
四国一周旅行の2日目は、高松から松山に向かいます。
人気blogランキング
9月21日 日曜日
早朝朝6:40。高松駅近くのホテルを出た私は高松琴平電鉄の高松築港駅に向かいました。
高松琴平電鉄は高松市の中心部から放射状に琴平線、長尾線、志度線の3路線を持つ中小私鉄です。乗客は多く、地元にしっかり根付いしているように見えましたが、実は2001年に民事再生法の適用を申請、倒産するまでに追い込まれていました。
転落の契機はそごうの経営破たんです。その余波を受けて瓦町駅の「コトデンそごう」が民事再生法の適用を申請。そして「コトデンそごう」に多額の債務保証を行っていた高松琴平電鉄も経営難に陥り、事実上の倒産となりました。その後加ト吉や香川日産グループなどの地元企業の支援を受けて経営再建に着手。トイレの改善や「IruCa」というICカードの導入、冷房の無い車両の淘汰などサービスの向上に取り組んだ結果、経営は徐々に改善し、2006年には民事再生計画が完了。晴れて倒産の危機を免れたのでした。現在は高松市の郊外路線として昼間でも15〜20分間隔という高頻度で電車を走らせています。
今回乗車するのは長尾線と志度線。高松市内からJR高徳線を南北に挟むようにして東へと延びています。それぞれ往復してもよいのですが、同じ景色を見ても面白くありませんし、何よりも時間の無駄です。
そこで二つの終着駅をつなぐバス路線がないか探してみたら、さぬき市のコミュニティバスを見つけました。1日4本しかない不便な路線です。しかし時刻表を見ると長尾線の終点長尾駅近くのバス停、「大川バス本社前」からわずか4分の接続で志度線の終点志度駅方面行のバスが出ています。これはラッキー。そこで、このバスに合わせてスケジュールを組んだ私は朝食抜きの強行スケジュールを組んだのでした。

高松築港駅からJR高松駅から歩いて5分弱。玉藻城に面してこじんまりと立っています。(写真は夏に撮影)
初めて駅に来た人はきっと驚くでしょう。高松琴平電鉄の駅の自動改札には、切符を入れる穴がないのです。見ると「切符をお持ちの方は有人改札をお通りください」との注意書きがありました。前述の通り高松琴平電鉄では数年前にIruCaというICカードが導入され、ほとんどの客はカードを改札にタッチして入場しています。ワンマン運転をしない代わりにすべての無人駅に簡易式のIruCaを設置し、降りた客がタッチをしたか乗務員がチェックするという、運賃の取りっぱぐれを防ぐ仕組みです。自動券売機はもちろん、乗車中に車掌に頼んでもカードにチャージしてもらえるので便利ですね。そんなわけで、よそ者以外はほとんどの客がIruCaを使っていました。

高松築港駅を6:50に出た2両編成の電車は田んぼと家が混じる讃岐平野をのんびりと走り、終点の長尾駅に7:26に到着。駅を出ると目の前の道の先にバス会社の建物が見えていました。

バス会社の敷地に入ると7:30発のバスが発車を待っていました。乗客は数人ほど。運転手は建物の中で時間を潰していたらしく、発車時刻を過ぎてからのんびりと現れました。
約3分遅れで発車したバスは田園地帯を北上し、やがてJR高徳線のオレンジタウン駅に着きました。ここからは高徳線に並行して志度駅を目指します。しかしオレンジタウン駅はニュータウンの駅でありながら人の気配がまったくありません。列車が行ったばかりだからでしょうか。乗り降りのないままオレンジタウン駅のロータリーを出て再び県道3号線を北上、しばらくすると志度の街並みに入り、ほぼ定刻の7:55にJR志度駅前の広いロータリーに着きました。

琴電志度線志度駅はJRの駅から歩いて数分の所にありました。駅舎は古いですが、綺麗に掃除され、トイレが新しくなっています。ホームに出るとすぐに8:06発の瓦町行きの電車が入ってきました。

