10月17日。
あれから1年です。
思えば去年の今頃はマリーンズが優勝しちゃったりなんかして大変なことになっていたんですよね。
あのプレーオフ、私は3戦、4戦、5戦と福岡ヤフードームで観戦しました。そのときのことをちょっと思い出してみましょうか。
あれから1年です。
思えば去年の今頃はマリーンズが優勝しちゃったりなんかして大変なことになっていたんですよね。
あのプレーオフ、私は3戦、4戦、5戦と福岡ヤフードームで観戦しました。そのときのことをちょっと思い出してみましょうか。
2005年10月15日 土曜日
マリーンズが勝てば31年ぶりの優勝が決まるこの日。朝9時に福岡入りした私と友人の2名は、たまたま鳥栖で行われていたサガン鳥栖対ザスパ草津の試合を後半途中まで観戦し、意気揚々と福岡ドームに乗り込んだのでした。我々が座ったのは3塁側の内野指定席。ホークスファンにまぎれてマリーンズファンがちらほら。ホークスファン8のマリーンズファン2、といった感じでしたね。終盤までマリーンズのペースだったため、ホークスファンのテンションは比較的大人しめだったと思います。そう、9回裏に、アレが始まるまでは。
コバマサッシュ ナナナナイッ!!!
こっこれはっ!違うよ母さん! いっ岩本恭生とイジリー岡田のファンなんだよっ!
当時中学生だった私の言い訳は置いといてですね、9回裏です。
4対0。マリーンズ4点リード。勝ったと思いましたね。もう半泣きでしたね。まさか負けるなんて思いませんでしたね。ええ。
それが一変したのはコバマサがカブレラに1球目を投じてからでした。ストライクが入らない。明らかにいつもと違う。カブレラに四球を与え、代打大道の怪しげなピッチャーゴロがコバマサの悪送球を誘いピンチを広げた時点で楽勝ムードが消し飛びました。対照的に意気消沈していたホークスファンは俄然ヒートアップしていきます。女性ファンが多いからでしょうか。低音よりも高音の方が目立つ大歓声。それがドームの屋根に反射して我々めがけて降ってくる。まるで高波が襲い掛かってくるかのような圧力でした。あれだけ頭と腹に来る歓声は聞いたことがありません。少し気分が悪くなるほどでした。
そして、流れが決定的となったのは1点を失ったあと、川崎のヒットで今江が走塁妨害を取られたシーン。3塁ランナーのホームインを認めるか認めないかで審判の判断が覆ったのです。一度ホームインしたランナーが戻され4対1のまま。怒ったホークスファンがメガホンやトイレットペーパーをグラウンドに投げ込んで試合が中断するという異常事態になりました。これでコバマサは完全に緊張の糸が切れてしまったのだと思います。
あとは皆さんご存知の通り。ホークスファンの殺気がこもった大歓声が鳴り響く中、敬遠やら押し出しやらであっという間に同点。延長となってしまいました。
ポカーン。
開いた口がふさがらない。文字通りそのままの状態です。一体何が起こったんだと。
マサを責めるとか、そんな余裕は無く、ただただ呆然とするのみでした。
結局試合はサヨナラ負け。負けが決まった瞬間我々は喜びに沸くホークスファンをかき分け、逃げるようにドームを抜け出しました。
地下鉄唐人町駅までの道のりをものすごい早足で歩いた記憶があります。電車に乗ってもお互い無言。だって口を開けば溜息しか出てこないんですから。地下鉄を降り、福岡駅で友人と別れました。
「明日出勤だよ。こんなん見せられて東京帰らなきゃいけないのかよ!」
友人は悲痛な叫びを残し、福岡の街に消えていきました。
31年という時の重みは、やはり大変なものだったのですね。あの福岡ドームの異常な状況の中、正気を保ち続けることはおそらく誰も出来なかっただろうと思います。
2005年10月16日 日曜日
5戦目のチケットまで持っている私はちょいと平戸方面まで傷心旅行に出かけまして、4時ごろに昨日とは別の友人とドームの前で合流しました。試合についてはズレータ一人にやられましたね。これでホークス逆王手となったわけですが、この試合マリーンズのコバヒロが踏ん張ったおかげで中継ぎを温存できたというのは大きかった。福岡はすでにホークス優勝確実!というムードでしたが、マリーンズ伝統の胴上げ阻止パワーがあればなんとかなるかもしれないな。むしろ何とかしてください!と念じながら眠りにつきました。
2005年10月17日 月曜日
プレーオフのチケットを買ったのは発売日の夕方。すでに3,4戦目は内野指定以外売り切れていましたが、第5戦はレフト外野指定が残っていました。もともと友人と見るはずが友人の仕事の関係でキャンセル。そこで山口県在住の大学の後輩を招集しました。急な呼び出しにもかかわらず会社を早退して来てくれた後輩には感謝しています。
