G.G.佐藤が自身のブログで引退を表明しました。
引退のご報告。そして感謝 !!! (G.G.佐藤公式ブログ)
GG佐藤です。
ファンの皆様へ
今季をもちまして野球を引退する事をご報告いたします。
大学を卒業してから、アメリカで3年、埼玉西武ライオンズ8年、イタリア1年、千葉ロッテマリーンズ2年
計14年間プロ生活を送ってきました。
ここまで野球を続けてこれたのも、ファンの皆様のあたたかいご声援のおかげです。
自分の夢だったプロ野球の世界に導いてくれた埼玉西武ライオンズ、
諦めがつかなかった自分を拾ってくれた千葉ロッテマリーンズ、
恩師であります伊東監督、たくさんのご指導をして頂いたコーチの方々
アマチュア時代にお世話になった監督
たくさんの方々の助けがあって今の自分があると思います。
そして野球と出会わせてくれて、人生の生き方を教えてくれたお父さん
どんな時もあたたかく見守って、味方でいてくれたお母さん
文句ひとつ言わずイタリアまでもついて来てくれた妻
無茶な応援ばっかりだった子供達…
家族の支えがあったから安心して野球がやれました。
皆様14年間、本当にありがとうございました!!!
小学校1年生からずっと続けてきた野球とサヨナラするのは寂しい気持ちもありますが
野球人生を振り帰ってみると野球でたくさんの仲間と出会え
野球を通して様々な経験をして今の自分が作りあげられたと思うと
とても幸せな野球人生でした。
一度目に戦力外になったまま
もし辞めていたら、後悔が残っていたと思います。
野球が嫌いになってしまった時もあったけど
イタリアから千葉ロッテマリーンズまでの3年間が野球人生で1番楽しかった!
野球とは、ずっと好きなままお別れしたいと思っていたその思いが叶いました。
やっぱり野球が好き…いや大好きです!!!
野球を続けて来て本当によかった。
野球ありがとう!!!
これから第二の人生がスタートします。
引退後の人生も続いて行く。
自分の人生のテーマ挑戦!!!
第二の人生、セカンドチャレンジとして
今年書いた本のように、
新たな未来、誰も登った事のない山を登る未来を妄想しています。
ひとつ心残りがあるとすれば
最後のキモティー!!!を
言えなかった事です…
目を閉じれば、ファンの皆様にこの雄叫びが聞こえて来る事を願って
ラスト… 「キモティー!!!…」
2014年10月10日 引退
追伸…ファンの皆様に直接お別れを言いたい気持ちもあるので
ファンミーティングのようなものをやりたいなと思っています。
どうでしょうか!?
スポニチにも記事が出ています。
GG佐藤引退 目指せ島耕作!すでに就職決定、サラリーマンに (スポニチ)
ロッテから戦力外通告を受けたG・G・佐藤外野手(36)が、今季限りで現役を引退することが9日、分かった。今後は一般企業で会社員として、第二の人生をスタートさせる。
都内の高層オフィスビルの前。G・G・佐藤はスーツに身を固めた「サラリーマンスタイル」で現れた。「小学1年から始めた野球をやめることはやっぱり寂しい。でも、本当に幸せな野球人生だった。家族、ファン、伊東監督、全ての人に心から感謝したい」
法大から03年ドラフト7巡目で西武に入団。長距離砲として活躍し、明るいキャラクターと、お立ち台での「キモティ〜!」の決めセリフで人気者に。だが、日本代表として出場した08年の北京五輪では外野守備でミスを犯し、11年には西武を戦力外となった。一気にどん底を味わったが、イタリア・ボローニャなどを経て、12年オフに西武時代の恩師・伊東監督が率いるロッテにテスト入団。再び2年間のプロ野球生活を送った。
「野球選手は卒業するけど、これからも“キモティ〜!”と絶叫できるように頑張っていきます」。既に一般企業への就職も決まり「目指すは日本一のサラリーマンだ!」と宣言。最近は人気漫画「サラリーマン金太郎」や「島耕作」を読んでいるそうで「今まで、ファンのことを第一にやってきた。これからは“顧客第一”でサラリーマンの頂点を目指すよ」と誓った。球界のエンターテイナーを自称する和製大砲は、G・G・佐藤から「佐藤隆彦」に戻る。
G.G.佐藤の野球人生は波乱万丈「以上」です。神奈川の桐蔭学園から法政大学に進学。卒業後はアメリカのマイナーリーグでプレーしました。その後当時西武ライオンズの監督だった伊東勤に見出されて2003年ドラフト7位で西武に入団します。
その後捕手から内野手、さらには外野手にコンバートされ、2007年にはレギュラーとして定着。お立ち台で「愛の波動砲 G.G.佐藤」と叫び、ユニークな言動でファンからの人気も勝ち取りました。
しかし、順風満帆かに見えたプロ野球人生が暗転したのは2008年の北京五輪。星野監督の起用で慣れないレフトを守った結果、痛恨の3失策で日本代表がメダルを逃した原因の一つとなってしまったのです。
