
2012年2月3日から3日間天草を観光してきました。
1日目は牛深港から本渡へ。
2日目は午前中に天草ぐるっと周遊バスのAコースに乗り崎津・大浦天主堂を見学、午後は路線バスで天草島の西岸をぐるりと回って富岡港へ。
3日目は天草上島を路線バスで回ります。
2回目の今回は、周遊バスに乗って天草の2つの教会を訪ねます。
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■ 今回のルート
天草ぐるっと周遊バス A天草キリシタン物語コース
アレグリア 8:10 →天草コレジヨ館 11:30離脱
2012年2月4日。昨日は雪がちらつく寒い1日でしたが、今日は晴天に恵まれそうです。
午前中は天草ぐるっと周遊バスのAコースに乗って天草島の南半分を巡って崎津・大江天主堂などを見学します。午後は路線バスを乗り継いで天草の北半分を巡ります。
「天草ぐるっと周遊バス」の案内はこちら。
周遊バスは天草の本渡地区の外れにある高級ホテル「天草アレグリアガーデンズ」から出発します。
私が泊まったホテルの前にあるバスセンターからでも乗れますが、いい席に座りたければやはり始発から乗る必要があります。
そんなわけで、私は「天草アレグリアガーデンズ」に併設された大浴場、「ペルラの湯舟」に行き、海を見ながら朝風呂を浴びることにしました。

時刻は朝7時。バスは無く、1000円払ってタクシーに乗りました。
「ペルラの湯舟」まではタクシーで10分。建物は公営の大浴場かスーパー銭湯の雰囲気です。

ペルラの湯舟には海が見える「海の湯」と海が見えない「森の湯・山の湯」があるのですが、私が行った日は幸運にも海が見える方が男湯でした。外に出て朝日を眺めながら。熱いお湯につかりました。
内湯も広く満足しましたが、ロッカーが有料なのにはびっくりしました。いまどき公営プールも無料なのに・・・。

ホテルの庭を歩き時間をつぶします。雲が出ていますが、予報は晴れです。

そろそろ出発時刻の8時が近づいてきたのでホテルに移動します。南国ムード漂うホテルのロビーでバスを待ちました。

黄色いマイクロバスがやってきました。「天草ぐるっと周遊バスのAコース」のバスで、午前中に天草の2つの教会と2つの博物館を巡ります。わずか500円で、地元のおじいさんによるガイド付きです。
同じコースで路線バスを乗り継ぐと1500円以上かかるので、大変お得です。

今日は土曜日、ホテルと本渡バスセンターから15人程度の客が乗り込みました。
バスは山の中の道を40分ほど走り下田温泉でトイレ休憩。ここから海沿いの景色の良い道を走ります。
車窓には何やら象の形をした岩が見えています。

下田温泉からバスで40分。最初の目的地、大江天主堂が見えてきました。山に囲まれた農村の高台にぽつんと建っています。

大江天主堂はフランス人のガルニエ神父が私財を投じて建設した教会で、昭和8年に完成しました。
ガルニエ神父はフランスのカトリック司祭です。明治25年に来日し、1941年1月に亡くなるまでの49年間、質素な生活を送りながら布教活動に従事しました。
死後信者たちが神父の偉業をたたえ、教会の前に銅像を作りました。

大江教会はロマネスク様式の白い小さな教会でした。
実際に教会の建設を手掛けたのは鉄川与助という人です。九州地方で明治から昭和初期に多くの教会を手掛けましたが、彼自身は仏教徒だったのだそうです。

中は素朴な木造で、天井が高く、マリア像やイエス・キリストの像がありました。ステンドグラスが美しいです。内部の写真撮影は禁止ですので写真はありません。
15分ほどガイドの説明を聞き、外に出ました。

教会の前からの景色です。遠くに入り江が見えます。

教会の近くに吉井勇の歌碑があります。吉井勇は大正、昭和期の歌人・脚本家です。
1907年、与謝野鉄幹、太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇の5人の青年ガルニエ神父に会うためにこの地を訪れ、その模様は「五足の靴」という題名の旅行記として新聞に掲載されました。
ガルニエ神父との対談は彼らに大きな印象を与え、のちに北原白秋は詩集『邪宗門』、木下杢太郎は戯曲『南蛮寺門前』を発表しています。
この「五足の靴」を契機に歴史の彼方に忘れられていた「南蛮文化」や「キリシタン」が日本の重要な文化遺産として再度脚光を浴びることとなり、大正期にかけて日本の文壇に「南蛮趣味」が流行したのだそうです。

