
千葉ロッテマリーンズのキャッチャーとして2005年と2010年の二度の日本一に貢献し、2006年のWBCでは大会ベストナインにも選ばれた里崎。
その里崎がついに引退を発表し、12日に記者会見を行いました。
ロッテ里崎 今季限り現役引退 本拠地最終戦が引退試合 (スポニチ)
ロッテ・里崎智也捕手(38)が11日、今季限りでの現役引退を表明した。12日に会見を行う。
「入団時は決して強くなかったロッテで2度も日本一になれた。悔いは全くない。世界一も経験できて、ミラクルで幸せな野球人生。想像をはるかに超える16年間だった。本当に満足している」
2軍施設があるロッテ浦和球場でリハビリ中の里崎は、すっきりした表情でそう話した。ロッテ一筋16年。大一番で勝負強さを発揮する強打の捕手として05、10年と2度の日本一に貢献した。日本代表として優勝した06年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではベストナインに選出された。「世界一の捕手」となり、「日本と世界でベストナインになった捕手は自分だけ。それは誇りです」と胸を張った。
2年契約の最終年の今季は「最終章」と位置付けていた。しかし、5月に出場選手登録を外れて左膝を手術。当初は1カ月で復帰予定も回復が進まず、ここまで16試合の出場にとどまり「もう潮時かなと思った」と引退を決断した。この日の練習前、後輩に「ここ(2軍)にいたら駄目。プロ野球選手は結果が全て。頑張るのは今しかないよ」と訓示。頼れる背番号22はナインの手で胴上げされた。
来年以降は白紙の状態。球団ではチームの順位が確定していれば、今季の本拠地最終戦を引退試合とし、各種セレモニーを行う予定だ。
里崎引退 福浦「電話が鳴って何かなと」唐川「僕の成績は里崎さんがいたから」 (スポニチ)
里崎の現役引退表明に、ロッテナインは神妙な表情を見せた。
10日夜に引退決断の電話を受けていた1学年上の福浦は「電話が鳴って、何かなと思った。ずっと一緒にやってきたし、寂しいものですよね。まだ実感が沸かない。日本一にもなったし、クライマックス・シリーズでのサト(里崎)の逆転打とか勝負強い打撃を思い出す。ゴルフもよく一緒にいった」と振り返った。
入団1年目からバッテリーを組んできた7年目・唐川は「僕の成績は、里崎さんがいなければできなかった。よく怒られて、負けるかって気持ちで、けんかするぐらいのつもりで投げていることもあった。的確なアドバイスをいつもくれたし、力を引き出してもらった。凄くお世話になった」と寂しそうだった。
里崎引退 2度の日本一に貢献 千葉ロッテ (千葉日報)
11日に今季限りでの引退が発表された千葉ロッテの里崎。「もっとキャッチャー論を交わしたかった。さみしい」と伊東監督がしみじみ語るなど、16年間チームをけん引してきた功労者の引退を惜しむ声が相次いだ。
5月に手術した左膝のリハビリに励んできたが、復帰はかなわなかった。それでも、スーツ姿でQVCマリンフィールドを訪れた時の表情は晴れやかだった。
雨のために室内練習場で行われた練習中に伊東監督にあいさつ。コーチ陣や苦楽をともにした選手たちとも笑顔で言葉を交わし、ファンからの「里崎さん、ありがとう」という声援には手を振って応えた。
「敵チームとして接した時間の方が長かったけど、意外性があっていやらしいバッターだった。大輔(松坂)からよく打っていたね。日本を代表する選手であることは間違いない」。肩をたたいてねぎらった伊東監督は、日本一2度、ワールド・ベースボール・クラシック初代王者の功績をこうたたえた。
唐川とは、約5分間話し込んだ。1年目からバッテリーを組んだ右腕は「いままでの僕の成績はサトさんがいなければ、できなかった。賢い人で、いろんな話をしてもらったし、聴いてもらった」と感謝した。
今春の自主トレをともにし、夏場から定位置をつかんだ2年目捕手の田村も、ベテランへの思いを口にした。「一緒にやらせていただいたのが財産。目標にする選手ともう一緒にプレーできないのはさみしいですけど、得たものを生かしていきたい。サトさんのように、自分を持っているキャッチャーになりたいです」としんみりと語った。
球団は引退セレモニーを行う方針で調整中で、伊東監督は「花道を飾ってあげたい」と功労者を思いやった。里崎はきょう12日に記者会見を開き、16年間に及んだプロ野球人生への思いを語る。
里崎、サプライズ胴上げも重すぎて… (ニッカン)
ロッテは11日、里崎智也捕手(38)の今季限りでの引退を発表した。里崎はこの日、ロッテ浦和球場とQVCマリンを訪れ、関係者にあいさつ。2軍の後輩たちには、強烈な激励の言葉を残し、ロッテの未来を託した。今日12日には、ユニホーム姿で引退会見に臨む。
