薮田

薮田のカンザスシティー・ロイヤルズ入りが正式に決まりました。

薮田、ロ軍と2年6億6千万円で契約 (スポニチ)

マリーンズじゃ1年3億の大金は出せませんし、金銭面で引き止めるつもりははじめからなかったのでしょう。あっさり決まりました。
日ハムから晴れてメジャーの監督になったヒルマンの推薦もあるのでしょう。薮田にとっても日本時代を知る監督がいるのはずいぶん心強いはずです。
薮田は果たしてメジャーで通用するかって?
するに決まってます。あのミラーが防御率3点台をマークしてしまうリーグですよ。来シーズンの活躍は間違いありません。


それにしても、あの薮田がメジャー。
あの、薮田がですよ。望まれてメジャーリーグへ移籍する。

5年前なら誰も信じないでしょう。冗談のネタとして思いつくレベルすら超えています。きっと5年前のファンに薮田メジャー行きの話をしたら、ほぼ間違いなく、「お前頭でも狂ったのか」と言われるに違いありません。

下克上。

薮田メジャー行きのニュースを知ってまず思い浮かべたのがこの言葉です。
弱小不人気球団の万年先発候補から一躍日本を代表するセットアッパーへ、そして大金を積まれてアメリカへ。
薮田の歩みは、マリーンズの歩みにダブります。

95年ドラフト2位で新日鐵広畑から入団。
2年目で5勝を挙げ規定投球回に達しましたが、その後は散々でした。
先発ローテ候補と期待されながら5勝の壁を敗れません。序盤はまあまあでも、2巡目あたりから打ち込まれて負ける日々。
ピンチを招くたびに怯えた表情を浮かべる薮田を、ファンは「チキンハート」と揶揄しました。
2002年の登板はわずか2試合。山本マリーンズ最終年となった2003年は17試合に登板したものの防御率5.90です。
いつものように序盤でKOされる薮田に対し、山本監督からきつい一言が浴びせられました。

「自分で自分の首を絞めている。何年ピッチャーやってんだ。序盤の5回は最少失点でいってもらわないと困る。来年生き残ろうと思う人は消化試合なんてない」

そして2003年のシーズン終盤。
薮田が先発として久々の勝利を挙げた試合を、今でもはっきりと覚えています。
いつもは5回持たない薮田が2失点ながら終盤になっても好投を続け、「あれあれ?今日の薮田はおかしいぞ?」と思っていたら初芝様のタイムリーなどもあって大勝。試合後のヒーローインタビューでアナウンサーはこう言いました。
「今日は7回1/3を投げて2失点。自己最長イニングですね」
それを聞いた私は衝撃を受けました。
「薮田、お前8年も先発やってて8回まで投げたこと無かったのか・・・」
(実際は96年に1回、97年に4回、98年に2回完投しています)

マリンからの帰り道、「これで薮田は首がつながったな」と思ったものです。
2003年までの薮田は弱小不人気球団で出ると打たれを繰り返す、それこそロッテ以外ならとっくにクビになってもおかしくない選手でした。

転機は2004年。バレンタイン監督との出会いが薮田を変えました。
4月中旬から中継ぎに転向。別人のように球が速くなり、好投を重ねました。
それにつれ、薮田に対するファンの評価も少しずつ変わっていきました。

「負けている場面では好投するんですけどねぇ」
       ↓
「リードしてる割に冷静ですねぇ」
       ↓
「薮田最高!薮田は神!」

あとは皆さんご存知の通りです。2004年はオリンピック期間中コバマサの代理守護神を務め、2005年には優勝の立役者となり、そして2006年のWBCではあのA・ロッドから三振を奪い一躍スターダムへ。そして2007年は38ホールドを記録し初のタイトルである最優秀中継ぎ投手を受賞するまでになりました。

2008年、薮田は活躍の場をアメリカに移します。
大丈夫。薮田はもう、チキンじゃない。
薮田の実力を全米に見せつけてほしい。薮田ならやれます。
いつの日かアメリカ人の記憶の中に、日本人メジャーリーガー薮田安彦の名が刻み込まれることでしょう。

薮田、今までありがとう。そしてさようなら。
願わくばずっとマリンで見ていたかったけど、それはもう言いません。
メジャーに羽ばたく薮田安彦に、栄光あれ。

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