志度線はほぼ全線がJR高徳線と並行します。高徳線より駅の数も本数も多いため、乗車率が良いようです。海沿いを走ったかと思えば住宅地に分け入り、駅に着くたび客が乗ってきます。休日の朝でも席が埋まり、終点に近づくにつれ立ち客も出てきました。
8:39に終点の瓦町に到着。かつては高松築港まで直通していましたが、瓦町駅の立替えの際に線路が分断され、志度線のホームから高松方面へはコンコースの動く歩道を数分ほど歩いて乗り換える必要があります。
瓦町では10分ほど電車を待ち、終点の高松築港駅には9時前に着きました。

さて、まだ朝ご飯を食べていません。せっかく高松にいるのですからうどんを食べるべきです。昨日も食べましたが、今日は高松駅のうどん屋、「連絡船うどん」で朝ごはんです。
連絡船うどんは、その名の通りかつて宇野と高松を結んでいた宇高連絡船の船内で売られていたうどんを再現しています。四国の人たちはこのうどんを食べることで「四国に帰ってきた」と実感したのだとか。そんな四国人の郷愁が詰まったうどんはやはりおいしいです。いわゆる讃岐うどんの名店からはワンランク落ちるのかもしれませんが、それでも駅のうどん屋さんのレベルではありません。大盛りのうどんを食べて満足した私は、高松発9:38の松山行き特急いしづち9号に乗りました。
いしづち9号は途中の宇多津駅で岡山からやってきたしおかぜ5号を後ろにつなぎます。そのまま乗っていてもよかったのですが、私は一度電車を降りました。なぜならいしづち5号にグリーン車が連結されていないからです。しおかぜ5号の最後尾に連結されたグリーン車に乗るべく、私はホームの一番後ろまでてくてく歩きました。

長い編成になった松山行きの特急は快調に飛ばします。ところがしばらく行くうちに外は大雨となりました。ネットの運行情報によると九州地方で列車の遅れが発生しているとか。今日もまた余裕のないスケジュールですから、雨で電車が遅れると今後の予定が狂います。これ以上降ってくれるなと、祈るような気持ちで暗い空を見つめました。
今治を過ぎると造船所の大きなクレーンが見え、やがて松山市内に入ります。そしてしおかぜ5号は荒天をものともせずに定刻の12:11に松山駅に到着。ここで12:24発宇和島行きの特急宇和海9号に乗り換えです。宇和海9号はしおかぜ5号が到着した同じホームの先に止まっており、最後尾から歩いたらすぐに発車時間となりました。

予讃線は松山の先の向原で二手に分かれます。もともと海沿いを走っていたのですが、台風などの被害でよく不通となるために山奥をトンネルでぶち抜く短絡線の建設が進められ、開通後はすべての特急列車が山側の新線を経由するようになりました。この宇和海9号も100キロを越える猛スピードで新線を駆け抜けます。トンネルの連続で、景色はあまり見えません。内子からは線名が内子線に変わります。かつての赤字ローカル線も予讃線の短絡線に組み込まれてからは路盤の改良が行われ、幹線並の設備になっています。やがて海沿いの旧線と合流し、12:58に伊予大洲駅に着きました。
このまま行けば宇和島ですが、今日は伊予大洲から旧線経由で松山に引き返します。幸い10分の接続で旧線経由の松山行があり、すでに隣のホームで発車を待っていました。
伊予大洲を発車した1両編成のディーゼルカーは海沿いをのんびり走ります。天気がよければ九州が見えるのでしょうが、残念ながら雨のため何も見えません。

14:16に伊予市駅に到着。ここからは伊予鉄道の乗り潰しです。
伊予鉄道は松山市を中心に3本の路線を持つほか、松山市内を走る路面電車、多くのバス路線を持つ、歴史ある鉄道会社です。ICカードの導入など様々なサービス向上策を積極的に行った結果、地方都市にありながらも近年乗客数が上昇傾向にあります。
今回まず乗るのは郡中線。JRの伊予市駅を出ると道路の反対側に伊予鉄道郡中線の始発駅、郡中駅がありました。今度の発車は14:29です。

