今シーズン登板がなかった薮田が引退を表明しました。

薮田が現役引退 右肩の回復にメド立たず (報知)

ロッテの薮田安彦投手(40)が、今季限りでの現役引退を決断した。28日、本紙の取材に対し、右肩痛が完治のメドが立たないことを明かした上で「ベストの状態からほど遠い。(ユニホームを脱ぐことに)悔いはない」と語った。29日に球団が発表し、30日に引退会見を行う。また、広島の菊地原毅投手(38)も今季限りの引退を表明した。

 不惑の右腕が決断した。薮田はスッキリとした表情で思いを口にした。

 「今年は2軍でリハビリを続けてきたが、良くなる兆しを全く感じることがなかった。自分のベストの状態からほど遠い状況で通用するとは思っていない。年齢もある。悔いはありません」

 昨年は抑えで61試合に登板し、26セーブを挙げたが、シーズン中盤から右肩痛を発症。今季は開幕から2軍でリハビリを続け、7月にブルペン投球するまでに回復。ただ納得するレベルには程遠かった。

 「右肩痛は若い時も経験した。その時は我慢すれば投げることができたが、今回は注射も全く効かない。寝ていても目が覚める。手を上げたり体を洗うのも痛みを我慢するほど。痛みさえなければ投げられる自信はあったが、もう難しい」

 150キロ台の直球とフォークを武器に、1年目の96年から1軍に定着。05年に中継ぎ投手部門のファン投票1位で球宴初出場。06年にWBC日本代表として世界一に貢献した。07年には38ホールドポイントを挙げて「最優秀中継ぎ投手」の初タイトルを獲得。08年にFA権を行使してメジャーに挑戦し、ロイヤルズで2年間プレー。10年からは再び古巣へと復帰し、11年からは抑えを務めた。

 8月の終わりだった。寛子夫人と一人娘の奈々帆さん(13)に現役引退の意思を伝えたという。

 「お疲れさまでした、と言ってもらえて、こちらが感謝の気持ちだった」

 球団にも意思を伝え、30日に引退会見を行う。

 「入団、そしてアメリカに行く時もバックアップしてくれて、戻る時もいち早く声をかけてもらった。ロッテには感謝しかない。最高のファンにも囲まれ、ここで終われることを幸せに思う」

 日本球界で中継ぎの立場向上に大きく貢献した薮田が、静かにユニホームを脱ぐ。

 ◆薮田 安彦(やぶた・やすひこ)1973年6月19日、大阪府生まれ。40歳。上宮高―新日鉄広畑を経て、95年ドラフト2位でロッテ入団。07年に最優秀中継ぎのタイトルを獲得。07年オフにFA権を行使し、2年総額6億6000万円でロイヤルズに移籍。10年からロッテに復帰。通算520試合に登板し、48勝72敗67セーブ、防御率3・81。183センチ、88キロ。右投右打。年俸1億円(推定)。




今シーズン2軍でも投げていないようでしたので覚悟はしていましたが、やはりさびしいですね。
自分にとって薮田はとても思い入れのある投手です。
なぜなら、薮田が一流への階段を駆け上がっていく過程は、マリーンズが歩んだ道と瓜二つだからです。
パリーグの片隅で、弱小不人気球団としてひっそり野球をしていたロッテが、2005年の日本一を機に人気球団として生まれ変わっていく過程と。

薮田は1年目の1996年から1軍入りしますが、当時はバレンタイン監督が退任して不人気弱小球団に逆戻りしてしまった頃です。
2003年までの薮田はお世辞にも活躍したとは言えません。
ストレートは140キロそこそこで、防御率は4点台以下、なかなか勝てず、良くてもシーズン5勝。
6回持たずに崩れることが多く、ピンチでは明らかに目が泳ぎ、とても頼りないピッチングをしていました。
ついたあだ名はチキン薮田。ファンの間では「予告先発が薮田の試合は客が減る」という話まであったそうです。
2002年はわずか3試合の登板に終わり、2003年は17試合に投げて防御率5.90。30歳と若くないため、自身のクビすら危うい状況になっていたのです。

そんな薮田に転機が訪れたのは2004年。バレンタインが再びマリーンズの監督に就任してからです。
中継ぎに転向した薮田は先発時代が嘘のように快速球を連発。150キロに迫る剛球と落差のあるフォークでパリーグの並み居る強打者を手玉に取ったのです。
2004年の薮田は66試合に登板して2.79。守護神の小林雅英につなぐセットアッパーとして、主に8回に登板しました。小林雅英がアテネオリンピック代表に選ばれた際はクローザーの代役も務めています。
まさに薮田はバレンタイン監督の手によって生まれ変わったのです。

