(*´エカ`)

巨人とロッテで選手として活躍し、その後千葉ロッテマリーンズで5年間監督を務めた山本功児氏が64歳の若さで亡くなられました。

昨日の試合では山本功児終身名誉監督への黙祷が行われ、ライトスタンドからは「山本マリーンズ」コールが沸き起こりました。



山本マリーンズ。
懐かしい響きです。
1999年から2003年まで指揮を執った山本監督。
私がマリーンズのファンになったのは1998年の18連敗がきっかけですが、マリーンズに人生を捧げるほどのめりこんでいったのは山本マリーンズがきっかけでした。
山本マリーンズの思い出は、かつてこのブログにまとめました。
山本マリーンズを振り返りたいという方は、こちらの記事をお読みいただければと思います。


語り継ぎたい 山本マリーンズの話

1999年の山本マリーンズ

2000年の山本マリーンズ

2001年の山本マリーンズ

2002年の山本マリーンズ

2003年の山本マリーンズ




この動画を見ると思い出します。
我が青春の山本マリーンズ。
楽しかった思い出が、次々と心に湧き出してきます。

正直なところバレンタイン政権末期や西村政権末期の閉塞感にうんざりするあまり、過去の山本マリーンズの思い出がかなり美化された面はあるでしょう。

確かにチームは弱かったですよ。5年連続Bクラスですし。
リーグ優勝など夢のまた夢。勝率5割すらはるか遠い世界の話でした。

ああ、弱小不人気球団山本マリーンズ。
山本監督も決して名将ではありませんでした。
采配批判もかなりありましたね。ベテランを偏重しすぎましたし、感情が優先する起用もありました。
何より球団フロントにやる気がありませんでした。

ですが、山本マリーンズには不思議な魅力がありました。
長所も短所もある人間臭い選手たち。山本監督は感情をあらわにし、名コメントや迷コメントを放つ。
たとえ勝てなくても、チームが弱くても、声を限りに声援を送りたくなる何かが、あの時のマリンスタジアムには確かにあったのです。

なぜ山本マリーンズはファンの心をひきつけたのでしょうか。
おそらく山本監督の人柄が大きかったでしょうし、それ以上に山本監督がチームを、そして選手を心から愛していたからだと思います。
試合に勝てば、ファンの「山本マリーンズ」コールに手を振って応えてくれました。当時そんな監督はほかにいなかったと思います。あの笑顔を見れば、どんなに采配に文句を言っていたとしても、応援しようという気になったのです。

そして選手へのコメントも熱かった。選手を叱咤激励し、守ろうとしてくれていました。
堀選手が活躍すれば、「堀が本気を出せば誰もかなわないんだ!」と喜びをあらわにしていた山本監督。
そして後藤投手がイチローに「あの程度の投手に抑えられるのが一番腹が立つ」とバカにされれば、「あの程度とはなんだ!」と本気で怒っていた山本監督。
熱血指導には定評があり、多くの選手に慕われていました。

ヴェテラン偏重といわれつつも、野手では福浦、サブロー、里崎、大塚、渡辺正人、橋本将、今江、西岡。投手では小林雅、小林宏、渡辺俊、清水直、小野といった、2005年の優勝を支えた主力メンバーが育っていきました。

2003年の最終戦。退任する山本監督は胴上げしようとする選手を制し、こう言いました。

「胴上げするのは次の監督にやってくれ。本当にやってやってくれ。ありがとう。」

マリーンズが優勝し、バレンタイン監督が宙を舞ったのはその2年後のことでした。
きっと山本監督の言葉はただの願望ではなく、自分が育てた選手たちが必ず栄光をつかんでくれると確信していたのだと思います。
どんなにチームが低迷しても決してあきらめることなくチームを鼓舞し、選手を信じ続けたのが山本監督なのですから。