奥さんにただ一言「死にたい」とメールするほど追い込まれてしまったG.G.佐藤。帰国後も数試合は出場しましたが、疲労骨折によりシーズン終盤に登録抹消。ポストシーズンにも出場しませんでした。
その後2009年は規定打席に到達し、打率.291、25本塁打、83打点と活躍しましたが、2010年は極度の不振で夏以降2軍落ち。2011年は本人のケガやチームの若返り策の影響もあり1軍に昇格することなくシーズンを追え、そのまま戦力外。トライアウトに出場するも成果は芳しくなく、獲得に名乗りを上げる球団はありませんでした。
2012年。G.G.佐藤はイタリアへと渡りました。イタリアのプロ野球チームであるフォルティチュード・ボローニャに入団したのです。
偶然私はゴールデンウィークにイタリア旅行を計画しており、G.G.佐藤の件を知ってボローニャに立ち寄ることにしました。
インターネットで球場の場所や試合の日程を調べ、ボローニャで行われた試合を観戦したのです。
イタリアでG.G.佐藤に会ってきた! イタリア野球観戦記 前編
イタリアでG.G.佐藤に会ってきた! イタリア野球観戦記 後編
ボローニャではG.G.佐藤のプレーする姿だけでなく、色々お話しすることもできました。
「好きな野球を嫌いになったまま現役を終えたくない」という理由でイタリア行きを決意したというG.G.佐藤。
全身全霊を賭けて取り組むほど好きだった野球を嫌いになってしまう。野球人としてこれほど不幸なことがあるでしょうか。
G.G.佐藤は遠くイタリアの地で、好きだった野球を「取り戻した」のです。
帰国後観戦記をアップしたところ、大きな反響をいただきました。
G.G.佐藤本人も私の記事を読んでくれたそうで、とても喜んでいたと私の後にボローニャを訪れた方から教えてもらいました。
とても嬉しいですね。ブロガー冥利に尽きます。
もしG.G.佐藤が悲壮感あふれる表情でプレーしていたらこの記事を書こうとは思わなかったでしょう。
G.G.佐藤はとても楽しそうにプレーしていました。だからこそ、「G.G.佐藤は日本を追われて失意のどん底にいるのではない。イタリアで好きな野球を取り戻し、心の底から野球を楽しんでいるのだ」ということを多くの方に知ってほしいと思い、この記事を書いたのです。
そして私とG.G.佐藤との間の奇妙な縁も、ボローニャから始まりました。
時は進み2012年9月。イタリアになじんでいたはずのG.G.佐藤がリーグ戦終了後解雇されてしまいました。
なぜ?G.G.佐藤がボローニャを解雇された!
球団側は「G.G.佐藤がリーグ戦終了後に行われるカップ戦、コパ・イタリアへの帯同を拒否したため」と説明していますが、この試合に外国人選手は出場できません。
そのため最初は帯同を免除されていたようですが、直前になってコーチとして帯同を求められ、G.G.佐藤がそれを拒否して解雇という流れが正しいようです。
喧嘩別れではないらしく、その証拠にボローニャ側は来シーズンも契約したいと言っていたのだとか。
双方のコミュニケーション不足が原因ではないかと思います。イタリアでは日本の常識が通用しませんから、こうしたトラブルもやむを得ないでしょう。
日本に帰国したG.G.佐藤は富山県のクラブチームであるロキテクノ・ベースボールに入団しました。
このまま現役を終えるかに思われましたが、西武時代の恩師である伊東勤が千葉ロッテマリーンズの監督に就任して事態は一変。
伊東監督の誘いでG.G.佐藤はロッテの入団テストを受けることになりました。
G.G.佐藤が千葉ロッテの入団テストに登場。鴨川キャンプレポート
ボローニャのユニフォームで参加したG.G.佐藤は紅白戦でタイムリーヒットを放つ活躍を見せ、G.G.佐藤復活をアピールしました。試合後のマスコミによるインタビューでは「現役を続けたい。最後は出身地の千葉でプレーしたい」と話し、その後は球場外に集まったファンに丁寧にサインしていました。私のことも覚えていてくれて「マリンブルーの風さんですよね。ブログ読んでますよ」と声をかけてもらいました。
2013年 千葉ロッテマリーンズ薩摩川内キャンプレポート その3
2013年は2軍スタート。2軍のキャンプ地である薩摩川内でG.G.佐藤と会いました。
練習後に話す機会があり、G.G.佐藤から「パスクチ好きなの?なんで?」
と聞かれました。このブログをイタリア野球観戦記以外も読んでくれたのですね。驚いてしまいました。
2013年のシーズンが開幕。主に2軍での出場となりましたが、8月からに1軍に定着し、楽天戦で辛島から満塁ホームランを放ちました。
G.G.佐藤が初回に満塁ホームラン!信じていたぞG.Gを!