午前9時半。練習前に2軍の若手たちの輪を前にした里崎は、静かに語り出した。「挑戦できるチャンスがあるのは幸せなこと。野球選手でいられる時間は限られているのだから、その中で結果にこだわってやってほしい。2軍で活躍しても誰も喜ばない。1軍で活躍してこそ、2軍の監督、コーチも喜んでくれる」。1人ずつ名前を挙げてメッセージを残したかったが声が震え、涙がこぼれそうだった。言いたいことはのみ込んで、あいさつを切り上げた。
強烈な言葉の返礼はサプライズの胴上げだった。94キロの巨漢。一瞬、宙に舞った後、まさかの落下。後輩たちの「重すぎます」という言葉に、苦笑いしながら「入団した時はオレも軽かったんや」と答えた。2度目の胴上げで、しっかり宙に舞うと「こんなんしてもらえると思ってなかったから、うれしかった」と満面に笑みを浮かべた。
最後まで里崎節を貫く。今日の記者会見には、スーツではなくユニホーム姿で臨む。「入団会見の時もユニホームだった。最後もユニホームの方がいい。スーツだったら、テレビとかで見た人が『この人誰?』ってなるかもしれないじゃないですか」。ロッテの里崎として、自然な姿を自ら選択した。
「悔いは全くない。いっぱい稼がせてもらったし、いい思いをたくさんさせてもらった」という野球人生を最後の瞬間まで全うするつもりでいる。この日も左膝のリハビリは欠かさなかった。「引退試合をしていただけるかもしれないということなので、そこで恥ずかしい姿を見せないためと、今季中はまだロッテの選手なので」と里崎。捕手は無理でも、打席には立てるまでに回復しつつある。
なんとお隣の国台湾でも里崎の引退が報じられています。
日職名捕里崎智也 涙眼宣布引退 (中時電子報)
そして今日の引退会見。涙ながらに「悔いは無い」と語りました。
ロッテ里崎 涙の引退会見「夢の中のような16年間だった」 (スポニチ)
ロッテの2005、10年の日本一に貢献し、今季限りで現役を引退する里崎智也捕手(38)が12日、千葉市のQVCマリンフィールドで記者会見し、涙で声を詰まらせながら「夢の中にいるような16年間だった。自分の思い描いた以上の成績を残せた」と感慨深げに振り返った。
ロッテ一筋でプレーし、最も印象深い試合には31年ぶりのリーグ優勝を決めた05年のプレーオフ第2ステージ第5戦を挙げた。投手の特長を引き出すリードと勝負強い打撃で活躍したが、5月に左膝を手術するなど近年は故障に苦しみ「気力に体力が追い付いてこなかった」と決断理由を説明した。今後は未定。
【球団公式より】
今シーズンをもちまして、16年のプロ野球生活、そして30年間にもおよぶ野球選手としての引退を、今日みなさんに報告したいと思います。引退を決意して、半分はホッとした気持ちです。ここ数年は本当にしんどかったですし、頑張らなくていいんだと思うとホッとしてます。半分はもう頑張れないんだと思うと寂しい気持ちでいっぱいです。
マリーンズファンの皆さんの、このQVCマリンフィールドでの大声援、そしてビジターでの大声援の中で、一緒に多くのことを喜びあえたことは一番の財産です。ファンの皆さんあっての千葉ロッテマリーンズだと思いますし、本当にお世話になりました、ありがとうございましたと言いたいです。
THE PAGEというページに詳しい内容の記事がありました。
ロッテ里崎、涙の会見「夢を超えた16年」(THE PAGE)
、「ここ数年、しんどかったし、もう正直、頑張らないでいいと思うとほっとしている……」とまで話すると目頭を押さえ、タオルをとって涙を拭った。しばらく、あふれる涙が止まらず、言葉が続かない。 号泣だった。
「正直、あとの半分は寂しい」
16年目のシーズンを迎えようとしたベテランが昨秋のキャンプに志願参加した。「来年勝負!」の思いを胸に若手に混じって激しい練習メニューにチャレンジしたが、肉体が悲鳴を上げた。開幕はスタメン出場したが、5月に左膝を手術。オールスター前復帰を目標にリハビリを続けたが、8月に入っても回復は見られず、「そろそろ潮時か」と考えたという。「プロとして練習量を落とさねばならないならプロのパフォーマンスを出せない。人それぞれ考えは違うだろうが、グダグダと中途半端に野球人生は続けたくなかった」。
38歳、独身のキャッチャーは誰にも相談せずに引退を決めた。「自分勝手に我が侭にやってきた。大学進学も、プロに入るときも自分で勝手に決めた。最後まで僕らしいと言えば僕らしい」。徳島の母親に事後報告をすると「最後くらい相談してくれとも良かったんとちゃう?」との返答。「ここまで一人で決めてきたけど間違ってなかったやん?」と返すと「よう、そこまで自信を持っていえるな。あんたらしいわ」と笑われた。田村龍弘ら若手捕手が育ち「そういう環境になってきたのも引退を決めた理由のひとつ。僕はコーチではないが、もっと伝えることがあったけれど、役割も終わったかなと」
(中略)
思い出の打席?と聞かれて、里崎は、2005年の10月17日、福岡で行われたソフトバンクとのプレーオフの第5戦を挙げた。1点のビハインドで迎えた8回の劇的な逆転タイムリーツーベースを放ったシーンだ。「あれはいろんな計算があっての打席だった。考え方の勝利だった」。
