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ポルトガル旅行記の第25回です。
6日目の9月20日はリスボンを観光します。
まずはトラムに乗ってべレン地区に向かい、べレンの塔と発見のモニュメントを見学しました。


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■ 6日目 2012年9月20日 木曜日

朝7時に起床。ポルトガル旅行も6日目です。中盤から後半へと差し掛かりました。今日は1日中リスボンを観光し、夜の特急列車に乗ってポルトガル北部の都市ポルトへと移動する予定です。
まずはホテルで朝ご飯を食べました。ハムやおかずなどメニューの種類が少なく、少々貧弱な内容でした。
チェックアウトの際に「オーバーブッキングを知らせるメールに『次に泊まるときはスペシャルプライスにしますよ』、と書かれていたんですが、、今回の宿泊は安くならないんですか?」と聞いてみました。しかし「インターネットの予約サイトを通じて予約済の分はダメです。今後新規でホテルのホームページから直接予約した時に安くしますよ」とのこと。残念です。次回来ることがあるかどうかわかりませんが、とりあえずチェックアウトして荷物を預かってもらいます。夕方荷物を回収して、ポルトへと向かうためです。

ホテルを出た私は地下鉄でカイス・ド・ソドレ駅に向かいました。今日の午前中はカイス・ド・ソドレ駅からトラムに乗ってリスボンの西側にあるベレン地区に向かい、世界遺産に登録されているベレンの塔やジェロニモス修道院を見学。午後はサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台やグラサ展望台からリスボンの景色を眺め、国立古美術館で日本から渡来した南蛮屏風を鑑賞しようと思います。

カイス・ド・ソドレ駅には9時前に到着。トイレに行こうと思ったら配管が詰まったらしく水びだしになっており使えません。ベレンの塔まで我慢するしかなさそうです。
ここで一昨日オビドスとナザレで一緒になった女の子と再び合流しました。彼女は今日の午後の飛行機で帰国するそうで、それまで私と同じくベレン地区の観光をしたいのだそうです。リスボンの治安は悪くないとはいえ、それはパリやバルセロナなど他のヨーロッパの大都市に比べてであって、やはりスリやヒッタクリなどの被害はよく起きています。女の子一人での行動は危険が伴いますから、一緒に行動したいということなのでしょう。

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カイス・ド・ソドレ駅から約40分でベレン地区にやってきました。テージョ川沿いにあり、かつてヴァスコ・ダ・ガマがインド航路の発見をめざし出航した地です。
ベレン地区の川沿いには世界遺産にもなっているベレンの塔やジェロニモス修道院などの大航海時代を代表する建築物があり、山の手には高級住宅地が広がり、アジュダ宮殿や大統領官邸であるベレン宮殿、各国大使館や大使公邸などが集まる文教地区となっています。

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9:40ごろベレンの塔に到着。10時オープンなのでまだ中には入れません。
塔の周りは観光客であふれており、特に中国人が目立ちます。彼らは争うように記念撮影をしています。
近くの博物館の外にトイレがあり、0.5ユーロ取られました。

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塔の前に模型がありました。ベレンの塔は、16世紀にヴァスコ・ダ・ガマの世界一周の偉業を記念してマヌエル1世の命により建設されました。
長らくテージョ川の船の出入りを監視する要塞としての役目を果たし、現在は世界遺産としてリスボン観光の目玉の一つとなっています。

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10:00、一番乗りで入館。リスボンカードが使えるので入場料はかかりません。

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中に入りました。1階部分はかつての要塞の雰囲気を残しており、やや殺風景です。地下1階は政治犯を収容した水牢でした。

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テージョ川を向いた大砲です。水面と同じ高さにあり、かつてはここから敵の船を砲撃したのでしょう。

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1階からベレンの塔を見上げます。マヌエル様式の美しい装飾が印象的ですね。

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階段が狭く混雑しているので、最初に一番上まで登ってしまうことにしました。ベレンの塔の屋上です。

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遠くには「発見のモニュメント」が見えています。

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雄大なテージョ川を見下ろします。海と言ってもそん色ないほど広いです。