8月29日には伊東監督の誕生日パーティでケーキをぶつけるサプライズ。チームの心を一つにしました。
誕生日の伊東監督に顔面ケーキ (ニッカン)
51歳の誕生日を迎えた伊東監督が、手荒い? サプライズで祝福された。
練習前に選手、スタッフがそろった食堂に呼ばれると、岡田幸文主将(29)が「監督、51歳、おめでとうございます!」とあいさつ。「せーのっ」の掛け声で、全員が「ハッピーバースデー、ディア、つとむー」と息のそろった歌を披露した。
と、ここまでは普通のサプライズ。歌い終わるとすぐさま、陰に隠れていたG・G・佐藤外野手(35)が登場し、監督に顔面ケーキをお見舞いした。
伊東監督は顔中生クリームまみれで笑顔を見せ、「今日はおれの誕生日やけど、この秋をみんなの誕生日として一緒に祝いたい。優勝して祝いましょう」と喜んだ。
退出する際、中村武志バッテリーコーチ(46)が「G・G、明日抹消!」と大声で言い捨てると、会場は爆笑に包まれた。
大役を果たしたG・G・佐藤は「ただケーキだけじゃフトゥー(普通)すぎるので。いつ2軍に落ちてもいい選手と言ったら僕しかいないでしょう!使命感で(ぶつけ役を)買って出ました」とユーモアたっぷりに振り返った。
8月30日にはマリンで2号ソロを放ち、ついに本拠地マリンでお立ち台に立ちました。
そして雨天中止となった9月8日の試合では雨の中のヘッドスライディングで観客を沸かせました。
G.G.佐藤は「千葉のために」と書かれたTシャツを見せ、ファンへの感謝を表していました。
そしてクライマックスシリーズ。セカンドステージに進んだものの敗色濃厚。負けたら終わりの一戦でG.G.佐藤がやってくれました。辛島から逆転スリーランホームランを打ったのです。
ライトスタンドで見ていた私は人目もはばからず泣きました。
よくやってくれたG.G.佐藤。G.G.佐藤のこれまでの苦労が報われた瞬間だ!
誰も信じなくても、私はG.G.佐藤を信じていました。必ずやってくれる。チームを救う一打を放ってくれると。
残念ながら負けてしまいましたが、G.G.佐藤の一発はすばらしかったです。
G.G.佐藤逆転ホームランも及ばず、楽天に逆転負け。CS敗退で今シーズン終了
2013年のシーズンが終わってもG.G.佐藤の活躍は終わりません。
当時流行っていたAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」とのコラボ動画企画。曲に合わせて様々な人たちが踊るというものです。
それのロッテ版を作ろうとG.G.佐藤が企画し、選手や球団を巻き込んで見事実現させたのです。動画は大きな話題となり、再生回数は100万を超えました。
宣伝効果は抜群。お金では換算できない働きだったと思います。
恋するフォーチュンクッキー マリーンズver.
2013年鴨川秋季キャンプレポート その3 G.G.佐藤に注目編
秋の鴨川キャンプでもハツラツと練習に取り組むG.G.佐藤。
練習中に声をかけていただきました。
「マリンブルーさん!今年は活躍できなくてすみません」
「そんなことありませんよ。CSの逆転ホームランは感動しました」
「でも負けちゃいましたから」
「勝てばスポーツ紙全紙1面だったろうし、本当に残念でしたね。来年こそ日本一獲りましょう」
「頑張ります」
G.G.佐藤はこんなことも言っていました。
「俺、マリーンズに馴染んでますか?」
当然私は答えました。
「めちゃくちゃ馴染んでますよ!」
自分がファンに受け入れられているのか、不安だったのでしょうか。
しかし、それは杞憂です。CSでのホームランや恋チュン動画の件でファンの人気は間違い無く上がっていました。
だからこそ、オフのトークショーにも呼ばれたのです。
12月に船橋のららぽーとで古谷とG.G.佐藤によるトークショーが行われました。禁断の質問が出てしまいましたが、G.G.佐藤は落ち着いて回答していました。
G.G.佐藤と古谷のトークショーで禁断の質問が!