この日は志賀島方面に傷心旅行。博多港行きの船上からヤフードームを眺めて気合を入れ、夕方後輩と合流してヤフードーム入りしました。私が持っていたチケットはセンターバックスクリーン近辺のホークスファンのゾーンだったのですが、ホークスファンと2回ほどチケットを交換した結果、レフトポールよりのマリーンズファンが集結する一角になんとか陣取ることが出来ました。こうした席替えはいろんなところで行われていたようで、試合前は「どちらが勝っても恨みっこなし」という和やかなムードでしたね。2連勝でホークスファンに余裕があったからなのかもしれませんが。
さて、私自身まさか5戦目までもつれるとは予想していませんでした。したがって火曜日の休暇を取っていません。そこでレフトスタンドから課長に電話しました。
「課長すみません。昨日ロッテ負けたんで今日も試合なんですよ。だから明日休ませて下さい」
ダメ社員全開です。一応5戦目までもつれたら火曜日も休む許可はもらったんですけどね。水曜出勤して席が無かったら困るので一応電話しておきました。
試合はマリーンズが序盤で4併殺を喫するなどホークスのペース。リードを奪われて半分あきらめモードのまま後半戦に突入しました。
風向きが変わったのは垣内のヒットから。まったく期待してなかっただけに「あれあれ?」となりましたね。そして早坂のファインプレーがピンチを救い、運命の8回表を迎えます。
8回表 マリーンズの攻撃 2番 早坂に代わりまして 初芝 バッターは 初芝 背番号6 埼玉県富士見市出身
バレンタイン監督が賭けに出た!
あとが無いマリーンズはここで神降臨を決断。逆転への最終兵器が降臨されました。当然レフトのマリーンズファンはヒートアップしていきます。
はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつしばっ!はっつ・・・あああぁぁぁ〜〜・・・うぉおおっ!?・・・うぁあああああああああああなんだこりゃああああ奇跡じゃああああ!
初芝様の放ったショートゴロを捕球しようとした川崎とバティスタが交錯、結果内野安打となります。このゴッドヒットで俄然勢いづいたマリーンズは福浦のヒット、里崎のフェンス直撃ツーベースで逆転。レフトのファンは皆抱き合って喜びを爆発させました。
そして9回裏。3戦目と同じく、マウンドにはコバマサが登りました。ツアー組みは皆肩を組んでコバマサを見守ります。ちょっと離れたところにいた私は方こそ組みませんでしたが、それこそ祈るような気持ちで立っていました。レフト前段のホークスファンは総立ち。隣の人の話が聞こえないぐらいの大歓声がドームにこだまします。私はホークスファンの声援が途切れる一瞬の隙を狙い、「マサー!がんばれー!」と叫び続けました。ホークスファン一色に見えるけども、俺たちだってここにいるんだということをコバマサに伝えたかったのです。大村を歩かせたときは焦りましたが、なんとか後続を断ち試合終了。ウイニングボールが井上純のグラブに収まり、マリーンズ31年ぶりの優勝が決まりました。私は泣きながらカメラのシャッターを切りました。嬉し泣きは人生初めてでしたね。ほかにも泣いている人は多かったと思います。最後はレフトスタンドのマリーンズファンみんなで喜びを分かち合い、球場を後にしました。
翌朝、後輩は朝一の新幹線で山口に帰りそのまま出社。私も朝一の飛行機で東京に戻りました。飛行機で西日本スポーツとニッカンしか読めなかった私は、品川駅の売店でスポニチとサンスポとデイリーとトーチューと報知を購入。両手に新聞の束を抱えて売店に背を向けたところで、同じく新聞を買いに来たマリーンズファンと目が合いました。彼はすれ違いざまニヤリと笑みを浮かべ、私もニヤリと笑い返しました。言葉は交わしませんでしたけど、思いは同じでした。
と、言うわけで去年の思い出です。書いているうちになんだか悔しくなってきました。
来年こそは、プレーオフに、日本シリーズに行きましょう。
マリーンズが勝てば31年ぶりの優勝が決まるこの日。朝9時に福岡入りした私と友人の2名は、たまたま鳥栖で行われていたサガン鳥栖対ザスパ草津の試合を後半途中まで観戦し、意気揚々と福岡ドームに乗り込んだのでした。我々が座ったのは3塁側の内野指定席。ホークスファンにまぎれてマリーンズファンがちらほら。ホークスファン8のマリーンズファン2、といった感じでしたね。終盤までマリーンズのペースだったため、ホークスファンのテンションは比較的大人しめだったと思います。そう、9回裏に、アレが始まるまでは。
コバマサッシュ ナナナナイッ!!!