しばらくすると松山市駅行きの電車が入ってきました。元京王電鉄の見慣れた電車です。電車は郊外の家並みの中を走り、14:53に松山市駅に着きました。次に乗るのは高浜線と横河原線、松山市駅を起点にそれぞれ東西に延びています。直通運転をしているので、まず高浜に向かい、そこから引き返すことにしました。
高浜線は松山市中心部とその郊外を結ぶだけでなく、高浜港や松山観光港といった海の玄関口を結ぶ路線です。松山市駅を出ると有名な路面電車との平面交差を通過、その後住宅地の中の駅をこまめに止まりながら走ります。やがて開眼に出ると、梅津寺パークというとても小さな遊園地の脇を通ります。日曜の午後なのに誰もいません。臨時休園でしょうか。その後もしばらく海沿いを進み、15:21に終点の高浜に着きました。

高浜駅は大正時代に建てられた歴史ある駅舎です。かつて本州や九州方面への船が出ていた高浜港の小さなフェリーの桟橋が目の前にあります。現在高浜港は瀬戸内海の島々を結ぶフェリーの乗り場となっており、本州、四国方面への船は高浜駅から600メートルほど歩いた松山観光港から出ています。
15:28発の折り返しの横河原行き電車に乗って高浜線を引き返し、松山市駅からそのまま横河原線に入ります。住宅地の中を走り16:21に横河原駅に到着。ここもまた歴史のありそうな古い駅でした。

横河原から松山市駅まで引き返し、路面電車に乗ります。もう5時を回っていますが、全部乗り潰してから道後温泉に向かう予定です。

路面電車は市内を一周する環状線と、JR松山駅・伊予鉄松山市駅と道後温泉を結ぶ系統がメインですが、道後温泉〜西堀端〜本町六丁目という2つの駅を経由しない系統があるおかげで路線図がややこしくなっています。色々考えた末、まず松山市駅から環状線の古町方面に乗り、道後温泉に向かう路線と合流する上一万から本町六丁目まで引き返し、そこから道後温泉に向かうことにしました。

路面電車といってもすべて道路の上を走るのではなく、環状線の東半分である宮田町〜上一万は普通の線路を走り、扱いもいわゆる路面電車である「軌道」ではなく、「鉄道」となっています。単線ですが10分間隔で運転されており、駅で頻繁にすれ違います。

上一万から本町六丁目まで引き返し、道後温泉行きの乗り場に向かいます。環状線のホームは普通の線路ですが、本町線の道後温泉行き乗り場は道路上にあります。時刻表を見るとなんと次の電車は20分後。本町六丁目〜西堀端間は本数が非常に少ないのです。「30分おきの路面電車なんて意味あるのか・・・」とつぶやきながら電車を待っている間、路線バスが何台も通り過ぎていきました。

ようやくやってきた道後温泉行きに乗り込み、18:30に道後温泉駅に到着。いよいよ本日のメインイベント、道後温泉です。
洒落た駅舎を出ると、お神輿や観光ボランティアによる出し物などがありにぎやかです。雑踏を通り抜けて商店街を行くと、道後温泉本館が見えてきました。

共同浴場とは思えない、まるで和風旅館のような立派な建物です。明治時代に立てられた歴史ある建物で、国の重要文化財にも指定されています。宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルとなったことでもよく知られています。夕闇に浮かび上がるシルエットにはなんとも言いがたい風情がありました。