教会の近くには「天草ロザリオ館」があります。
ここは「隠れキリシタン」に関する様々な遺物が展示されています。
天草地方は戦国時代末期から江戸時代の初めにかけてキリスト教文化が栄えた土地です。
1566年にポルトガル人の修道士のルイス・デ・アルメイダによって天草にキリスト教が伝わると、地方領主が次々とキリシタンに改修し、やがて天草全土にキリスト教が広まっていきました。
旧河浦町にはコレジヨという神学校も建設され、キリシタン文化の発信地となったのです。
しかし禁教令が発令されキリスト教が弾圧されると、改宗せずに残ったキリシタンたちは地下にもぐり、隠れキリシタンとしてひっそりと信仰を守り続けました。
「天草ロザリオ館」には江戸時代の人別帳や踏絵、祈りの場に使われたマリア観音、信徒たちが密かに祈りを捧げたかくれ部屋など、様々なものが展示されています。
また館内のシアターでは隠れキリシタンや彼らの遺物についての説明を3Dの映像で説明してくれます。
20分ほど見学して外に出ました。入場料320円は別途支払いますが、なかなか面白かったです。

次に向かったのは崎津天主堂。羊角湾に面した小さな漁村に建っています。
陽の光を浴びて輝く小さな漁村の教会。美しい光景です。この光景は「キリシタンの里 崎津」として日本の渚100選に選ばれています。

バスを降り、細い道を歩きます。

ひなびた漁村の道を曲がります。この先に教会があります。

これが崎津教会です。
崎津教会はフランス人のハルプ神父によって昭和9年に建設されました。ハルプ神父もまたハルプ神父は昭和3年に司祭としてこの地に着任して以来、昭和20年に81歳で没するまで教会の建設と布教活動に身を捧げたのでした。
なお、実際に建設を手掛けたのは大江天主堂と同じく鉄川与助です。

青空と十字架です。

大江天主堂と異なりコンクリート製ですが、予算が足りなくなり、建物の半分は木製です。
内部は撮影不可。内装はとても素朴です。大江天主堂は普通の教会と同様椅子席でしたが、崎津天主堂は畳敷きにパイプいすでした。まるでお寺のようです。

教会の脇の店でおばさんが干物を売っていました。

最後に天草コレジヨ館を見学しました。入場料210円が別途必要ですが、館長さん自ら説明してくれます。
コレジヨとは宣教師養成を目的とするカトリックの神学校で、高度な教育が行われていました。
コレジヨは何度か移転していますが、1591〜1597年の約7年間はここ天草の旧河浦町にあり、天正遺欧四少年が持ち帰った日本初のグーテンベルク式金属活字印刷機を使用して「伊曽保物語」や「平家物語」といった29種類の天草本本が出版されました。
この天草コレジヨ館ではグーテンベルク式金属活字印刷機、天草本や遣欧使節団の服装、彼らが持ち帰った楽器、竹製のオルガン、南蛮船模型などが展示されています。
館長さんの説明が大変わかりやすく、勉強になりました。南蛮船の模型も非常に精巧でしたね。なんでもポルトガルから「家一軒買える値段」で取り寄せたのだとか。
20分ほどで見学が終わり、周遊バスは本渡へと戻りますが、私はここで離脱。
バス代が500円、2つの博物館の入場料を入れても合計1000円ちょっとです。
内容は非常に充実していますし、自力で回るよりも効率がいいです。ただ難を言えば見学時間が短く慌ただしいですね。
崎津教会はもうちょっと長く見ていたかったです。午後は天草島の北半分の周遊バスBコースがあり、午前のAコースとハシゴで参加する客もいますからやむを得ないのでしょうが。
時刻は11時半。この後は路線バスに乗ってひたすら景色を眺める予定ですが、目当ての路線バスは13時過ぎとかなり時間があるので、天正遣欧使節団の足跡をたどるビデオを見せてもらいました。私一人で貸切です。
ビデオは約20分。ポルトガルやイタリアに行きたくなったのは言うまでもありません。
次回は路線バスの旅。周遊バスで来た道を逆戻りし、天草島を半周します。
天草ぐるっと周遊バス A天草キリシタン物語コース
アレグリア 8:10 →天草コレジヨ館 11:30離脱
2012年2月4日。昨日は雪がちらつく寒い1日でしたが、今日は晴天に恵まれそうです。
午前中は天草ぐるっと周遊バスのAコースに乗って天草島の南半分を巡って崎津・大江天主堂などを見学します。午後は路線バスを乗り継いで天草の北半分を巡ります。
「天草ぐるっと周遊バス」の案内はこちら。
周遊バスは天草の本渡地区の外れにある高級ホテル「天草アレグリアガーデンズ」から出発します。
私が泊まったホテルの前にあるバスセンターからでも乗れますが、いい席に座りたければやはり始発から乗る必要があります。
そんなわけで、私は「天草アレグリアガーデンズ」に併設された大浴場、「ペルラの湯舟」に行き、海を見ながら朝風呂を浴びることにしました。