こっこれはっ!違うよ母さん! いっ岩本恭生とイジリー岡田のファンなんだよっ!
当時中学生だった私の言い訳は置いといてですね、9回裏です。
4対0。マリーンズ4点リード。勝ったと思いましたね。もう半泣きでしたね。まさか負けるなんて思いませんでしたね。ええ。
それが一変したのはコバマサがカブレラに1球目を投じてからでした。ストライクが入らない。明らかにいつもと違う。カブレラに四球を与え、代打大道の怪しげなピッチャーゴロがコバマサの悪送球を誘いピンチを広げた時点で楽勝ムードが消し飛びました。対照的に意気消沈していたホークスファンは俄然ヒートアップしていきます。女性ファンが多いからでしょうか。低音よりも高音の方が目立つ大歓声。それがドームの屋根に反射して我々めがけて降ってくる。まるで高波が襲い掛かってくるかのような圧力でした。あれだけ頭と腹に来る歓声は聞いたことがありません。少し気分が悪くなるほどでした。
そして、流れが決定的となったのは1点を失ったあと、川崎のヒットで今江が走塁妨害を取られたシーン。3塁ランナーのホームインを認めるか認めないかで審判の判断が覆ったのです。一度ホームインしたランナーが戻され4対1のまま。怒ったホークスファンがメガホンやトイレットペーパーをグラウンドに投げ込んで試合が中断するという異常事態になりました。これでコバマサは完全に緊張の糸が切れてしまったのだと思います。
あとは皆さんご存知の通り。ホークスファンの殺気がこもった大歓声が鳴り響く中、敬遠やら押し出しやらであっという間に同点。延長となってしまいました。
ポカーン。
開いた口がふさがらない。文字通りそのままの状態です。一体何が起こったんだと。
マサを責めるとか、そんな余裕は無く、ただただ呆然とするのみでした。
結局試合はサヨナラ負け。負けが決まった瞬間我々は喜びに沸くホークスファンをかき分け、逃げるようにドームを抜け出しました。
地下鉄唐人町駅までの道のりをものすごい早足で歩いた記憶があります。電車に乗ってもお互い無言。だって口を開けば溜息しか出てこないんですから。地下鉄を降り、福岡駅で友人と別れました。
「明日出勤だよ。こんなん見せられて東京帰らなきゃいけないのかよ!」
友人は悲痛な叫びを残し、福岡の街に消えていきました。
31年という時の重みは、やはり大変なものだったのですね。あの福岡ドームの異常な状況の中、正気を保ち続けることはおそらく誰も出来なかっただろうと思います。
2005年10月16日 日曜日
5戦目のチケットまで持っている私はちょいと平戸方面まで傷心旅行に出かけまして、4時ごろに昨日とは別の友人とドームの前で合流しました。試合についてはズレータ一人にやられましたね。これでホークス逆王手となったわけですが、この試合マリーンズのコバヒロが踏ん張ったおかげで中継ぎを温存できたというのは大きかった。福岡はすでにホークス優勝確実!というムードでしたが、マリーンズ伝統の胴上げ阻止パワーがあればなんとかなるかもしれないな。むしろ何とかしてください!と念じながら眠りにつきました。
2005年10月17日 月曜日
プレーオフのチケットを買ったのは発売日の夕方。すでに3,4戦目は内野指定以外売り切れていましたが、第5戦はレフト外野指定が残っていました。もともと友人と見るはずが友人の仕事の関係でキャンセル。そこで山口県在住の大学の後輩を招集しました。急な呼び出しにもかかわらず会社を早退して来てくれた後輩には感謝しています。