風呂に入る客は正面の切符売り場で目的の切符を買うことになっています。
料金は4種類。道後温泉本館には大きめの「神の湯」と小さ目の「霊の湯」という二つの浴場があります。また風呂上りには広間で休憩することができ、その場合割増料金を取られます。一番安いのは神の湯に入るだけの400円、神の湯+2階大広間で休憩が800円、霊の湯+2階広間で休憩が1,200円、霊の湯+3階個室で休憩が1500円です。せっかくなので広間でゆっくりするとしましょう。しかし、日曜ということもあり大変な混雑で、広間で休憩する場合はしばらく待たされるようです。切符売り場のおばちゃんに名前を言えば後で呼んでくれるとのことでしたので、しばらく正面で待つことにしました。正面の広場には観光客があふれ、観光客用の人力車の兄さんが客引きをしています。
20分ほど待ってようやく名前が呼ばれました。切符を購入し、2階の広間に上がりました。広間の窓側のスペースに荷物を置いていよいよ入浴であります。まず霊の湯。休憩室である広間の定員で人数を制限しているため空いています。思う存分道後の湯を堪能した後、今度は神の湯に行ってみました。お湯は同じですが、「坊ちゃん泳ぐべからず」と書かれた木札を見たかったのです。この木札は夏目漱石の『坊ちゃん』の主人公が湯船で泳いだら後日注意の札が貼られたという小説の一場面にちなんだものです。いいお湯ですが、霊の湯と違って神の湯は芋を洗うような混雑です。有名な木札を拝んで早々に退散しました。

風呂から上がり広間に戻ると、お茶と煎餅がサービスされます。名物坊ちゃん団子は1本60円(だったと思います)。小さな団子が串に3つ刺さっていました。
浴衣を着て、お茶を飲みながら縁側で夜風に当たる。風流です。しばらく涼んで汗が引いたので、又新殿(ゆうしんでん)という皇室専用の浴室を、職員のおばちゃんの案内にしたがって見学しました。各ホテルにお湯が引かれてからは50年ほど使われていないらしいのですが、最高級の庵治石を使った浴槽は小さくともゴージャスで、もったいない限りです。最後に3階の一番奥にある、夏目漱石ゆかりの資料が展示された「坊ちゃんの間」をの見学しました。この小さな和室で明治の文豪達が風呂上りにお茶を飲みつつ文学談義に花を咲かせていたのでしょう。結局道後温泉には1時間以上滞在し、道後温泉駅から路面電車に乗ったのは8時過ぎでした。松山の歓楽街は松山市駅から少し離れた大街道という場所にありますが、眠いのでそこは素通りし、松山駅のカレー屋で夕食を食べ、そのままホテルに戻って寝ました。明日は5時起きです。
道後温泉本館の案内はこちら
道後温泉本館探検帳(施設案内)
早朝朝6:40。高松駅近くのホテルを出た私は高松琴平電鉄の高松築港駅に向かいました。
高松琴平電鉄は高松市の中心部から放射状に琴平線、長尾線、志度線の3路線を持つ中小私鉄です。乗客は多く、地元にしっかり根付いしているように見えましたが、実は2001年に民事再生法の適用を申請、倒産するまでに追い込まれていました。
転落の契機はそごうの経営破たんです。その余波を受けて瓦町駅の「コトデンそごう」が民事再生法の適用を申請。そして「コトデンそごう」に多額の債務保証を行っていた高松琴平電鉄も経営難に陥り、事実上の倒産となりました。その後加ト吉や香川日産グループなどの地元企業の支援を受けて経営再建に着手。トイレの改善や「IruCa」というICカードの導入、冷房の無い車両の淘汰などサービスの向上に取り組んだ結果、経営は徐々に改善し、2006年には民事再生計画が完了。晴れて倒産の危機を免れたのでした。現在は高松市の郊外路線として昼間でも15〜20分間隔という高頻度で電車を走らせています。
今回乗車するのは長尾線と志度線。高松市内からJR高徳線を南北に挟むようにして東へと延びています。それぞれ往復してもよいのですが、同じ景色を見ても面白くありませんし、何よりも時間の無駄です。
そこで二つの終着駅をつなぐバス路線がないか探してみたら、さぬき市のコミュニティバスを見つけました。1日4本しかない不便な路線です。しかし時刻表を見ると長尾線の終点長尾駅近くのバス停、「大川バス本社前」からわずか4分の接続で志度線の終点志度駅方面行のバスが出ています。これはラッキー。そこで、このバスに合わせてスケジュールを組んだ私は朝食抜きの強行スケジュールを組んだのでした。

