
ポルトガル旅行記の第21回です。
5日目の9月19日はエヴォラ、リスボンを観光します。
午後は再びリスボン観光。
遅い昼食を食べた後は、トラムに乗って教会を巡ります。
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■ 5日目 2012年9月19日 水曜日

ポルトガル南東部にある世界遺産の街エヴォラからバスに乗ってリスボンに戻ってきました。
セッテリオスのバスターミナルに併設された地下鉄駅から地下鉄に乗ってリスボン中心部に向かいます。
観光の前に昨日の夕方コインランドリーに預けた洗濯物を引き取らなければなりません。

とは言ってもコインランドリーは15時まで昼休みです。まだ14:40ですから昼ご飯を食べましょう。
コインランドリーの近くの大通りの一角にケブラマールという店に入ってみました。。
地球の歩き方にも載っている店で、店先のテラスではデブ親子がうまそうにロブスターを食べていました。

焼き鮭とスープと水を注文。トマトベースのスープでおいしいです。

焼き鮭が大きなお皿に乗せられてやってきました。は塩コショウとオリーブオイルの味付けで、魚はもちろんですが岩塩がおいしいです。野菜やジャガイモの付け合せも量が多く、全部食べたらお腹いっぱいです。これだけ食べて14.3ユーロは安いですね。

私が黙々と食べている横でデブ親子はロブスターを食べ、ワインをガバガバ飲んでいます。あれだけ飲んで酔っ払わないのでしょうか。不思議に思っていると道路から「ガッシャン!」という音が聞こえてきました。車同士の衝突事故です。幸いけが人などはいないらしく、特に騒ぐでもなくレッカー車をのんびり待っています。
ポルトガルの運転マナーは非常に荒く、世界的にも交通事故の多い国として知られています。ですがその割には歩行者優先が徹底しており、道路を横断しようとするとどんなに運転の荒い車でもほぼ100%止まってくれます。信号が無ければ道を渡れない日本とは大違いですね。ここは日本も見習ってほしい点です。

店の前の光景です。街路樹が美しい通りですね。
満腹になった私は15:15に昨日洗濯物を預けたコインランドリーに向かいました。
しかしもうやっているはずなのに鍵がかかっていて入れません。
おかしいと思いつつ店の前をうろうろしていると、向かいの飲食店からおっさんが顔をだして声をかけてきました。
ポルトガル語なのでよくわかりませんが、コインランドリーのおばさんを呼び出してくれるようです。
ほどなくおばさんが手を振りながらこちらにやってきました。無事11ユーロ払って洗濯物を受け取り、礼を言ってホテルに戻りました。

時刻はまもなく16時。さあ、荷物を置いてリスボン観光を始めましょう。

黒いスーツに身を固めた若者がたむろっています。おそらく大学生でしょう。

今日はリスボン東南部のアルファマ地区にある教会を中心にめぐってみましょう。
昨日と同じく28番系統のトラムに乗るためマルティンモニスに向かいました。
途中通ったフィゲイラ広場からはサン・ジョルジェ城が見えます。あちらにも後で行く予定です。

28番系統のトラムに乗ってアルファマ地区へ。
リスボンは1775年に大地震による壊滅的な被害を受けましたが、ここアルファマ地区は幸運にも軽微な被害ですんだため、レコンキスタ以前のイスラム支配の影響を残す不思議な雰囲気の地域となっています。迷路のような狭い路地と見晴らしの良い小さな広場、そして歴史ある教会も多いです。

まずサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会へ行ってみましょう。
教会の前の停留所で降りるつもりだったのですが、案内放送が無いので乗り過ごしてしまいました。
発車してから教会が見えても後の祭りです。次の停留所で降りて、教会まで引き返します。
それにしても狭い道です。こんな道をトラムが10分間隔で走っているのですから驚きです。

教会への坂を登ります。トラムに追い抜かれました。

気を取り直してサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会の前です。
この教会はもともと1147年に修道院として建てられました。当時はリスボンの街の城壁の外にあり、名前にある「デ・フォーラ」とは城壁の外という意味です。
現在の建物は1629年に当時ポルトガル王を兼ねていたスペイン王のフェリペ2世によって再建されたものです。後期ルネサンス様式であるマニエリズムのファサードを持ち、とても優美かつ壮麗です。

中に入ってみましょう。この教会はポルトガル王家であるブラガンサ家の霊廟でもあります。

非常に重厚な作りです。
付属の修道院は博物館になっており、地下の泉や美しいアズレージョを見られるとのことですが、うっかり見学し忘れてしまいました。

続いてサンタ・エングラシア教会に行ってみましょう。サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会の裏手の坂を下り、泥棒市が開かれる広場の脇を通り、右に曲がってさらに坂道を降りた場所に場所に建っています。建

