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東日本大震災から5年。
地震と津波で大きな被害を受けた東北地方は復興への歩みを着実に進めています。
しかし、廃炉作業が続く福島第一原子力発電所周辺の放射線量は以前より下がったものの、今だまだまだ人が住めるレベルにはなっていません。
原発周辺は帰還困難区域に指定され、住民が帰還するための目処は立っていないのが実情です。

2014年9月に国道6号線の通行規制が解除され、2015年1月から常磐線の不通区間を結ぶ代行バスが走り出しています。
私は2016年2月末に竜田駅と原ノ町駅を結ぶ常磐線代行バスに乗り、福島第一原子力発電所周辺の帰還困難区域を通り抜けてきましたので、今回はそのレポートをしたいと思います。



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2016年2月27日。いわき駅を7時50分に出発する常磐線の下り列車に乗り、いわきから7駅目の竜田駅にやってきました。
上野から列車で行けるのはこの楢葉町にある竜田駅まで。現在竜田駅〜原ノ町駅間と相馬〜亘理駅間が不通となっており、バスによる代行輸送となっています。
相馬〜亘理駅間は1時間に1本程度バスが動いていますが、帰宅困難区域を通る竜田駅〜原ノ町駅間は1日2往復のみ。途中駅には一切停車せず、ノンストップ運行となっています。

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竜田駅には8:23に到着。原ノ町駅行きのバスは9:35発です。
竜田駅は3番線しか使われておらず、仮設の連絡橋で駅舎へと向かいました。

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跨線橋は封鎖されています。

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竜田駅の駅前。駅前は建物の解体工事が行われています。原発で働く人たちでしょうか。作業服姿の人たちが会社の車に乗って消えて行きました。

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駅舎には楢葉町により写真が展示されています。

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ならは応援団の取り組みについての紹介。

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2015年9月5日に楢葉町内の避難指示が解除されました。しかし実際に避難先から帰還した住民は少数にとどまるようです。

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楢葉町発行の災害記録誌。避難の様子や町の職員たちの葛藤など、生々しい内容でした。

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竜田駅の時刻表。本数がだいぶ減っています。

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この日の竜田駅の空間線量率は毎時0.15マイクロシーベルト。千葉県船橋市は毎時0.07マイクロシーベルトですからほぼ倍です。

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竜田駅前。避難指示は解除されたものの、人の気配がほとんどありません。
しかし住宅の新築工事が始まっている箇所もあり、帰還への取り組みは徐々に進んでいるようです。

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竜田駅前のバス停。

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放射線量についての案内がありました。
帰還困難区域の空間線量率は毎時0.31〜14.7マイクロシーベルト。平均で毎時3.5マイクロシーベルト。
楢葉町から南相馬市まで国道6号線を走りぬけた場合の被ばく線量は12マイクロシーベルトです。
ちなみに飛行機で東京とニューヨークを往復すると200マイクロシーベルトとなります。

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バスがやってきました。大型の観光バスです。
代行バスなので常磐線の切符を見せて乗車。運転手のほかにガイドさんが1名乗車します。

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9:35。12人の乗客を乗せて出発。地元の方や観光客です。
車内には空間線量率を示すモニターがありました。

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バスは南相馬市の原ノ町駅に向け、国道6号線を北上します。

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福島第二原子力発電所の看板がありました。

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不通となっている常磐線の線路。全線開通に向けて除染作業が行われています。

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富岡町に入りました。全域が避難対象地域ですが、避難指示の解除に向け復興が進められています。

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しかし、帰還困難区域も多く、道のりは険しいようです。

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工場がありました。

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閉鎖されたままのスーパー。

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国道6号線は交通量が多く、ダンプカーやミキサー車が目立ちます。

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いよいよ帰還困難区域に入ります。立ち止まることはもちろん、窓を開けることもできません。

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富岡町の帰還困難区域に入りました。この先はバイクや歩行者の立入りはできません。

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人が住めない場所ですが、交通量は多いです。原発の廃炉作業や除染作業など、様々な目的でトラックが走っています。

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震災で破壊されたままの建物。敷地への入口は固く封鎖され、中に入ることは出来ません。

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除染で発生した汚染土を保管する広大な貯蔵施設。

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福島第一原子力発電所がある大熊町に入ります。

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息を飲む光景です。国道の両側に住宅が並んでいるのですが、バリケードで塞がれて中に入ることはできません。

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5年前まで普通に住んでいたはずなのに、ある日突然日々の暮らしを奪われ、避難せざるを得なくなった人々の家です。
日常生活を突然奪われる苦しみと悲しみは我々には想像しがたいものがあります。いつまで避難を続けなければならないのか。それは誰にも分かりません。

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ある日突然ゴーストタウンとなってしまった街。原発事故がもたらした恐ろしい被害の実態がここにあります。

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福島県原子力センターの看板がありました。

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国道6号から分岐するすべての道はこのように封鎖されています。

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除染作業に従事する人たち。白い防護服に身を包んでいます。

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福島第一原子力発電所付近。空間線量は毎時3.5マイクロシーベルト。国が示した安全とされる基準は年間1ミリシーベルト、すなわち毎時0.23マイクロシーベルト。これの13倍という極めて高い数値です。通過するだけなら問題ないのでしょうが、居住は困難です。

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色あせた原子力の文字。

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ガイドさんが「そろそろ福島第一原発が見えてきますよ」と言うので右を向きました。
森の向こうに見える煙突が福島第一原子力発電所の煙突です。

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原子力発電所の関連施設でしょうか。懸命の廃炉作業で放射線量はかなり下がったものの、今だ廃炉への道筋は不透明なままです。

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双葉町へ。

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原発から離れると空間線量が下がり、毎時1.3マイクロシーベルトになりました。

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このあたりはまだ帰還困難地域。道路も封鎖されています。

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人の気配が全く無い、ただ通るだけの道が続きます。

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浪江町に入り、帰還困難区域を抜けました。

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結婚式場が復興作業の拠点となっているのでしょうか。車が止まっています。
久々に人の気配を感じ、ほっと一息つきました。

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帰還困難区域を抜けると、今度は東日本大震災の津波により浸水した地域に入ります。

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汚染土を保管する広大な保管場。国道6号線沿いにはいくつもこのような施設がありました。

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地震と津波で破壊されたままのお土産屋。

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ここにも汚染土の保管場所がありました。除染が進めば汚染土はどんどん増えていきます。貯蔵はどうするのでしょう。

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バスは南相馬市に入りました。ここまで来れば普通の街並み。人々が普通の暮らしをしています。

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10:45にバスは原ノ町駅に到着。約1時間半のバスの旅が終わりました。

以上、帰還困難地域を行くバスの乗車レポでした。
福島第一原子力発電所の事故はまだ終わっていません。
日本人として、一度は訪れる場所ではないかと思います。

なお、次回は原ノ町からさらに北上し、廃止直前のはまなす号で札幌へと向かいます。