この日は志賀島方面に傷心旅行。博多港行きの船上からヤフードームを眺めて気合を入れ、夕方後輩と合流してヤフードーム入りしました。私が持っていたチケットはセンターバックスクリーン近辺のホークスファンのゾーンだったのですが、ホークスファンと2回ほどチケットを交換した結果、レフトポールよりのマリーンズファンが集結する一角になんとか陣取ることが出来ました。こうした席替えはいろんなところで行われていたようで、試合前は「どちらが勝っても恨みっこなし」という和やかなムードでしたね。2連勝でホークスファンに余裕があったからなのかもしれませんが。
さて、私自身まさか5戦目までもつれるとは予想していませんでした。したがって火曜日の休暇を取っていません。そこでレフトスタンドから課長に電話しました。
「課長すみません。昨日ロッテ負けたんで今日も試合なんですよ。だから明日休ませて下さい」
ダメ社員全開です。一応5戦目までもつれたら火曜日も休む許可はもらったんですけどね。水曜出勤して席が無かったら困るので一応電話しておきました。
試合はマリーンズが序盤で4併殺を喫するなどホークスのペース。リードを奪われて半分あきらめモードのまま後半戦に突入しました。
風向きが変わったのは垣内のヒットから。まったく期待してなかっただけに「あれあれ?」となりましたね。そして早坂のファインプレーがピンチを救い、運命の8回表を迎えます。
8回表 マリーンズの攻撃 2番 早坂に代わりまして 初芝 バッターは 初芝 背番号6 埼玉県富士見市出身
バレンタイン監督が賭けに出た!
あとが無いマリーンズはここで神降臨を決断。逆転への最終兵器が降臨されました。当然レフトのマリーンズファンはヒートアップしていきます。
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初芝様の放ったショートゴロを捕球しようとした川崎とバティスタが交錯、結果内野安打となります。このゴッドヒットで俄然勢いづいたマリーンズは福浦のヒット、里崎のフェンス直撃ツーベースで逆転。レフトのファンは皆抱き合って喜びを爆発させました。
そして9回裏。3戦目と同じく、マウンドにはコバマサが登りました。ツアー組みは皆肩を組んでコバマサを見守ります。ちょっと離れたところにいた私は方こそ組みませんでしたが、それこそ祈るような気持ちで立っていました。レフト前段のホークスファンは総立ち。隣の人の話が聞こえないぐらいの大歓声がドームにこだまします。私はホークスファンの声援が途切れる一瞬の隙を狙い、「マサー!がんばれー!」と叫び続けました。ホークスファン一色に見えるけども、俺たちだってここにいるんだということをコバマサに伝えたかったのです。大村を歩かせたときは焦りましたが、なんとか後続を断ち試合終了。ウイニングボールが井上純のグラブに収まり、マリーンズ31年ぶりの優勝が決まりました。私は泣きながらカメラのシャッターを切りました。嬉し泣きは人生初めてでしたね。ほかにも泣いている人は多かったと思います。最後はレフトスタンドのマリーンズファンみんなで喜びを分かち合い、球場を後にしました。
翌朝、後輩は朝一の新幹線で山口に帰りそのまま出社。私も朝一の飛行機で東京に戻りました。飛行機で西日本スポーツとニッカンしか読めなかった私は、品川駅の売店でスポニチとサンスポとデイリーとトーチューと報知を購入。両手に新聞の束を抱えて売店に背を向けたところで、同じく新聞を買いに来たマリーンズファンと目が合いました。彼はすれ違いざまニヤリと笑みを浮かべ、私もニヤリと笑い返しました。言葉は交わしませんでしたけど、思いは同じでした。
と、言うわけで去年の思い出です。書いているうちになんだか悔しくなってきました。
来年こそは、プレーオフに、日本シリーズに行きましょう。
なんだかなぁ。
ハツシバパワーだったら、今頃もう…