里崎は、その試合を今でも克明に記憶している。「僕が大活躍したと皆さんは記憶していると思うんですが、あのとき、実はヒットを3本しか打っていません。本塁打が2本と、あのツーベース。2本のホームランは、いずれも変化球だったんです」。1点のビハインドで一死一、二塁。マウンドにはソフトバンクの守護神、馬原だった。
「キャッチャーは、城島さんではなく若い的場でした。僕の次のバッターはベニーでした。キャッチャーの気持ちになると、僕よりベニーが怖い。ならば、僕で終わらせたい、ゲッツーを狙いたい。しかも、そこまで2本のホームランはいずれも変化球です。ストレートには差し込まれていました。ならばここはインハイのストレートしかないと。あたるもはっけ、あたらずもはっけの確率ですが、そこだけにタイミングを合わせ、一発で仕留めることができたんです」。
打球は、レフトフェンスを直撃した。公私にわたって慕っていた一塁ランナーの福浦が一気にホームへ。「福浦さんは、『打った瞬間に全力で走った。プロ野球人生であれだけ全力で走ったことがない』と言っていました」
(中略)
2006年の第1回WBCでは、王ジャパンの代表メンバーとして世界一のトロフィーを手にした。正捕手として7試合に先発マスクをかぶり、22打数9安打で打率.409、1本塁打、5打点の活躍で、大会ベストナインに選ばれた。2008年には続けて北京五輪の星野ジャパンの代表メンバーにも選ばれている。「キャッチャーというポジションは、一人だけ反対方向を向く。マウンドには松坂大輔がいて、上原さんがいた。上原さんは、こんなにコントロールがいいピッチャーが世界にいるのかと脅かされた。内野を見渡せば3冠王の松中さん、外野には世界のイチローさん。僕が邪魔をしちゃいけない、足を引っ張っちゃいけない、というプレッシャーは凄かったけれど、ロッテから8人も選ばれていたので、少し楽にもなった。監督は王さん、世界の王さんの元で野球ができるとは、夢には思わなかったけれど、今度は監督として王さんを世界の王さんにしたいという気持ちでプレーをした。WBCは一発勝負。ひとつ負けたら終わりというがけっぷちの中での戦いでプロとしてのメンタルが強くなったと思う」
(中略)
「常に勝つようなチームではなかった。そこでの2度の日本一は誇れると思う」。
1072試合に出場して通算、888安打、108本塁打、454打点。平均打率は・256。試合数からして捕逸19は極端に少ない。いかに体を張った全力プレーをしてきたかがわかる。「自分勝手にやってきた。誰にも負けたくないという気持ちだけで。キャッチャーは、一人だけみんなのほうを見ているポジション。僕が自信を持った姿勢を見せないとピッチャーもみんなを不安にさせる。心に弱さも不安もあったが、それは見せたくなかった。最高で最上の16年。夢の中にいるような16年だった」。
正直まだ実感がわきません。里崎がついに引退してしまうとは・・・。
信じたくありませんが、ここまで記事を読まされたら納得するしかありません。里崎は今年でロッテからいなくなってしまうのです。
里崎は、ファンの夢をかなえてくれた選手です。
チャンスに強いとか、そういうレベルではありません。
ここで打たなければ今までの奮闘がすべて無駄になる、絶対に打たなければいけない場面。
打たなければマリーンズの命運が尽きてしまうような場面。
そんな乾坤一擲の場面で里崎は必ず打ちました。それもものすごい打球を。
ファンの願いやファンの夢を里崎は自らの力に変え、チームを救ってくれたのです。
2005年のプレーオフセカンドステージ第5戦。での一打は、いまだにはっきりと覚えています。あの時私は福岡ドームのレフトスタンドで応援していました。
1点負けている8回表。初芝神の奇跡のヒットから、福浦が連打で続き、サブローが凡退。1死1,2塁でピッチャーは難攻不落の馬原。
ここで打たなければマリーンズ悲願のリーグ優勝、そして日本一が潰えてしまう。そんな場面で里崎が登場しました。
応援団がチャンスパターンを始めたその刹那、里崎のバットが一閃。打球がものすごい勢いで我々マリーンズファンのいるレフトスタンドめがけて飛んでくるではありませんか。
弱小不人気球団だった千葉ロッテマリーンズが生まれ変われるかどうかの大一番。それももう後がない崖っぷちで里崎が打ってくれた。
これは単なる決勝打ではありません。里崎はロッテを救ってくれたのです。チームの運命を変えてくれたのです。
ロッテもやれるんだ!ロッテも優勝していいんだ!
マリーンズファンは皆、とにかく我を忘れて叫びました。同点、そして逆転。2005年のプレーオフを制したあのときほど、マリーンズファンをやっていてよかったと思った瞬間はありませんでした。
そして2010年。3位でシーズンを追え、クライマックスシリーズのファーストステージを戦うべく敵地西武ドームに乗り込んだマリーンズ。
しかし成瀬が好投も内が崩れ、1−5の4点差で9回表を迎えました。
