10月1日、マリーンズは浅間敬太選手(24)、三島輝史選手(22)、木興拓哉選手(22)、末永仁志選手(21)、田中良平選手(25)、柳田将利選手(21)の6選手に戦力外通告を行いました。

若い投手ばかりで驚きました。柳田は9月に野手転向していますが、特に試合に出ることも無く戦力外。もはや小野やコバヒロのようにじっくりと育成する時代ではなくなってしまったのでしょうか。厳しい世界です。

今日からは惜別球人企画として、一人一人のプロフィールや写真などを載せていきたいと思います。

まず一人目は浅間です。

浅間

■ 浅間の年度別成績

  試合 防御率
2003 2 0 0 0 1 0 27.00
E19 2 3 0 57 2/3 46 5.46
2004 E24 6 10 0 122 97 4.57
2005 E22 4 3 1 84 2/3 49 2.66
2006 登坂なし
2007 E24 2 3 0 50 29 6.12
2008 E5 0 0 0 2 0 27.00

2002年ドラフト3位。左投げ。地元千葉市出身の選手で、自らもマリーンズファンを公言していました。いわば相思相愛の形で敬愛学園からプロ入りしたわけです。

1年目の2003年月に早くも1軍昇格。7月19日のダイエー戦で初登板を果たし、7月23日の近鉄戦ではプロの先発としてマウンドに登りました。
しかし、1回表、いきなり打者二人を四球で歩かせると、3番のローズにスリーランホームランを打たれてしまいます。結局この試合は1アウトしか取れずに降板、プロの洗礼を浴びてしまいました。その後2軍に落ちてしまったものの、地元出身の期待の若手、しかも左ということで将来を期待される選手だったのです。

2004年は1軍登坂こそありませんでしたが、2軍では先発ローテに定着しチーム唯一の規定投球回に到達、2005年も先発ローテに定着し防御率2点台をマーク。ここまでは順調に育っていました。

しかし、そんな浅間を悲劇が襲います。2006年に浅間は左ひじを故障。1軍はおろか2軍でも登坂できず1年を棒に振ります。
2007年にようやく復帰した浅間はサイドスローに転向。しかしストレートは130キロそこそこで制球も悪いとあって成績を残せませんでした。
そして背水の年となった2008年。唐川、大嶺といった後輩が1軍デビューを果たす一方で、浅間はフォームを固めようともがいていました。荘コーチや柳沼ブルペン捕手から熱心に指導を受ける浅間。しかしそんな浅間をまたしても悲劇が襲います。

3月14日オープン戦の試合中に、浅間はピッチャー返しの打球が左手中指に当たり骨折。開幕直前に全治2ヶ月の重傷を負い、スタートから出遅れてしまったのです。
6月に戦列復帰、7月から2軍戦に登板するものの、やはり骨折の影響は大きく5試合に投げて2回6失点、防御率27.00と散々な成績に終わってしまい、戦力外通告を受けました。

報道では現役続行を希望とありましたが、浅間本人のブログにはこのように書かれていました。

やはり開幕前に左の中指を骨折したのが致命的でしたね!
周りの人やこのブログには痛みもないとか、違和感もないと言ってましたが…

新聞などには『現役続行希望』と書かれていましたが今のところ受ける予定はありません!

コメントとかを見ているとトライアウト受けてとか、続けてほしいとか、辞めないでとか言っていただいてますが、正直今俺が投げてるボールとこの現状では厳しいのは確かなんで、みなさん俺の気持ちをわかってください!!


気持ちが切れてしまったのか・・・。
地元期待の左腕は、若くしてマリーンズを去ることになりました。残念ですが、第二の人生の成功を祈ります。


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それでは浅間の写真です。



2007年 西武第2球場にて
2007年西武第二球場にて

守備練習をする浅間
2008年 守備練習をする浅間

浅間1

浅間2

浅間3

浅間4

浅間5

浅間6

浅間7

浅間8
2008年3月11日。骨折直前の投球フォーム