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トルコ旅行記の第5回です。

2010年9月21日。
世界遺産のトロイ遺跡を見学します。つまらないと評判ですが・・・。



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5.世界遺産のトロイ遺跡を見学


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9月21日13時。トロイの木馬の物語で知られる世界遺産、トロイ遺跡に到着。
バスを降りてチケットを渡され、イヤホンガイドを装着します。ガイドさんが説明をピンマイクに向かってしゃべると音声を無線で拾ってくれる優れもので、ガイドさんから離れていても説明を聞くことができます。わざわざ一箇所に固まらなくても歩きながら説明できるので、時間短縮にもなります。ただガイドさんに言わせると「街中で歩きながら説明していると、独り言を言っている危ない人に見られる」というのが悩みだとのこと。

トロイ遺跡はイリオス遺跡とも言われ、紀元前3000年ごろからローマ時代の500年ごろまで栄えた街の遺跡です。現在確認されているのは古い順に第1市から第9市までの9層で、火災や地震、戦災などで崩壊するたびに同じ場所で再建されたため、古い都市の遺構の上に新しい都市の遺構が複雑に重なっています。

トロイ遺跡といえばトロイア戦争。そしてギリシャ神話を題材としたホメロスの叙事詩イーリアスです。

今から3000年以上前。ギリシャ神話の時代。
古代ギリシャの軍勢がイリオスに攻め込むことで起きたトロイア戦争は10年の長きにわたって続きました。
戦況がこう着状態に陥っていたある日、ギリシャは一計を案じました。巨大な木馬を建造し中に軍勢を潜ませた上で、本隊は一度撤退したのです。
翌朝一人残ったギリシャのシノーンが、「ギリシャ軍は撤退した。この木馬は女神アテナの怒りを鎮めるために作られたもので、これがイリオス城内に運び込まれるとギリシャ側の負け確定と予言されています」とトロイア側を騙し、木馬を城内に引き入れることに成功。トロイア市民が戦勝に浮かれ、宴会に疲れて寝静まった夜に木馬に潜んだギリシャ兵が行動を開始。再びイリオスを取り囲んだギリシャ軍を城内に引き入れて暴れ回り、トロイアはなすすべなく敗北、滅亡したのでした。


ホメロスの叙事詩は。トロイ戦争をこのように伝えます。
この神話に出てくる古代都市イリオスこそが、これから見学するトロイ遺跡だと言われています。

トロイア?イリオス?何それ?という方はwikiの解説をご覧ください。

叙事詩イーリアス
古代都市トロイア(イリオス)
トロイア戦争
シュリーマン


トロイ遺跡を発見したのはシュリーマンです。古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩「イーリアス」を読んで感動したシュリーマンが、叙事詩に登場する古代都市イリオスの実在を信じ、商人として稼いだ巨万の富をつぎ込んで1870年に発掘を開始、その年のうちに都市の遺構を探し当てました。これによりギリシャ神話に登場する都市「イリオス」が決して架空の都市ではなかったことが証明されたのです。

しかし、シュリーマンがトロイア戦争時のイリオスと断定した第2層は、実際にはそれよりも800年以上古い紀元前2000年ごろのものでした、現在は第7層の遺跡がトロイア戦争時代の遺跡とされています。

そしてシュリーマンはトルコの学者からかなり嫌われています。
まず一つ目の理由は彼が考古学の素人だったため、トロイ遺跡の発掘の際に新しい層の遺構や遺物を大量に破壊してしまったからです。これにより第3層、4層、5層の遺構はほとんど残っておらず、その後の考古学者によるトロイ遺跡の発掘作業を困難なものとしました。
2つ目の理由は、彼がトルコ政府との約束を破り、出土品の多くを国外に持ち出してしまったことです。それらは第二次世界大戦中に行方不明となり、一部はその後ロシアにて保管されていることが判明しています。ギリシャ考古学の発展に大きな功績を残したシュリーマンですが、彼の自伝に誇張や嘘が見られることから、考古学者というよりも山師と言ったほうがいいのかもしれません。

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トロイ遺跡の全体図です。

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さて、ゲートをくぐり、トロイ遺跡を見学しましょう。
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古代の水道管などが展示されています。

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ここからがトロイ遺跡です。出土物などが散在しています。

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今から3000年以上前。第6市の城壁と門。

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古代の人たちは、ここを通ってイリオス城内に入っていったのでしょうか。我々も階段を上がっていきます。

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3000年から4000年前の、都市の遺構です。

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高台から見下ろすと、一面の畑が広がっています。数千年前はこの近くまで海岸線が来ており、トロイは交易都市として栄えたのです。

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第6市の城壁などの解説が書いてあります。

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来た道を振り返ってみました。

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高台の向こうにも遺跡が広がっています。

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この高台にアテナ神殿が建っていたそうです。第9市時代のもので、アレキサンダー大王が命じて作らせたのだとか。

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この石の一つ一つが神殿の遺構なのでしょうか。

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神殿の天井に使われた石らしいです。

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第1市の遺構。日干し煉瓦が使われています。5000年も前のものです。

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これも第1市のもの。

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このあたりには屋根がかけられています。

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第1市の住居跡。メガロン式住居跡といわれ、ギリシャ神殿の原型となった建築様式です。

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各時代ごとにローマ数字がついています。これで4000年前の第2市から2000年前の第9市までの、様々な時代の遺構が複雑に重なっている様子が分かります。

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第2市の石畳の坂道。紀元前2500年から2300年前のもの。シュリーマンはこのあたりでトロイ遺跡を発見し、第2市をトロイア戦争時代のトロイと勘違いしてしまいました。

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石垣が高く積みあがっています。

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これはなんでしょう。

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4000年以上前でありながら、技術の高さをうかがわせる石垣です。

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第8市の祭壇。真ん中の井戸のような場所に生け贄を捧げ、祈ったそうです。

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第9市、約2000年前、ローマ時代の小劇場。ここで政治的な演説なども行われたそうです。

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こじんまりとしたつくりです。

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小劇場の上から遺跡を眺めます。

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ローマ時代の大浴場の遺構。

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第6市の南門の遺構。約3500年前のものです。

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当時の想像図。

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その辺に放置されている石に、ギリシャ文字が刻まれています。
我々は40分ほどガイドさんについて遺跡を一通り眺めた後、20分の自由時間となりました。
しばらく遺跡を眺め、外に出ます。

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遺跡の入口にあるトロイの木馬のレプリカ。観光用に設置されています。

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ちょっとした博物館がありました。写真の女性はシュリーマンの愛人だとかで、シュリーマンから送られた出土品を身につけています。他にお土産屋もありましたが、まだ旅は始まったばかりなので買いませんでした。

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ゲートを出て駐車場に向かうと同じ色の観光バスが10台以上並んでいます。どれが自分たちのバスなんだ!
添乗員のOさんが手招きをしているのを見つけ、なんとかバスに乗り込みました。
正直これが世界遺産?と思いましたね。歴史に興味のない方からすれば、確かにつまらないかもしれません。
遺跡の保存状態が悪いのが残念です。シュリーマンが無茶をしていなければ・・・。
でも古代のロマンを感じられるのは間違いありません。私は楽しめました。
14時ちょうど。今日の宿。アイワルクのホテルに向かって出発です。

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