ロッテ・GG佐藤、少年ファンからの“禁断”の質問に絶句 (サンスポ)
ロッテのG・G・佐藤外野手(35)が、少年ファンからの“禁断”の質問に絶句した。
22日、千葉・船橋の「ららぽーとTOKYO−BAY」で古谷拓哉投手(32)とトークショーを行い、市川出身のG・Gは「ららぽーとは、よくデートスポットに使っていました」とオープニングからノリノリ。ところが野球教室で少年ファンから「どうやったらフライを捕れますか?」と、まさかの質問が飛び出した。
2008年の北京五輪で、飛球を2度落球したことで有名なG・Gは「トラウマがあるんで…。ヤバイね。勇気を振り絞ってしゃべるか」と苦笑いすると、観客は爆笑。
「フライは必ず落ちてくるので、自分から捕りにいってはダメ。後ろの打球は半身になって下がって。僕が言うのも何なんですけど、たくさんノックを受けて上手くなって下さい」と丁寧に答えた。
G.G.佐藤と古谷のトークショー その1
G.G.佐藤と古谷のトークショー その2
G.G.佐藤と古谷のトークショー その3
2014年マリーンズ石垣島キャンプレポート その3 2月9日は雨模様、午後の全体練習で新外人が登場
年が明けて2014年。石垣島で行われた春季キャンプ
G.G.佐藤は2軍組で練習に励みましたが、1軍に合流することなくキャンプを追え、シーズンも2軍スタートとなりました。
2軍でのG.G.佐藤は代打での出場が多く、しかも足の怪我で離脱するなどツキもありませんでした。
7月には「妄想のすすめ 夢をつかみとるための法則48」という本を出版。自己啓発本という体裁ですが、実際は自叙伝に近い内容でした。
ケガが治った夏以降も代打としての出場が多く、なかなか結果を出すことができません。シーズン通じての成績は62試合に出場して106打数25安打、打率.236、3本塁打、19打点。かつてのパワーは鳴りを潜め、さびしい成績に終わりました。それでもファンからの人気は衰えず、2軍戦でも一番の声援が送られ、先日マリンで行われた西武との最終戦後のエール交換では西武応援団からG.G.佐藤の応援歌が演奏され、双方のファンが大声でG.G.佐藤の応援歌を歌っていました。
そしてシーズン終了後、G.G.佐藤は戦力外通告を受け、引退を決断しました。
おそらくG.G.佐藤本人もある程度覚悟をしていたのではないかと思います。
本を書いたのもこれまでの野球人生の総決算ということでしょう。
今年は井上という右の大砲がルーキーとして入団し、キャラがかぶるG.G.佐藤にとっては厳しい1年でした。球団は井上を育てるという方針でしたし。
チームの成績も低迷し、ヴェテランの一振りが必要になる場面もあまりありませんでした。
そして井口やサブローがどんなに不調でも1軍を抹消されず、ヴェテラン枠を塞いでいたのもG.G.佐藤にとって不利に働きましたね。
ケガをした井口が1軍に居座ることなく治療に専念していれば、G.G.佐藤の出番があったかもしれません。
サブローも出番が無いのにずーっと1軍にいましたから・・・。
G.G.佐藤の戦力外はファンとして無念ですし、まだやれるのではないかと思います。
ですが本人が決めたことですから、仕方ありません。
私は西武時代からのファンではありませんが、イタリアでお会いしてファンになり、ブログや野球場でG.G.佐藤の応援をしてきました。
「イタリアから千葉ロッテマリーンズまでの3年間が野球人生で1番楽しかった!」
最後にこう言ってもらえたのは、マリーンズファンとして嬉しいですね。
ブログを書くことで少しはG.G.佐藤の役に立てたかな、と思います。
どんな逆境に陥っても、信念を曲げずに進み続け、最後は「野球が大好きだ」と言って現役を終える。
同世代の男として、G.G.佐藤の野球人生は考えさせられる点が多いです。
世紀の大失敗で周囲から叩かれ、ライオンズをクビになっても、野球をあきらめなかったG.G.佐藤。
あきらめなかったからこそイタリアで野球人としてよみがえり、マリーンズに入団してヒーローインタビューという晴れ舞台に立つことができました。
何かをあきらめながら生きている私のような凡人からすると、G.G.佐藤の行き方はまぶしく映ります。
同じ経験をしたいかと問われれば答えはNOですが。
今後G.G.佐藤はどうするのでしょうか。
G.G.佐藤の父親は会社を経営しています。
市川に本社がある「トラバース」という会社で、G.G.佐藤がイタリアでプレーしていた時にはチームのユニフォームに広告を出していました。
業務内容は測量調査、地盤調査、地盤補強工事。全国に拠点を持ち、年間売上131億円の優良企業です。
社長さんはG.G.佐藤そっくりですね。
やはりG.G.佐藤は父親の会社を継ぐことになるのでしょうか。
いきなりトラバースに入社するのか、外部で勉強するのかはわかりませんが、G.G.佐藤の第二の人生を心から応援したいと思います。
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残念ですが引退は仕方ないです
ですが 残念・・・
とにかくスターが また一人いなくなるのは サミシィー!