翌2005年。球界再編問題を乗り越えたマリーンズは、優勝に向けて快進撃を続けました。
薮田は前年同様守護神につなぐセットアッパーとして大活躍。
終盤にチームがピンチを迎えると、薮田の出囃子である「インディー・ジョーンズのテーマ」が鳴り響き、リリーフカーに乗った薮田がさっそうと登場。強打者を三振に仕留めてチームを救うその姿に、すべてのマリーンズファンは大歓声を送ったのものです。
いつのころからか「薮田最高、薮田は神」という言葉が生まれ、スタンドでは「薮田心中」と書かれたボードを出すファンが出現するほどでした。

自分はこの薮田のインディージョーンズの出囃子がとても好きでした。
パリーグ優勝、そして日本一という未知の世界へ漕ぎ出していく我らがマリーンズに、とても似合っていると思えたのです。
2005年の薮田は51試合に登板。防御率は3.03だったもののマリーンズの日本一に大きく貢献。オールスターにもファン投票で出場し、中継ぎとしての地位を不動のものとしました。

そして薮田を語る上で欠かせないのが2006年のWBC。
中継ぎとして登板した薮田が、アメリカチームのアレックス・ロドリゲスから三振を奪ったのです。
当時のAロッドといえば2005年に20代にして400本塁打を達成したメジャーでも最高峰の選手。
2007年にオフには10年契約で総額209億円という破格の契約を結んでいるほどです。
そんな超一流選手から薮田が三振を奪った。これは大変なことなんです。
あの、「Aロッド」から、あの、「チキン薮田」が三振を奪った。
パリーグの裏街道から世界の表舞台へ。数年前ならとても考えられない大出世です。

興奮しましたね。当時のことをブログでこう書いています。

アメリカよ!薮田は最高だ薮田は神だ!

薮田です。疑惑のジャッジで騒然とする中登板した薮田は6番C・ジョーンズをファーストゴロ、6番デレク・リーを空振り三振、7番デーモンを空振り三振と三者凡退に斬って落としました。しかもその前のイニングではあのA・ロッドから三振を奪っているのです。

あの薮田が、あのA・ロッドから空振り三振!
どうだアメリカよ。薮田はすごいだろう。

もしタイムマシンに乗って4年前に戻り、マリンの外野でまったり応援するマリーンズファンに、
「おい!日本代表の薮田がメジャーリーガーの打者4人から3三振を奪ったぞ!」
と言っても、おそらく誰一人信じないでしょう。A・ロッドから三振を奪ったと言おうものなら、
「嘘もいい加減にしろ!」
と怒り出すに違いありません。

予告先発に薮田の名前を見ただけで負けを覚悟したあの日々。
出だしは快調でも、3回あたりに突然炎上して負けるいつものパターン。
ほんの3年前まで、先発としてなかなか5勝の壁を破れないといわれていました。
千葉テレビ解説の倉持さんに、「負けている場面では好投するんですけどねぇ」と嘆息されていたものです。
2002年の1軍での登板はわずか3試合。
投手としてがけっぷちに立たされていた薮田の運命を大きく変えたのはボビーとの出会いでした。
2004年のシーズン途中から中継ぎとして定着した薮田は徐々に安定感を増し、やがてマリーンズ不動のセットアッパーへと成長していきました。
そして今、マリーンズ優勝の立役者となった薮田は、確かに日本代表のユニフォームを着ていて、間違いなくA・ロッドやデレク・リーから三振を奪っています。

もう、チキンハートと揶揄された薮田はいません。
嬉しいですね。応援していた選手が、それも端にも棒にも引っかからなかったような選手がスターへの階段を駆け上がっていくのを見届けるのはファン冥利に尽きます。


薮田はその後2006年と2007年の中継ぎとして活躍。
2008年からは海を渡ってメジャーリーグに挑戦しました。
しかしロイヤルズと契約したもののメジャーでは成績を残せず、シーズンのほとんどをマイナーリーグで過ごすことになりました。
2009年もシーズン終盤まで3Aから昇格できず、この年限りで自由契約。
2010年からは背番号を49に変えてマリーンズに復帰しました。

アメリカ帰りでたくましくなった薮田は球速が上がっていました。
渡米前には見られなかった150キロの剛速球で相手バッターから三振を奪う快投を見せ、2010年は中継ぎで活躍、2011年にはクローザーに転向し31セーブをマークしました。
もう40近いのにまるで若手のような力押しのピッチング。しびれましたね。
2012年もクローザーを務めたのですが、リリーフ失敗する試合が増え、シーズン途中で中継ぎに配置転換されたこともありました。結局61試合に登板して防御率3.34。前年の防御率1.75から大きく数字を落としてしまいました。

2013年は復活が期待されましたが、春先に右肩を痛め、2軍でも登板がないまま引退。
残念ですが、遅咲きと言えど行くところまで行ったのですから、薮田本人が言う通り、きっと悔いはないのでしょう。

薮田の引退はバレンタイン監督とともに歩んだマリーンズ成功物語の終わりを意味していると言えます。
薮田選手、本当にお疲れ様。
そしてかなわないと思っていた優勝という夢をかなえてくれて、ありがとうございました。

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