高松築港駅からJR高松駅から歩いて5分弱。玉藻城に面してこじんまりと立っています。(写真は夏に撮影)
初めて駅に来た人はきっと驚くでしょう。高松琴平電鉄の駅の自動改札には、切符を入れる穴がないのです。見ると「切符をお持ちの方は有人改札をお通りください」との注意書きがありました。前述の通り高松琴平電鉄では数年前にIruCaというICカードが導入され、ほとんどの客はカードを改札にタッチして入場しています。ワンマン運転をしない代わりにすべての無人駅に簡易式のIruCaを設置し、降りた客がタッチをしたか乗務員がチェックするという、運賃の取りっぱぐれを防ぐ仕組みです。自動券売機はもちろん、乗車中に車掌に頼んでもカードにチャージしてもらえるので便利ですね。そんなわけで、よそ者以外はほとんどの客がIruCaを使っていました。

高松築港駅を6:50に出た2両編成の電車は田んぼと家が混じる讃岐平野をのんびりと走り、終点の長尾駅に7:26に到着。駅を出ると目の前の道の先にバス会社の建物が見えていました。

バス会社の敷地に入ると7:30発のバスが発車を待っていました。乗客は数人ほど。運転手は建物の中で時間を潰していたらしく、発車時刻を過ぎてからのんびりと現れました。
約3分遅れで発車したバスは田園地帯を北上し、やがてJR高徳線のオレンジタウン駅に着きました。ここからは高徳線に並行して志度駅を目指します。しかしオレンジタウン駅はニュータウンの駅でありながら人の気配がまったくありません。列車が行ったばかりだからでしょうか。乗り降りのないままオレンジタウン駅のロータリーを出て再び県道3号線を北上、しばらくすると志度の街並みに入り、ほぼ定刻の7:55にJR志度駅前の広いロータリーに着きました。

琴電志度線志度駅はJRの駅から歩いて数分の所にありました。駅舎は古いですが、綺麗に掃除され、トイレが新しくなっています。ホームに出るとすぐに8:06発の瓦町行きの電車が入ってきました。

志度線はほぼ全線がJR高徳線と並行します。高徳線より駅の数も本数も多いため、乗車率が良いようです。海沿いを走ったかと思えば住宅地に分け入り、駅に着くたび客が乗ってきます。休日の朝でも席が埋まり、終点に近づくにつれ立ち客も出てきました。
8:39に終点の瓦町に到着。かつては高松築港まで直通していましたが、瓦町駅の立替えの際に線路が分断され、志度線のホームから高松方面へはコンコースの動く歩道を数分ほど歩いて乗り換える必要があります。
瓦町では10分ほど電車を待ち、終点の高松築港駅には9時前に着きました。

さて、まだ朝ご飯を食べていません。せっかく高松にいるのですからうどんを食べるべきです。昨日も食べましたが、今日は高松駅のうどん屋、「連絡船うどん」で朝ごはんです。
連絡船うどんは、その名の通りかつて宇野と高松を結んでいた宇高連絡船の船内で売られていたうどんを再現しています。四国の人たちはこのうどんを食べることで「四国に帰ってきた」と実感したのだとか。そんな四国人の郷愁が詰まったうどんはやはりおいしいです。いわゆる讃岐うどんの名店からはワンランク落ちるのかもしれませんが、それでも駅のうどん屋さんのレベルではありません。大盛りのうどんを食べて満足した私は、高松発9:38の松山行き特急いしづち9号に乗りました。
いしづち9号は途中の宇多津駅で岡山からやってきたしおかぜ5号を後ろにつなぎます。そのまま乗っていてもよかったのですが、私は一度電車を降りました。なぜならいしづち5号にグリーン車が連結されていないからです。しおかぜ5号の最後尾に連結されたグリーン車に乗るべく、私はホームの一番後ろまでてくてく歩きました。

長い編成になった松山行きの特急は快調に飛ばします。ところがしばらく行くうちに外は大雨となりました。ネットの運行情報によると九州地方で列車の遅れが発生しているとか。今日もまた余裕のないスケジュールですから、雨で電車が遅れると今後の予定が狂います。これ以上降ってくれるなと、祈るような気持ちで暗い空を見つめました。
今治を過ぎると造船所の大きなクレーンが見え、やがて松山市内に入ります。そしてしおかぜ5号は荒天をものともせずに定刻の12:11に松山駅に到着。ここで12:24発宇和島行きの特急宇和海9号に乗り換えです。宇和海9号はしおかぜ5号が到着した同じホームの先に止まっており、最後尾から歩いたらすぐに発車時間となりました。