時刻は朝7時。バスは無く、1000円払ってタクシーに乗りました。
「ペルラの湯舟」まではタクシーで10分。建物は公営の大浴場かスーパー銭湯の雰囲気です。

ペルラの湯舟には海が見える「海の湯」と海が見えない「森の湯・山の湯」があるのですが、私が行った日は幸運にも海が見える方が男湯でした。外に出て朝日を眺めながら。熱いお湯につかりました。
内湯も広く満足しましたが、ロッカーが有料なのにはびっくりしました。いまどき公営プールも無料なのに・・・。

ホテルの庭を歩き時間をつぶします。雲が出ていますが、予報は晴れです。

そろそろ出発時刻の8時が近づいてきたのでホテルに移動します。南国ムード漂うホテルのロビーでバスを待ちました。

黄色いマイクロバスがやってきました。「天草ぐるっと周遊バスのAコース」のバスで、午前中に天草の2つの教会と2つの博物館を巡ります。わずか500円で、地元のおじいさんによるガイド付きです。
同じコースで路線バスを乗り継ぐと1500円以上かかるので、大変お得です。

今日は土曜日、ホテルと本渡バスセンターから15人程度の客が乗り込みました。
バスは山の中の道を40分ほど走り下田温泉でトイレ休憩。ここから海沿いの景色の良い道を走ります。
車窓には何やら象の形をした岩が見えています。

下田温泉からバスで40分。最初の目的地、大江天主堂が見えてきました。山に囲まれた農村の高台にぽつんと建っています。

大江天主堂はフランス人のガルニエ神父が私財を投じて建設した教会で、昭和8年に完成しました。
ガルニエ神父はフランスのカトリック司祭です。明治25年に来日し、1941年1月に亡くなるまでの49年間、質素な生活を送りながら布教活動に従事しました。
死後信者たちが神父の偉業をたたえ、教会の前に銅像を作りました。

大江教会はロマネスク様式の白い小さな教会でした。
実際に教会の建設を手掛けたのは鉄川与助という人です。九州地方で明治から昭和初期に多くの教会を手掛けましたが、彼自身は仏教徒だったのだそうです。

中は素朴な木造で、天井が高く、マリア像やイエス・キリストの像がありました。ステンドグラスが美しいです。内部の写真撮影は禁止ですので写真はありません。
15分ほどガイドの説明を聞き、外に出ました。

教会の前からの景色です。遠くに入り江が見えます。

教会の近くに吉井勇の歌碑があります。吉井勇は大正、昭和期の歌人・脚本家です。
1907年、与謝野鉄幹、太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇の5人の青年ガルニエ神父に会うためにこの地を訪れ、その模様は「五足の靴」という題名の旅行記として新聞に掲載されました。
ガルニエ神父との対談は彼らに大きな印象を与え、のちに北原白秋は詩集『邪宗門』、木下杢太郎は戯曲『南蛮寺門前』を発表しています。
この「五足の靴」を契機に歴史の彼方に忘れられていた「南蛮文化」や「キリシタン」が日本の重要な文化遺産として再度脚光を浴びることとなり、大正期にかけて日本の文壇に「南蛮趣味」が流行したのだそうです。

