
2013年の4月末に三陸地方に行ってきました。
東日本大震災から2年。復興はどこまで進んでいるのでしょう。
1回目は気仙沼線を北上。途中でBRTに乗り換え気仙沼を目指します。
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2013年4月27日。仙台駅7:46発の東北本線小牛田へ。小牛田からは8:40発の石巻線の列車に乗り換えます。
この列車はマンガッタンライナーと呼ばれ、石森章太郎のキャラクターが全面にデザインされていました。

8:56に前谷地着。ここから気仙沼線に乗り換えます。

8:58に前谷地を出発した列車はのどかな田園地帯を走り、9:21に柳津到着。気仙沼線は現在柳津までしか運行されていません。

柳津から終点の気仙沼へはBRT、つまりバスに乗り換える必要があります。

静かな駅前広場にはすでに9:40発の気仙沼行きのバスが止まっていました。

バスの時刻表。鉄道の扱いなので、時刻表も鉄道仕様です。

やがて次のバスもやってきました。桜が満開。東北にはようやく春が訪れています。

9:40に出発。乗客は15人程度で、地元の客や観光客に混じり、リクルートスーツ姿の若い女性も数人乗っています。どこに行くのでしょう。

陸前戸倉。仮設のコンビニがありました。

海の近くに出ると津波の爪跡が今も残っています。破壊された水門が今も・・・。

今は静かな入り江ですが・・・。

バスは海沿いを走ります。

南三陸町内を走ります。このあたりは津波の被害が酷かった地域で、廃墟となったビルがいまだに残っています。

骨組みだけ残る建物。

かつて南三陸町の中心地であった場所。何もありません。津波で根こそぎ流されてしまったのです。

南三陸さんさん商店街。被災地にいくつか設けられた仮説商店街の一つです。

志津川駅に到着。旧志津川町にとって気仙沼線の開業は悲願でした。

ファミリーマートの仮設店舗。コンビニはインフラですね。

この建物はかつて南三陸町役場防災対策庁舎でした。
津波の凄まじさを今に伝えています。

瓦礫は片付けられましたが、今だ更地のままです。南三陸町は都市機能を高台に移す計画を進めているらしく、このあたりがかつての賑わいを取り戻すことは難しいのかもしれません。

高台に立つ南三陸町の総合体育館。

ボランティアセンターのテントもありました。

気仙沼線の線路が見えました。盛り土部分が津波で削られてしまっています。

清水浜駅。ホームの柵が曲がってしまっています。

世界のみなさんありがとう。

被災地にたなびく鯉のぼり。旧歌津町地区も津波の被害が酷かった場所です。

歌津駅。

ここからバス専用道路に入ります。かつての気仙沼線の線路を取り払い、舗装したものです。

トンネルを抜け再び一般道へ。陸前港駅があった辺りを通過します。

天気も良く、晴れ渡っています。

陸前小泉駅付近。このあたりも津波の被害が大きかったようです。後ろには何もありません。

海沿いにぽつんと残る被災した建物。

本吉駅。ここから再びかつての線路を使用した専用道に入ります。

トンネルへ。

海沿いを走る気仙沼線の線路は多くの場所で津波に削られてしまっています。全線開通はいつになるのでしょうか。

大谷海岸駅。道の駅となっています。

大谷海岸の先から専用道へ。

このあたりは津波の影響があまりなく、駅もそのままで残っています。しかし線路がありません。

バスは専用道を走ります。

建物の基礎部分だけが残っています。

最知駅。2013年の3月2日から大船渡線のBRTも運行されています。鉄道としての復活はあるのでしょうか。

桜が咲いています。

茫洋とした景色。震災から2年ですが、このあたりはようやっと瓦礫が片付いた段階です。

外壁がはがれたままの工場。

松岩駅付近。

不動の沢から先は専用道です。

11:44に気仙沼駅に到着。ここで大船渡線に乗り換えですが、大船渡線も一関から気仙沼までしか動いていません。
気仙沼から終点の盛までは3月から運行開始のBRT、つまりバスに乗換えとなります。
次の盛行きバスはすぐに出るのですが、せっかくですから1本遅らせて、昼ご飯にしましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=Ko29iRXSqI0