予讃線は松山の先の向原で二手に分かれます。もともと海沿いを走っていたのですが、台風などの被害でよく不通となるために山奥をトンネルでぶち抜く短絡線の建設が進められ、開通後はすべての特急列車が山側の新線を経由するようになりました。この宇和海9号も100キロを越える猛スピードで新線を駆け抜けます。トンネルの連続で、景色はあまり見えません。内子からは線名が内子線に変わります。かつての赤字ローカル線も予讃線の短絡線に組み込まれてからは路盤の改良が行われ、幹線並の設備になっています。やがて海沿いの旧線と合流し、12:58に伊予大洲駅に着きました。
このまま行けば宇和島ですが、今日は伊予大洲から旧線経由で松山に引き返します。幸い10分の接続で旧線経由の松山行があり、すでに隣のホームで発車を待っていました。
伊予大洲を発車した1両編成のディーゼルカーは海沿いをのんびり走ります。天気がよければ九州が見えるのでしょうが、残念ながら雨のため何も見えません。

14:16に伊予市駅に到着。ここからは伊予鉄道の乗り潰しです。
伊予鉄道は松山市を中心に3本の路線を持つほか、松山市内を走る路面電車、多くのバス路線を持つ、歴史ある鉄道会社です。ICカードの導入など様々なサービス向上策を積極的に行った結果、地方都市にありながらも近年乗客数が上昇傾向にあります。
今回まず乗るのは郡中線。JRの伊予市駅を出ると道路の反対側に伊予鉄道郡中線の始発駅、郡中駅がありました。今度の発車は14:29です。

しばらくすると松山市駅行きの電車が入ってきました。元京王電鉄の見慣れた電車です。電車は郊外の家並みの中を走り、14:53に松山市駅に着きました。次に乗るのは高浜線と横河原線、松山市駅を起点にそれぞれ東西に延びています。直通運転をしているので、まず高浜に向かい、そこから引き返すことにしました。
高浜線は松山市中心部とその郊外を結ぶだけでなく、高浜港や松山観光港といった海の玄関口を結ぶ路線です。松山市駅を出ると有名な路面電車との平面交差を通過、その後住宅地の中の駅をこまめに止まりながら走ります。やがて開眼に出ると、梅津寺パークというとても小さな遊園地の脇を通ります。日曜の午後なのに誰もいません。臨時休園でしょうか。その後もしばらく海沿いを進み、15:21に終点の高浜に着きました。

高浜駅は大正時代に建てられた歴史ある駅舎です。かつて本州や九州方面への船が出ていた高浜港の小さなフェリーの桟橋が目の前にあります。現在高浜港は瀬戸内海の島々を結ぶフェリーの乗り場となっており、本州、四国方面への船は高浜駅から600メートルほど歩いた松山観光港から出ています。
15:28発の折り返しの横河原行き電車に乗って高浜線を引き返し、松山市駅からそのまま横河原線に入ります。住宅地の中を走り16:21に横河原駅に到着。ここもまた歴史のありそうな古い駅でした。

横河原から松山市駅まで引き返し、路面電車に乗ります。もう5時を回っていますが、全部乗り潰してから道後温泉に向かう予定です。

路面電車は市内を一周する環状線と、JR松山駅・伊予鉄松山市駅と道後温泉を結ぶ系統がメインですが、道後温泉〜西堀端〜本町六丁目という2つの駅を経由しない系統があるおかげで路線図がややこしくなっています。色々考えた末、まず松山市駅から環状線の古町方面に乗り、道後温泉に向かう路線と合流する上一万から本町六丁目まで引き返し、そこから道後温泉に向かうことにしました。