教会の近くには「天草ロザリオ館」があります。
ここは「隠れキリシタン」に関する様々な遺物が展示されています。
天草地方は戦国時代末期から江戸時代の初めにかけてキリスト教文化が栄えた土地です。
1566年にポルトガル人の修道士のルイス・デ・アルメイダによって天草にキリスト教が伝わると、地方領主が次々とキリシタンに改修し、やがて天草全土にキリスト教が広まっていきました。
旧河浦町にはコレジヨという神学校も建設され、キリシタン文化の発信地となったのです。
しかし禁教令が発令されキリスト教が弾圧されると、改宗せずに残ったキリシタンたちは地下にもぐり、隠れキリシタンとしてひっそりと信仰を守り続けました。
「天草ロザリオ館」には江戸時代の人別帳や踏絵、祈りの場に使われたマリア観音、信徒たちが密かに祈りを捧げたかくれ部屋など、様々なものが展示されています。
また館内のシアターでは隠れキリシタンや彼らの遺物についての説明を3Dの映像で説明してくれます。
20分ほど見学して外に出ました。入場料320円は別途支払いますが、なかなか面白かったです。

次に向かったのは崎津天主堂。羊角湾に面した小さな漁村に建っています。
陽の光を浴びて輝く小さな漁村の教会。美しい光景です。この光景は「キリシタンの里 崎津」として日本の渚100選に選ばれています。

バスを降り、細い道を歩きます。

ひなびた漁村の道を曲がります。この先に教会があります。

これが崎津教会です。
崎津教会はフランス人のハルプ神父によって昭和9年に建設されました。ハルプ神父もまたハルプ神父は昭和3年に司祭としてこの地に着任して以来、昭和20年に81歳で没するまで教会の建設と布教活動に身を捧げたのでした。
なお、実際に建設を手掛けたのは大江天主堂と同じく鉄川与助です。

青空と十字架です。

大江天主堂と異なりコンクリート製ですが、予算が足りなくなり、建物の半分は木製です。
内部は撮影不可。内装はとても素朴です。大江天主堂は普通の教会と同様椅子席でしたが、崎津天主堂は畳敷きにパイプいすでした。まるでお寺のようです。

教会の脇の店でおばさんが干物を売っていました。

最後に天草コレジヨ館を見学しました。入場料210円が別途必要ですが、館長さん自ら説明してくれます。
コレジヨとは宣教師養成を目的とするカトリックの神学校で、高度な教育が行われていました。
コレジヨは何度か移転していますが、1591〜1597年の約7年間はここ天草の旧河浦町にあり、天正遺欧四少年が持ち帰った日本初のグーテンベルク式金属活字印刷機を使用して「伊曽保物語」や「平家物語」といった29種類の天草本本が出版されました。
この天草コレジヨ館ではグーテンベルク式金属活字印刷機、天草本や遣欧使節団の服装、彼らが持ち帰った楽器、竹製のオルガン、南蛮船模型などが展示されています。
館長さんの説明が大変わかりやすく、勉強になりました。南蛮船の模型も非常に精巧でしたね。なんでもポルトガルから「家一軒買える値段」で取り寄せたのだとか。
20分ほどで見学が終わり、周遊バスは本渡へと戻りますが、私はここで離脱。
バス代が500円、2つの博物館の入場料を入れても合計1000円ちょっとです。
内容は非常に充実していますし、自力で回るよりも効率がいいです。ただ難を言えば見学時間が短く慌ただしいですね。
崎津教会はもうちょっと長く見ていたかったです。午後は天草島の北半分の周遊バスBコースがあり、午前のAコースとハシゴで参加する客もいますからやむを得ないのでしょうが。
時刻は11時半。この後は路線バスに乗ってひたすら景色を眺める予定ですが、目当ての路線バスは13時過ぎとかなり時間があるので、天正遣欧使節団の足跡をたどるビデオを見せてもらいました。私一人で貸切です。
ビデオは約20分。ポルトガルやイタリアに行きたくなったのは言うまでもありません。
次回は路線バスの旅。周遊バスで来た道を逆戻りし、天草島を半周します。
熊本からも距離があるのでなかなか訪問しづらいところですが、なんだか行った気分になりますね。