もう、山本功児終身名誉監督がマリンに姿を現すことはありません。
私が夢想した第2次山本政権の誕生もついにかなわぬ夢となりました。

今後「エカマンセー」とか、「やはり第2次山本政権しかない!」と叫ぶたびに思うのでしょう。
ああ、山本功児はもういないんだ、と。


とにかくショックです。
悲しみと、喪失感と。
様々な思い出が胸を去来し、うまく言葉がまとまりません。

早すぎますよ。
私の父親と同世代ではありませんか。

福浦の2000本を見届けてほしかった。
「あいつは俺たちがどれだけ期待してるかわかっていない」と山本監督に叱咤激励され続けたサブローの現役生活を見届けてほしかった。
マリーンズの悲願であるリーグ1位。そしてマリンでの胴上げを見てほしかった。
そしてなにより息子の武白志君がベイスターズの1軍で活躍する姿を見届けてほしかった。

残念です。
今はただ、山本功児元監督に心よりご冥福をお祈りいたします。
そしてマリーンズを愛してくれたありがとうと、心からの感謝を送りたいです。
山本監督の思いが花開き、マリーンズは昔からは考えられないほどの人気球団となりました。
ファンや選手たちが入れ替わっても、チームを愛する思いは受け継がれていきます。
山本監督から受け継いだチームを愛する熱い心を失うことなく次の世代に伝えていくこと。
すなわち、「山本イズム」の継承。
これが山本マリーンズ世代のファンに課せられた使命なのかもしれませんね。
これからも「山本イズム」を心に刻み、ブログを更新していきたいと思います。

山本監督、お疲れ様でした。
今シーズンの終わりに良い報告ができるよう、ファンとしてマリーンズを力の限り応援します。



福浦「打者転向…自分にとっての恩人」 サブロー「すべてのことを教えてくれた」 (産経)

 福浦和也選手の話「自分にとっては投手から野手への転向をすすめてくれたのが、当時2軍打撃コーチの山本さんでした。今の自分があるのも山本さんのおかげ。自分にとっての恩人です。野球人生の最後まで見届けてほしかったのですが、寂しいの一言です」

 サブロー選手の話「自分がロッテに入団したときからファームで全てのことを教えてくれた父親みたいな存在の人。悲しい気持ちでいっぱいです。ここまで野球を続けられている今の自分があるのも、山本さんのおかげ。息子さんがプロの世界に入って楽しみにしていたと思いますが、本当に残念です」



山本氏の死去に教え子ら別れ惜しむ…小林雅「功児さんのおかげで今の立場に」 (サンスポ)

元ロッテ監督の山本功児氏の死去を受け、ロッテ時代の教え子ら関係者が別れを惜しんだ。

 ロッテの小林雅英投手コーチは「僕を育てて、我慢して使ってくれた方。ご冥福を祈るしかない」と肩を落とした。小林コーチを抑えとして起用したのが当時ロッテ監督の山本氏だった。通算228セーブを挙げ「功児さんのおかげで今の立場にいる」と話した。

 ロッテの堀幸一打撃コーチは「非常に熱い方だった。ゆっくり休んでいただきたい」と語り、サブロー外野手は「全てのことを教えてくれた父親のような存在。悲しい気持ちでいっぱい」と惜しんだ。

 巨人時代の同僚で、現在は山本氏の長男、武白志内野手を育成選手として預かるDeNAの高田繁ゼネラルマネジャーは「2週間前に電話があって、息子を厳しく指導してくれと言われた。息子を教えたりしたかっただろう」と語った。


故山本功児氏の通夜…長男「とにかく厳しかったけどすごく優しかった」 (サンスポ)

プロ野球ロッテで監督を務め、23日に肝臓がんのために64歳で死去した山本功児氏の通夜が25日、横浜市内の斎場で営まれた。DeNAに育成選手として所属する18歳の長男武白志選手は「最後は手を握った。父がいなかったら野球をやっていない。とにかく厳しかったけど、すごく優しかった」と思い出を語った。

 武白志選手は福岡・九州国際大付高で昨夏の甲子園大会に出場。山本氏は体調の優れない中で応援に駆けつけた。「命懸けで甲子園に来てくれた。(死去は)少し早いですね」と沈痛な表情を浮かべた。

 巨人で選手時代の山本氏を指導した長嶋茂雄元監督や、元同僚のDeNAの中畑清前監督、高田繁ゼネラルマネジャー(GM)ら約400人が参列。指導を受けたロッテの福浦和也選手は「功児さんには感謝しかない。今も信じられない」と声を震わせ、中畑氏は「兄弟のように過ごしてきた。熱い面も優しい面も見てきた」と故人をしのんだ。



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