路面電車といってもすべて道路の上を走るのではなく、環状線の東半分である宮田町〜上一万は普通の線路を走り、扱いもいわゆる路面電車である「軌道」ではなく、「鉄道」となっています。単線ですが10分間隔で運転されており、駅で頻繁にすれ違います。

上一万から本町六丁目まで引き返し、道後温泉行きの乗り場に向かいます。環状線のホームは普通の線路ですが、本町線の道後温泉行き乗り場は道路上にあります。時刻表を見るとなんと次の電車は20分後。本町六丁目〜西堀端間は本数が非常に少ないのです。「30分おきの路面電車なんて意味あるのか・・・」とつぶやきながら電車を待っている間、路線バスが何台も通り過ぎていきました。

ようやくやってきた道後温泉行きに乗り込み、18:30に道後温泉駅に到着。いよいよ本日のメインイベント、道後温泉です。
洒落た駅舎を出ると、お神輿や観光ボランティアによる出し物などがありにぎやかです。雑踏を通り抜けて商店街を行くと、道後温泉本館が見えてきました。

共同浴場とは思えない、まるで和風旅館のような立派な建物です。明治時代に立てられた歴史ある建物で、国の重要文化財にも指定されています。宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルとなったことでもよく知られています。夕闇に浮かび上がるシルエットにはなんとも言いがたい風情がありました。

風呂に入る客は正面の切符売り場で目的の切符を買うことになっています。
料金は4種類。道後温泉本館には大きめの「神の湯」と小さ目の「霊の湯」という二つの浴場があります。また風呂上りには広間で休憩することができ、その場合割増料金を取られます。一番安いのは神の湯に入るだけの400円、神の湯+2階大広間で休憩が800円、霊の湯+2階広間で休憩が1,200円、霊の湯+3階個室で休憩が1500円です。せっかくなので広間でゆっくりするとしましょう。しかし、日曜ということもあり大変な混雑で、広間で休憩する場合はしばらく待たされるようです。切符売り場のおばちゃんに名前を言えば後で呼んでくれるとのことでしたので、しばらく正面で待つことにしました。正面の広場には観光客があふれ、観光客用の人力車の兄さんが客引きをしています。
20分ほど待ってようやく名前が呼ばれました。切符を購入し、2階の広間に上がりました。広間の窓側のスペースに荷物を置いていよいよ入浴であります。まず霊の湯。休憩室である広間の定員で人数を制限しているため空いています。思う存分道後の湯を堪能した後、今度は神の湯に行ってみました。お湯は同じですが、「坊ちゃん泳ぐべからず」と書かれた木札を見たかったのです。この木札は夏目漱石の『坊ちゃん』の主人公が湯船で泳いだら後日注意の札が貼られたという小説の一場面にちなんだものです。いいお湯ですが、霊の湯と違って神の湯は芋を洗うような混雑です。有名な木札を拝んで早々に退散しました。

風呂から上がり広間に戻ると、お茶と煎餅がサービスされます。名物坊ちゃん団子は1本60円(だったと思います)。小さな団子が串に3つ刺さっていました。
浴衣を着て、お茶を飲みながら縁側で夜風に当たる。風流です。しばらく涼んで汗が引いたので、又新殿(ゆうしんでん)という皇室専用の浴室を、職員のおばちゃんの案内にしたがって見学しました。各ホテルにお湯が引かれてからは50年ほど使われていないらしいのですが、最高級の庵治石を使った浴槽は小さくともゴージャスで、もったいない限りです。最後に3階の一番奥にある、夏目漱石ゆかりの資料が展示された「坊ちゃんの間」をの見学しました。この小さな和室で明治の文豪達が風呂上りにお茶を飲みつつ文学談義に花を咲かせていたのでしょう。結局道後温泉には1時間以上滞在し、道後温泉駅から路面電車に乗ったのは8時過ぎでした。松山の歓楽街は松山市駅から少し離れた大街道という場所にありますが、眠いのでそこは素通りし、松山駅のカレー屋で夕食を食べ、そのままホテルに戻って寝ました。明日は5時起きです。
道後温泉本館の案内はこちら
道後温泉本館探検帳(施設案内)



