
2009年にJR全線完乗を果たし、その後全国の私鉄やケーブルカーや地下鉄にひたすら乗り続けて約2年。ついに最後の1線となりました。
わたらせ渓谷鐵道 桐生〜間藤 44.1km
今回の目的地は、あの宮脇俊三が国鉄全線完乗を成し遂げた、わたらせ渓谷鐵道の間藤駅です。
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2011年10月10日。
日本国内に唯一残った未乗区間。わたらせ渓谷鉄道に友人と乗りに行きました。
小学校時代に祖母から薦められた『最長片道切符の旅」を読んで宮脇俊三の大ファンになり、以来宮脇俊三の著作はほぼすべて読んでいます。
宮脇ファンにとって間藤駅は聖地とも言える場所。かつて宮脇俊三が国鉄全線完乗を成し遂げた駅です。完乗に至るまでの過程を綴った氏のデビュー作である『時刻表2万キロ』は、国鉄完乗という不毛でマニアックな趣味的活動を紀行文学の域まで高めた名作と言われています。
そんなわけで、ある程度ゴールが見えてきた段階で、最後の路線はわたらせ渓谷鐵道にしようと決めていました。

宇都宮線と両毛線を乗り継いで10時半前に桐生駅に到着。わたらせ渓谷鐵道全線1日乗り放題となるフリー切符を買い、10:36発の列車で間藤駅に向け出発です。

車内は意外と混んでおり、東武線との乗換駅である相老駅で2両編成のディーゼルカーは満席となりました。
ただ、2つ先の大間々駅でかなりの乗客が下車しました。休日に運行されるトロッコ列車に乗り換えるのでしょう。トロッコ列車は前方かぶりつきができないので、私はこのまま間藤を目指します。やはり乗ったことの無い路線は一番前の景色を見たいのですよ。以前宗谷本線の旭川〜稚内間で前方かぶりつきをやったこともあります。

大間々駅で乗務員が代わり、20代前半の新人運転士と、教育係と思しき30台の運転士が乗り込んできました。教育係の運転士は若い運転士に大きな声で矢継ぎ早に指示をとばします。
「はい4ノッチ」
「制限45。カーブを曲がりきったところからスピードを落とせ」
「いいか、この速さが40キロだ。覚えておけ」
「このあたりは気をつけろ。ブレーキをかけても後ろの車両から押されるようになるぞ」
隣で聞いていると、なんだか自分も指導を受けている気分になります。
日本の鉄道の安全はこうして守られるのですね。運転士は覚えることが多いので大変です。

水沼駅に到着。

この駅には温泉があります。帰りに入って祝杯を挙げましょうか。

列車は渡良瀬川に沿って曲がりくねりながら走ります。渓谷鉄道の名にふさわしい車窓になってきました。

今日は晴天に恵まれました。運転席では新人運転士への熱血指導が続いています。

長いトンネルを抜けました。川の水がきれいです。かつて足尾鉱毒事件があった川とは思えません。

石が白いですね。

終点が近づいてきます。取りとめも無いことを色々と考えました。九州の帆柱ケーブルに乗りに行ったら客がカップルばかりだったこと。深夜に名古屋市営地下鉄の乗り潰しをしていたら突然むなしくなったこと。門司港のトロッコ列車に乗り、友人と缶ビールで乾杯したこと。色々なことがありました。

足尾の街並みが見えてきました。かつて足尾銅山で栄えた街です。

足尾駅に到着。列車は2分遅れています。教育係の運転士は「2分なら上出来だよ。ダイヤより安全!」と新人運転士を励ましていました。

なぜかこんな車両が止まっていました。次はいよいよ終点の間藤です。

12:20。列車はゆっくりと間藤駅に進入しました。

間藤駅に到着。無人駅でした。これが最後の駅。
喜びは・・・、あまりありませんでしたね。とにかく、これで終わった、これで乗るべき線がなくなった、という感慨しかありませんでした。

間藤駅の駅名票。
駅周辺は緑に溢れています。かつては足尾銅山の銅の精錬の際に出た亜硫酸ガスが周囲の木々を枯らしてしまい、足尾近辺は禿山だらけだったとのことですが、地元の方々の地道な緑化作業のおかげで、少しずつ山に緑が戻っています。

駅舎の中に入りました。

宮脇俊三の自筆原稿が飾られています。

2003年に亡くなられた際は追悼列車も走ったそうです。

ノートがありました。宮脇ファンがいつも訪れているのでしょう。思いいれたっぷりの、たくさんのコメントが並んでいました。その末尾に自分のコメントを書き込みます。

かつて足尾本山まで続いていた線路はなく、行き止まりになっていました。

折り返しの列車に乗って、間藤駅を後にします。

足尾駅。歴史ある駅舎です。

トロッコ列車がやってきました。

家族連れでにぎわっています。

水沼駅に到着。さあ温泉です。露天風呂もあり、快適な温泉でした。

完乗を祝して乾杯!温泉のあとのビールはなぜこうも美味いのでしょう。
さて、これで日本国内を走るすべての鉄道路線に乗り終えました。今までこのくだらない旅行記にお付き合いいただきありがとうございます。
JR乗車キロ: 19981.8km
私鉄乗車キロ: 7509.4km
合計27491.2km。
実際数字を見ると、馬鹿なことをしたものだと思います。
ともあれ、もう日本に乗るべき線はありません。肩から力が抜けたと言うか、自分のライフワークの一つが終わったと言うか、なにやら複雑な気分です。
宮脇さんの言う「何かが終わり、何かを失った」というほどでもありません。まだ失ったものが良く分かっていないだけかもしれませんが。
ただ、漠然と、次は世界だな、と思っています。
日本国内に唯一残った未乗区間。わたらせ渓谷鉄道に友人と乗りに行きました。
小学校時代に祖母から薦められた『最長片道切符の旅」を読んで宮脇俊三の大ファンになり、以来宮脇俊三の著作はほぼすべて読んでいます。
宮脇ファンにとって間藤駅は聖地とも言える場所。かつて宮脇俊三が国鉄全線完乗を成し遂げた駅です。完乗に至るまでの過程を綴った氏のデビュー作である『時刻表2万キロ』は、国鉄完乗という不毛でマニアックな趣味的活動を紀行文学の域まで高めた名作と言われています。
そんなわけで、ある程度ゴールが見えてきた段階で、最後の路線はわたらせ渓谷鐵道にしようと決めていました。