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山の手方向。カスカイスに向かう電車が通り抜けていきました。

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ベレンの塔の3階から5階までは王族の居室だったそうで、内装も格調高いです。

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2階のテラスを見下ろします。

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大きな橋が見えています。今日も良く晴れました。

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バルコニーから。柱の装飾が洒落ています。

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美しい装飾のバルコニーからテージョ川を眺め、大航海時代の栄華に思いを馳せました。

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2階のテラスに降りてきました。ベレンの塔の外は観光客でごった返していましたから、さぞかし塔の中も混み合うかと思ったのですが、実際はそれほど混み合っておらず、階段の上り下りもスムーズです。団体客のほとんどはベレンの塔を外から眺めるだけで、中に入らないのかもしれません。

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ベレンの塔外観。装飾こそ凝っていますが、かつて砦としての役割を果たしていたためか、無駄のないフォルムです。

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30分ほど見学して外に出ました。次は同じく海沿いにある「発見のモニュメント」を目指します。海沿いにはヨットハーバーや高級そうなホテルがありました。

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これはなんでしょう。無料の運動器具?

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「発見のモニュメント」の目の前にやってきました。エンリケ航海王子没後500年の記念行事として1960年に造られたモニュメントです。
高さ52メートル。カラベル船の船首に似せたデザインで、エンリケ航海王子を先頭に30人の探検家・芸術家・科学者・宣教師らの像が並んでいます。
過去の栄光へのロマンを掻き立てるモニュメントであり、リスボンの写真では必ず出てくる観光スポットの一つとなっています。

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発見のモニュメントの西側にはエンリケ航海王子の弟であるフェルナンド聖王子を先頭に、騎士や航海士、冒険者たちの像が並んでいます。いずれも大航海時代を彩った偉人たちです。

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発見のモニュメントは展望台になっており、エレベーターで屋上に登ることができます。
リスボンカードによる割引で2ユーロでした。発見の塔の北側は剣の形をしており、剣の下に出入り口があります。

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屋上からの景色です。先ほど見学したベレンの塔が見えています。

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テージョ川から大西洋を望みます。

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ベレン地区の山の手。

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まるで宮殿のようなジェロニモス修道院。

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ここも世界遺産です。

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10分ほどで下に降りてきました。塔の上からの景色であればベレンの塔からも眺められますから、ジェロニモス修道院を正面から見下ろせること以外に登るメリットは無さそうです。

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発見のモニュメントの東側。西側とは違う人物の像が並んでいます。

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先頭は大航海時代の幕開けを告げたエンリケ航海王子の像です。

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後ろから2番目には日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルがいます。
ハゲていませんね。日本の教科書に載っているザビエル像とは違います。
実は、日本のザビエル像は他の宣教師の肖像画を参考に想像で描かれたものであり、本人を見て書いたわけではないのです。
実物はこの像の通り、ハゲ頭ではありませんでした。ハゲた人にザビエルというあだ名をつけたことがある人は反省しなければなりません。

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記念碑の正面には巨大な世界地図のモザイクがあります。1960年に南アフリカ共和国から贈呈されたそうです。

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地図の主だった場所にはポルトガル人が到達した年が記されています。

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日本は1541年。ザビエルが上陸した1543年ではなく、ポルトガル船が豊後に漂着した年になっています。
つまり、我々日本人は1541年にポルトガル人によって「発見」されたのです。
「発見」とはポルトガル、すなわちヨーロッパ側から見た言葉にすぎません。我々日本人は彼らに「発見」されるまでもなく、太古の昔から日本列島に住んでいたのですから。
幸いにして日本は植民地化をまぬがれ、私はこうして先進国の国民として海外旅行をしています。ですが、いまだに植民地時代の傷跡を引きずり、貧困に苦しんでいるアフリカや中南米の人たちからすればどうでしょう。きっと「発見」などされたくなかったに違いありません。
日本の先人たちに感謝しながらもちょっと複雑な気分になりつつ、発見のモニュメントを後にしました。

次回もリスボン観光です。


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