最終回に4点のビハインド。厳しい点差です。しかしあのときは、これから何かあるんじゃないかという予感がありました。
ヒット3本で満塁となり、金泰均のタイムリーで3−5。さらに大松四球で満塁となり、里崎がセンター返しのタイムリーで5−5。またしても里崎の一打で消えかけた日本一への夢をつなぎとめました。この試合は福浦の勝ち越しホームランで勝利。運命の2戦目へと続きます。
2戦目は3−4と1点のビハインドで迎えた9回表。またしても里崎が同点のソロホームランをマリーンズファンで埋まるライトスタンドに叩き込みました。
人差し指を突き上げながらダイヤモンドを一周する里崎は格好良いなんてものじゃなかったです。
2度の日本一は、まちがいなく里崎のおかげでしょう。
打撃面は独特なバッティングフォームから狙い球を絞ってのアッパースイング。いいところで打ってくれたのは前述のとおりなのですが、その反面ど真ん中を見逃してノッシノッシとベンチに帰ることもありました。狙いが外れたらしょうがない。まさに勝負師です。
凡退しても下を向かないのは相手に弱みを見せないためと聞いたことがありますが、上を向いて堂々とベンチに帰るさまは「ドヤ三」と呼ばれました。ドヤ顔の三振。打ってもドヤ顔ですし、打たなくてもドヤ顔でしたね。世間的にはドヤ顔といえばサッカー日本代表のゴールキーパー川島ですが、マリーンズファンとしてはやっぱり里崎なんですよ。里崎ほどドヤ顔がサマになる男もいないと思います。
ただ決して宝くじなバッティングではなく、しっかりした打撃成績を残してくれたのが里崎のすごいところ。
それまでのロッテのキャッチャーは清水将やら福沢やら吉鶴やら定詰といった打てず守れないキャッチャーだらけでしたから、里崎は輝いて見えたものです。
ロッテ生え抜きキャッチャーで100ホームランを打ったのは里崎だけ。2005年から6年連続2桁ホームランでしたし、2006年には17本も打ちました。
里崎のホームランは記憶に残る一発が多いですね。2010年5月30日のサヨナラホームラン。そしてなんといっても雨の神宮での満塁弾。あれはすごかったです。
また、里崎はリード面や守備でもマリーンズを支えてくれました。
里崎といえば派手な打撃ばかりが注目されますが、里崎の凄みは安定した守備にあります。
とにかく後ろに逸らさない。どんな球もしっかり止めてくれます。里崎は通算957試合で18捕逸。つまり53試合に1回の捕逸です。
これがどれだけすごいのかは、往年の名捕手と比べれば一目瞭然です。伊東勤は2327試合で92捕逸(25試合で1捕逸)、野村克也は2921試合で207捕逸(14試合で1捕逸)ですから、里崎は段違いに逸らさない。だからこそマリーンズのピッチャーは安心して投げることができたのでしょう。
リード面はどちらかといえば強気、ただ傾向を読まれて狙い撃ちされたこともあったように思います。
2005年は橋本との併用でしたが、徐々に出番を増やして正捕手としての地位を固めつつあった里崎。
ファンサービスも熱心で、試合後に球場正面のステージで俊介と一緒に「We Love Marines」を歌ってくれましたね。
その後2006年や2007年もホームラン2桁の活躍で、チームを勝利に導きました。
しかし2008年はケガにより長期離脱。おまけに橋本も離脱してチームもBクラスに沈みました。
2009年は124試合に出場も、2010年はケガで離脱。テスト入団の的場が里崎不在の危機を救ってくれました。
2011年は109試合に出場しましたが、統一球の影響で打率.222と低迷。とにかく打てませんでした。
2012年は120試合に出場し、打率.244ながら9本塁打と復調の兆しを見せました。
しかし2013年はケガの影響で2軍スタート。1軍復帰後もケガによる離脱を繰り返し、48試合の出場にとどまりました。
そして2014年。膝の手術からの回復が思わしくなく、満足に試合に出られないまま引退を迎えてしまいました。
里崎はこれからどうするんでしょうか。コーチ?監督?解説者?それともタレント?
まずは結婚かもしれませんね。
選手時代を独身で通した里崎も、引退したら即結婚ということになるかもしれません。
そうなると「里崎が結婚しないから俺も結婚しない!」という言い訳が使えなくなってしまいます。
でも里崎ほどのすごい人を世の女性が放っておくはずがありませんよね。里崎はマリーンズファンから見て、これ以上ないほどの「漢」ですから。
さびしいです。とにかくさびしい。今はそれしか言葉が出ません。
里崎選手、お疲れ様。ファンの夢をかなえてくれて、ありがとうございました。
最後に里崎の写真を集めてみました。
2005年から10年分の写真です。ぜひご覧下さい。
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まずは2005年のプレーオフセカンドステージを制した瞬間。恥ずかしながらこの時は1眼レフのカメラを買ったばかりで、ISO感度の設定を良く分かっていませんでした。