宇都宮線と両毛線を乗り継いで10時半前に桐生駅に到着。わたらせ渓谷鐵道全線1日乗り放題となるフリー切符を買い、10:36発の列車で間藤駅に向け出発です。

車内は意外と混んでおり、東武線との乗換駅である相老駅で2両編成のディーゼルカーは満席となりました。
ただ、2つ先の大間々駅でかなりの乗客が下車しました。休日に運行されるトロッコ列車に乗り換えるのでしょう。トロッコ列車は前方かぶりつきができないので、私はこのまま間藤を目指します。やはり乗ったことの無い路線は一番前の景色を見たいのですよ。以前宗谷本線の旭川〜稚内間で前方かぶりつきをやったこともあります。

大間々駅で乗務員が代わり、20代前半の新人運転士と、教育係と思しき30台の運転士が乗り込んできました。教育係の運転士は若い運転士に大きな声で矢継ぎ早に指示をとばします。
「はい4ノッチ」
「制限45。カーブを曲がりきったところからスピードを落とせ」
「いいか、この速さが40キロだ。覚えておけ」
「このあたりは気をつけろ。ブレーキをかけても後ろの車両から押されるようになるぞ」
隣で聞いていると、なんだか自分も指導を受けている気分になります。
日本の鉄道の安全はこうして守られるのですね。運転士は覚えることが多いので大変です。

水沼駅に到着。

この駅には温泉があります。帰りに入って祝杯を挙げましょうか。

列車は渡良瀬川に沿って曲がりくねりながら走ります。渓谷鉄道の名にふさわしい車窓になってきました。

今日は晴天に恵まれました。運転席では新人運転士への熱血指導が続いています。

長いトンネルを抜けました。川の水がきれいです。かつて足尾鉱毒事件があった川とは思えません。

石が白いですね。

終点が近づいてきます。取りとめも無いことを色々と考えました。九州の帆柱ケーブルに乗りに行ったら客がカップルばかりだったこと。深夜に名古屋市営地下鉄の乗り潰しをしていたら突然むなしくなったこと。門司港のトロッコ列車に乗り、友人と缶ビールで乾杯したこと。色々なことがありました。

足尾の街並みが見えてきました。かつて足尾銅山で栄えた街です。

足尾駅に到着。列車は2分遅れています。教育係の運転士は「2分なら上出来だよ。ダイヤより安全!」と新人運転士を励ましていました。

なぜかこんな車両が止まっていました。次はいよいよ終点の間藤です。

12:20。列車はゆっくりと間藤駅に進入しました。

間藤駅に到着。無人駅でした。これが最後の駅。
喜びは・・・、あまりありませんでしたね。とにかく、これで終わった、これで乗るべき線がなくなった、という感慨しかありませんでした。

間藤駅の駅名票。
駅周辺は緑に溢れています。かつては足尾銅山の銅の精錬の際に出た亜硫酸ガスが周囲の木々を枯らしてしまい、足尾近辺は禿山だらけだったとのことですが、地元の方々の地道な緑化作業のおかげで、少しずつ山に緑が戻っています。

駅舎の中に入りました。

宮脇俊三の自筆原稿が飾られています。

2003年に亡くなられた際は追悼列車も走ったそうです。

ノートがありました。宮脇ファンがいつも訪れているのでしょう。思いいれたっぷりの、たくさんのコメントが並んでいました。その末尾に自分のコメントを書き込みます。

かつて足尾本山まで続いていた線路はなく、行き止まりになっていました。

折り返しの列車に乗って、間藤駅を後にします。

足尾駅。歴史ある駅舎です。

トロッコ列車がやってきました。

家族連れでにぎわっています。

水沼駅に到着。さあ温泉です。露天風呂もあり、快適な温泉でした。

完乗を祝して乾杯!温泉のあとのビールはなぜこうも美味いのでしょう。
さて、これで日本国内を走るすべての鉄道路線に乗り終えました。今までこのくだらない旅行記にお付き合いいただきありがとうございます。
JR乗車キロ: 19981.8km
私鉄乗車キロ: 7509.4km
合計27491.2km。
実際数字を見ると、馬鹿なことをしたものだと思います。
ともあれ、もう日本に乗るべき線はありません。肩から力が抜けたと言うか、自分のライフワークの一つが終わったと言うか、なにやら複雑な気分です。
宮脇さんの言う「何かが終わり、何かを失った」というほどでもありません。まだ失ったものが良く分かっていないだけかもしれませんが。
ただ、漠然と、次は世界だな、と思っています。
その道には明るくないので快挙の度合いは存じ上げませんが、ともかく大変なことだと推察いたします。
時間が取れて財力が許さないと達成は難しいですよね。
世界を旅行し、ロッテ戦を観戦し、鉄道で全国制覇する。
素晴らしい趣味をお持ちです。
薫友さんの年齢、職業は既に公開されているのですか。
私の中ではまだ年齢不詳、職業不詳で謎ですけれども、
その生き方にいつもロマンを感じています。