サンタ・エングラシア教会にたどり着きました。
この教会は国立のパンテオン(名士合祀殿)でもあり、ポルトガルの著名な人物が葬られています。
建設が始まったのは1682年ですが、ポルトガル王のジョアン5世が途中で飽きてしまったため建設は中断。なんと未完成のまま20世紀まで放置されてしまい、ようやく完成したのは建設開始から約300年も過ぎた1966年のことでした。このため、ポルトガルでは物事がなかなか終わらないことを「エングラシアのようだ」と言うそうです。

中に入ります。見学は有料ですが、リスボンカードを持っているので無料になりました。

高い天井のドームが印象的です。教会と言うよりも墓所と言った方がいいですね。がらんとした雰囲気です。

階段で2階に上がってみました。

2階には現代美術の展示がありました。

西洋風の屏風ですね。

さらに階段を登ると屋上に出ました。広い屋上には日本人らしき青年が一人、ボーっと景色を眺めています。

私も景色を眺めます。七つの丘の街と言われるだけあり、起伏に富んでいますね。

港には巨大な豪華客船が停泊しています。

反対側。丘の上には建物が密集しています。実にいい景色です。

屋上から階段を下ります。その途中でほぼドームの天井付近から礼拝堂を見下ろすことができます。

床の模様です。

礼拝堂に降りました。見事なパイプオルガンです。

ドームを見上げます。

サンタ・エングラシア教会を出ました。時刻は17時を回っています。
次はリスボンの大聖堂に行ってみましょう。
ですがその前に先ほど通った狭い道を走るトラムを撮影したくなり、ショートカットして撮影ポイントに向かって歩いてみました。ちょっと危険な香りのする道ですが、行きかう人々はとてものんびりしています。

さきほど間違って行きすぎてしまった場所に着きました。

この細い道をトラムがやってきます。

しばらく待っていたらトラムがやってきました。傍から見るとかなりのスピードで、歩道が非常に狭いので怖いです。

トラムが2両連続で通り過ぎていきます。
私は一眼レフで写真を撮りつつ、コンデジで動画を撮影しました。
狭い道なのにかなりのスピードですね。

大聖堂は丘の上です。私は再び28番のトラムに乗りました。途中の展望台に寄ってリスボンの景色を楽しみつつ、大聖堂に向かいましょう。
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ポルトガル南東部にある世界遺産の街エヴォラからバスに乗ってリスボンに戻ってきました。
セッテリオスのバスターミナルに併設された地下鉄駅から地下鉄に乗ってリスボン中心部に向かいます。
観光の前に昨日の夕方コインランドリーに預けた洗濯物を引き取らなければなりません。

とは言ってもコインランドリーは15時まで昼休みです。まだ14:40ですから昼ご飯を食べましょう。
コインランドリーの近くの大通りの一角にケブラマールという店に入ってみました。。
地球の歩き方にも載っている店で、店先のテラスではデブ親子がうまそうにロブスターを食べていました。

焼き鮭とスープと水を注文。トマトベースのスープでおいしいです。

焼き鮭が大きなお皿に乗せられてやってきました。は塩コショウとオリーブオイルの味付けで、魚はもちろんですが岩塩がおいしいです。野菜やジャガイモの付け合せも量が多く、全部食べたらお腹いっぱいです。これだけ食べて14.3ユーロは安いですね。

私が黙々と食べている横でデブ親子はロブスターを食べ、ワインをガバガバ飲んでいます。あれだけ飲んで酔っ払わないのでしょうか。不思議に思っていると道路から「ガッシャン!」という音が聞こえてきました。車同士の衝突事故です。幸いけが人などはいないらしく、特に騒ぐでもなくレッカー車をのんびり待っています。
ポルトガルの運転マナーは非常に荒く、世界的にも交通事故の多い国として知られています。ですがその割には歩行者優先が徹底しており、道路を横断しようとするとどんなに運転の荒い車でもほぼ100%止まってくれます。信号が無ければ道を渡れない日本とは大違いですね。ここは日本も見習ってほしい点です。

店の前の光景です。街路樹が美しい通りですね。
満腹になった私は15:15に昨日洗濯物を預けたコインランドリーに向かいました。
しかしもうやっているはずなのに鍵がかかっていて入れません。
おかしいと思いつつ店の前をうろうろしていると、向かいの飲食店からおっさんが顔をだして声をかけてきました。
ポルトガル語なのでよくわかりませんが、コインランドリーのおばさんを呼び出してくれるようです。
ほどなくおばさんが手を振りながらこちらにやってきました。無事11ユーロ払って洗濯物を受け取り、礼を言ってホテルに戻りました。