喜びの輪から離れ、一人泣く里崎。2003年福岡ドーム、里崎の祖母が亡くなった日の試合で決勝打を放ち、自らの運命を変えることとなったあの試合を思い出していたのかもしれません。
続いては2005年の優勝パレード。


2006年。里崎といえば雨の神宮での大活躍ですね。

2007年。今と比べるとやせています。



そしてやっぱり神宮で打ちました。


マリンでのヒーローインタビュー

2008年の里崎。












2009年の石垣島キャンプにて。





2009年は非常に残念なシーズンでした。いつかこのブログでしっかり振り返らないといけないのでしょう。
続いて2010年。5月30日にはサヨナラホームランを打ちました。



3位でシーズンを終え、ホークスを下して日本シリーズへの出場を決めます。


そして日本シリーズ第7戦。岡田の勝ち越し打でマリーンズが日本一!

喜びの輪の中に里崎もいました。そして選手同士肩を組んで「マリーンズが、本当に好きだから」と歌ってくれました。






2010年の優勝パレードです。


優勝イベントの様子。やっぱり里崎は俊介とのコンビが合っています。


2011年石垣島キャンプ。


2011年、ピンクユニの里崎。



2013年秋季キャンプ


ありがとう!里崎選手!





チャンスで三振してノッシノッシとドヤ顔でベンチに戻る里崎をみて、「やっぱり里崎だよなぁ」と苦笑いし、ここで決めないと本気でヤバイというときにすさまじい打球を放つ里崎を見て、「やっぱり里崎だよなぁ!」と、正反対の意味で「やっぱり」と思えるような選手は他にはいませんでした。
独特のアッパースイングから綺麗な放物線を描く里崎のホームランが大好きでした。最後の勇士を目に焼き付けたいと思います。