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2月の連休を利用して2軍の薩摩川内春季キャンプを見に行くついでに、長崎の軍艦島を見学してきました。
軍艦島はかつて海底炭鉱によって栄えた島で、正式名称は端島です。
南北に約480メートル、東西に約160メートルという小さな島でありながら、最盛期には5300人もの人々が住み、東京の9倍以上という日本一の人口密度を誇っていました。
しかしエネルギー需要が石炭から石油に移ったことで出炭量が減少し、1974年に炭鉱は閉山。島も廃墟となってしまいました。

小さな島に集合住宅が朽ち果てるままに密集する異様な光景は廃墟ブームの火付け役のひとつとなりましたが、安全上の理由で長らく立ち入りが制限され、数年前になってようやく一般の観光客が上陸できるようになりました。
ただし、遊覧船の上陸ツアーへの申し込みが必要で、決められた場所しか歩くことができません。

それでも旅好きにとって軍艦島は一度は訪れたい秘境です。軍艦島への上陸は天候や波の高さに左右され、上陸可能な日数は年間100日程度しかありません。幸い2月は海が静かで上陸率が90%を超えるそうですから、チャンスとばかりに足を延ばしてみたのです。



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2月10日日曜日、朝8時40分。軍艦島クルーズに乗船するため長崎港ターミナルにやってきました。
冒頭に述べたように、軍艦島への立入りが解禁されたとは言うものの、島内は危険箇所が多いため、一般客は観光クルーズ船のツアーに申し込む必要があります。
私が申し込んだのはやまさ海運の9:00発のコースで、往復1時間30分、島内で1時間、合計2時間半かかります。
料金は大人1名4300円、結構高いです。軍艦島クルーズは他にも何社かが運航していますが、出発時間が早かったのでこのコースにしました。
インターネットでの事前予約が可能、土日は事前に予約しないと満席になることもあるそうです。事実この日は午後の第2便も含め満席になっていました。

やまさ海運ホームページ

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満員となったクルーズ船は9:10に長崎港を出発。30分ほどで軍艦島の異様な光景が見えてきました。まるで要塞のようです。

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コンクリート製の建物が朽ち果てるままに建っています。海沿いに立っているのは病院と学校なのだそうです。

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島も上に建つ集合住宅。軍艦島の大本の部分は岩がみえている部分で、あとは炭鉱が栄えるにつれ拡張されたものです。

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こちらも集合住宅の廃墟。岸壁では釣り人が釣りをしています。

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この建物は70号棟。小学校と中学校で、昭和33年に建てられました。七階建ての学校など当時の日本のどこにもなかったでしょう。

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学校の隣にある低い建物は71号棟で学校の体育館。屋上は広場になっていたようです。奥の建物は昭和20年に建てられた65号棟と呼ばれる軍艦時まで最大の集合住宅です。屋上には幼稚園がありました。

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高台の上に建つ3号棟。高級職員の住居で、集合住宅としては唯一の内風呂があります。他の共同住宅の住民は共同浴場を利用していました。

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9:40過ぎに軍艦島のドルフィン桟橋に到着。係員からの注意事項を聞き、いよいよ上陸です。
島内にはトイレはなく、最近作られれた遊歩道しか歩くことができません。ツアー参加者は2組に別れ、それぞれ決められた見学場所を順番に回ります。

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第一見学広場周辺。炭鉱の施設があった場所ですが、長年の風雨と防波堤を乗り越えた高波によって崩壊が進み、ほぼ原形をとどめていません。

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右手には石炭を運んだベルトコンベアーの遺構が残っています。

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ここでガイドのおじいさんの話を聞きます。

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奥に見えるのはかつての小中学校。ところどころ窓ガラスが残っています。

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こちらも炭鉱関連施設でした。

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第二見学広場に向かって歩きます。
かつては炭鉱施設が並んだ一角も、長年の風雨、特に台風の影響で瓦礫の山になってしまいました。
奥に見えるレンガ造りの建物が総合事務所です。

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このあたりは炭鉱への入口でした。階段の残り具合がいい感じですね。

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レンガ造りの総合事務所。

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渡り廊下が残っています。

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木製の窓。

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鍛治工場の跡です。

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軍艦島の南西部にある第三見学広場に着きました。目の前にある7階建ての建物は30号棟。日本最古の鉄筋コンクリート製住宅で、大正5年に建てられました。居間でこそ廃墟ですが、建設当時は文化の最先端だったのです。
30号棟は鉱員のための住宅で、地下には売店がありました。

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壁に穴が開いています。台風の影響の崩落が進んでいるようで、この姿をとどめていられるのもそう長くなさそうです。

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隣接する31号棟。こちらのアパートは昭和32年の完成で、比較的新しいです。窓枠なども残っていますね。31号棟の地下には共同浴場があり、1階には理髪店や郵便局があったそうです。

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30号棟と31号棟の境目付近。
ここ第三見学広場でもガイドさんの説明を聞きます。
なんでも軍艦島に住んでいた鉱員たちの給料は非常に高く、通常の10倍近くあったそうです。そのため昭和30年代に三種の神器と言われたテレビ、洗濯機、冷蔵庫が島内ではほぼ100%の普及率でした。日本全国の平均が20%ですから、いかに裕福な暮らしをしていたかが分かります。
ただこの高い給料は命の危険と隣り合わせであったことを忘れてはいけません。

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階段が崩れ落ちています。

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屋上にあった木造建築物が崩壊しています。

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崩落したコンクリートから部屋の様子が見えます。

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1時間ほどで軍艦島の見学を終え、再びクルーズ船に乗船します。

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ドルフィン桟橋を出航するとクルーズ船は島の周りを1周します。
65号棟の拡大写真。廃墟と化して40年近く経ちますが、まだ生活の匂いが残っているような気がします。

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我々の船が出港した直後に、別の会社のクルーズ船が軍艦島に到着しました。

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神社の跡。神社本体は完全に崩落してしまいました。

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上級職員が住んだ3号棟。ベランダの崩落が進んでいます。

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軍艦島遠景。

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桟橋の反対側に回ります。こちら側は上陸できないため、現在船の上からしか眺めることができません。

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確かに軍艦に見えないこともありませんね。

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びっしり並ぶ集合住宅の群れ。

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コンクリートジャングルという言葉がぴったり合います。31号館の隣の50号棟や51号棟には映画館や公民館がありました。

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木造建築があった場所は完全に瓦礫の山です。

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丘の上には3号棟。

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神社の跡が見えます。

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船は軍艦島に沿ってゆっくりと進んでいます。

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海沿いに同じような建物が3つ並んでいます。59〜61号棟で、昭和28年に作られました。

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波が高いせいでしょう。階段のある斜めの窓が板で目張りされています。

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軍艦島の北側。学校だった70号棟です。

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70号棟の右側には病院が見えます。

島を離れ、30分で長崎港に到着。2時間半の軍艦島上陸ツアーはあっという間に終わってしまいました。
軍艦島はただの廃墟ではありません。かつて日本の発展を支えた炭鉱の跡であり、立派な産業遺産です。
聞けば世界遺産登録に向けた運動も進んでいるそうですね。なんとかいい状況を保ってほしいものですが、台風や高波で崩壊が進んでいるのも事実。今のこの光景がいつまで見られるのかは誰にも分かりません。
もし行けるのなら、できるだけ早めに見学されることをお勧めします。