたからでしょう。シドニーで金を逃したのは本戦で初芝様をメンバーから外したからです。アテネで金を逃したのも同じ理由です。3度同じ失敗を繰り返すわけには行かない。WBCでこそ神降臨を実現させるべきだ。イチローがそう考えたとしてもまったくおかしくありません。
アジアシリーズを思い出します。開幕前のラジオ番組で、体の痛みから出場辞退を表明した初芝様に対し、サブローは「強制参加です。試合に出られなくてもいいです」とまで言ったのです。プロ野球界は体育会系の精神風土が色濃く残る世界ですから、先輩に対しここまで強い口調で参加を促すのは異例中の異例です。それだけ初芝様の参加を渇望していたのでしょう。
しかし、結局初芝様はアジアシリーズに出場することなく引退。WBC参加も叶わぬ夢となりました。それならば、せめて初芝様の魂だけでも、という思いを込めて、イチローはソックスをたくし上げたのでしょう。かくてイチローは初芝様の魂と共に、日本代表を引っ張ります。
1995年、オリックス悲願の地元胴上げを脅威の打棒で粉砕したマリーンズの象徴初芝様。胴上げを阻止されたオリックスの象徴イチロー。その二人が、今、ひとつに。
「強敵」と書いて、「とも」と読む。漢達のすばらしい友情の一端を垣間見た気がします。
WBC日本代表が練習開始−リーダーのイチロー合流 (サンスポ)
本文の中身はどうでもいい。それよりも写真です。イチローの姿を見ましたか。足元に燦然と輝く黒いソックス、初芝スタイルですよ。神ソックスです。
さすがリーダーです。パリーガーの誇りをかけて戦う男の矜持を見ました。今の日本代表に必要なものが何なのか理解している証拠でしょう。
まさに今、イチローは初芝様の境地に足を踏み入れたのです。イチローは、この日をもってHATSUSHIBAとなりました。つまり我々はイチローが単なる「記録に残る選手」から「ファンの魂を揺さぶる選手」に変貌を遂げゆく瞬間を目の当たりにしたことになります。
イチロー=HATSUSHIBA
そんなはずはないと、人は言うでしょう。しかし、その考え方はあまりにも先入観にとらわれすぎています。
確かに初芝様は小太りだし、足も遅いし、たまに盗塁すると観客から悲鳴が上がるし、打率は3割がやっとだったし、守備はアレだし、自分の左側のゴロは全部ショートに任せるし、かといって右側のフライはあさっての方向に追い出すし、チャンスでゲッツーだし、胴上げキラーです。
しかし5と1を足すと6になります。初芝様とイチローには、野球人としてのもっと根源的な部分で共通点があったんです。日本のメディアやファンはそれをまったく捉えていません。
むしろ先入観のない海外のメディアのほうがイチローの初芝イズムを正確に理解しているといえます。
数年前メジャーにわたったイチローを特集したアメリカのテレビ番組でイチローの顔写真がなぜか初芝様になっていたことがありました。これが良い例です。つまり先入観を持たずに見れば、初芝様とイチローはあまりにも共通点が多かった。そのために間違えた、ということなのでしょう。
それに、初芝様は相手にとって価値のある試合になればなるほど力を発揮する選手だったんです。だから国際試合では無類のパワーを発揮できるはずなのです。シドニー五輪のアジア予選で初芝様が松中らを差し置いて4番に座ったのは、初芝様のこうしたお力が高く評価されたからでしょう。シドニーで金を逃したのは本戦で初芝様をメンバーから外したからです。アテネで金を逃したのも同じ理由です。3度同じ失敗を繰り返すわけには行かない。WBCでこそ神降臨を実現させるべきだ。イチローがそう考えたとしてもまったくおかしくありません。
アジアシリーズを思い出します。開幕前のラジオ番組で、体の痛みから出場辞退を表明した初芝様に対し、サブローは「強制参加です。試合に出られなくてもいいです」とまで言ったのです。プロ野球界は体育会系の精神風土が色濃く残る世界ですから、先輩に対しここまで強い口調で参加を促すのは異例中の異例です。それだけ初芝様の参加を渇望していたのでしょう。
しかし、結局初芝様はアジアシリーズに出場することなく引退。WBC参加も叶わぬ夢となりました。それならば、せめて初芝様の魂だけでも、という思いを込めて、イチローはソックスをたくし上げたのでしょう。かくてイチローは初芝様の魂と共に、日本代表を引っ張ります。
1995年、オリックス悲願の地元胴上げを脅威の打棒で粉砕したマリーンズの象徴初芝様。胴上げを阻止されたオリックスの象徴イチロー。その二人が、今、ひとつに。
「強敵」と書いて、「とも」と読む。漢達のすばらしい友情の一端を垣間見た気がします。
イチローと初つぁんがひとつになった(えっ!?)といったところでしょうか。