時刻はまもなく16時。さあ、荷物を置いてリスボン観光を始めましょう。

黒いスーツに身を固めた若者がたむろっています。おそらく大学生でしょう。

今日はリスボン東南部のアルファマ地区にある教会を中心にめぐってみましょう。
昨日と同じく28番系統のトラムに乗るためマルティンモニスに向かいました。
途中通ったフィゲイラ広場からはサン・ジョルジェ城が見えます。あちらにも後で行く予定です。

28番系統のトラムに乗ってアルファマ地区へ。
リスボンは1775年に大地震による壊滅的な被害を受けましたが、ここアルファマ地区は幸運にも軽微な被害ですんだため、レコンキスタ以前のイスラム支配の影響を残す不思議な雰囲気の地域となっています。迷路のような狭い路地と見晴らしの良い小さな広場、そして歴史ある教会も多いです。

まずサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会へ行ってみましょう。
教会の前の停留所で降りるつもりだったのですが、案内放送が無いので乗り過ごしてしまいました。
発車してから教会が見えても後の祭りです。次の停留所で降りて、教会まで引き返します。
それにしても狭い道です。こんな道をトラムが10分間隔で走っているのですから驚きです。

教会への坂を登ります。トラムに追い抜かれました。

気を取り直してサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会の前です。
この教会はもともと1147年に修道院として建てられました。当時はリスボンの街の城壁の外にあり、名前にある「デ・フォーラ」とは城壁の外という意味です。
現在の建物は1629年に当時ポルトガル王を兼ねていたスペイン王のフェリペ2世によって再建されたものです。後期ルネサンス様式であるマニエリズムのファサードを持ち、とても優美かつ壮麗です。

中に入ってみましょう。この教会はポルトガル王家であるブラガンサ家の霊廟でもあります。

非常に重厚な作りです。
付属の修道院は博物館になっており、地下の泉や美しいアズレージョを見られるとのことですが、うっかり見学し忘れてしまいました。

続いてサンタ・エングラシア教会に行ってみましょう。サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会の裏手の坂を下り、泥棒市が開かれる広場の脇を通り、右に曲がってさらに坂道を降りた場所に場所に建っています。建

サンタ・エングラシア教会にたどり着きました。
この教会は国立のパンテオン(名士合祀殿)でもあり、ポルトガルの著名な人物が葬られています。
建設が始まったのは1682年ですが、ポルトガル王のジョアン5世が途中で飽きてしまったため建設は中断。なんと未完成のまま20世紀まで放置されてしまい、ようやく完成したのは建設開始から約300年も過ぎた1966年のことでした。このため、ポルトガルでは物事がなかなか終わらないことを「エングラシアのようだ」と言うそうです。

中に入ります。見学は有料ですが、リスボンカードを持っているので無料になりました。

高い天井のドームが印象的です。教会と言うよりも墓所と言った方がいいですね。がらんとした雰囲気です。

階段で2階に上がってみました。

2階には現代美術の展示がありました。

西洋風の屏風ですね。

さらに階段を登ると屋上に出ました。広い屋上には日本人らしき青年が一人、ボーっと景色を眺めています。

私も景色を眺めます。七つの丘の街と言われるだけあり、起伏に富んでいますね。

港には巨大な豪華客船が停泊しています。

反対側。丘の上には建物が密集しています。実にいい景色です。

屋上から階段を下ります。その途中でほぼドームの天井付近から礼拝堂を見下ろすことができます。

床の模様です。

礼拝堂に降りました。見事なパイプオルガンです。

ドームを見上げます。

サンタ・エングラシア教会を出ました。時刻は17時を回っています。
次はリスボンの大聖堂に行ってみましょう。
ですがその前に先ほど通った狭い道を走るトラムを撮影したくなり、ショートカットして撮影ポイントに向かって歩いてみました。ちょっと危険な香りのする道ですが、行きかう人々はとてものんびりしています。

さきほど間違って行きすぎてしまった場所に着きました。

この細い道をトラムがやってきます。

しばらく待っていたらトラムがやってきました。傍から見るとかなりのスピードで、歩道が非常に狭いので怖いです。

トラムが2両連続で通り過ぎていきます。
私は一眼レフで写真を撮りつつ、コンデジで動画を撮影しました。
狭い道なのにかなりのスピードですね。

大聖堂は丘の上です。私は再び28番のトラムに乗りました。途中の展望台に寄ってリスボンの景色を楽しみつつ、大聖堂に向かいましょう。
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