このほど球団が伊藤義弘投手(34)、木村優太投手(31)、川満寛弥投手(25)、吉原正平投手(27)、香月良仁投手(32)、青松慶侑内野手(29)、大松尚逸内野手(34)の7人に戦力外通告を発表しました。
伊藤ら6人に戦力外通告「覚悟はあった。トライアウトには参加します」(報知)
ロッテ大松が現役続行を希望「別の形で元気な姿を」(ニッカン)
ここ数年大卒や社会人出身選手の見切りが早いです。成長が望めなかったり、成長していても上積みが望めない選手は数年で解雇されてしまいますね。
木村優太は東京ガスからの2008年ドラフト1位。2006年のドラフトでは在京パリーグ希望という聞きなれない希望を出して注目を浴びたものの、指名は横浜。木村は入団を拒否しました、その後2007年に西武が木村に栄養費として現金を渡していたことが発覚、謹慎と対外試合禁止が通達されました。
その後満を持して在京パリーグのロッテに1位指名され入団するのですが、長身を全く活かせない軟投派のピッチャーになってしまいました。
ルーキーの2011年には13試合に登板し防御率3.38を記録しましたが、2012年はわずか4試合の登板に終わり、2013年には1軍登板すらありませんでした。
2014年には負け試合を中心に19試合に登板も防御率5.35。2015年4月8日にはオリックス戦に先発し5回を1失点に抑えようやく初勝利を飾りました。
しかし1軍には定着できずわずか5試合の登板に終わり、22016年も敗戦処理で6試合の登板。
ドラフト1位が30歳を過ぎて敗戦処理をやっているようではいけません。
残念ながら、入団時に色々騒がれた割には結果を出すことができませんでした。
川満寛弥は2012年に九州共立大学からドラフト2位で入団。伸びのあるストレートとカーブが武器のピッチャーでした。
首脳陣の期待も高かったのですが、度重なる怪我に泣かされました。
川満の弱点は制球の悪さ。2014年と2015年は2軍でイニング数を上回る四球を出し、防御率も9〜10点台。これでは使い物になりません。
2016年もなぜか首脳陣の評価は高くキャンプは1軍スタートでした。
しかしラミゴとの練習試合でもノーコンぶりを発揮、結果を出せずにキャンプを終えました。
シーズン中は2軍の先発を務め21試合に登板。100イニングを投げ被安打103、64四球ですからとても評価できません。CS前に1軍で投げさせるという話もありましたが、結局1軍登板のないまま解雇となっています。
CS進出決定後 ロッテ川満1軍初登板へ (スポニチ)
吉原正平は2013年に日本生命からドラフト4位で入団。即戦力の中継ぎとして期待されました。
2014年のオープン戦で好投し開幕1軍の座をつかみ、4月5日の日ハム戦では同点の場面を抑えてプロ初勝利を挙げました。
と、ここまでは良かったのですが、その後はノーコンぶりを発揮して炎上が続き2軍落ち。結局6試合に登板して防御率9.64でした。
翌2015年はキャンプ中に左ひざの半月板を負傷し1年をリハビリに当てる羽目になりました。
2016年は2軍で25試合に投げるも防御率4.67と振るわず。これ以上の成長は見込めないと判断されたのでしょうか。わずか3年で解雇されてしまいました。
川満と吉原の獲得は失敗だったと言わざるを得ません。特に川満はなぜ2位なのか。
スカウティングスタッフの改善が望まれます。
香月良仁は社会人クラブチームの熊本ゴールデンラークスから2008年のドラフト6位で入団。
スーパーでコロッケを揚げながら野球を続けた苦労人として注目されました。
入団後は伸び悩んだものの、2015年にはカーブやチェンジアップを武器に同点やビハインド時の中継ぎとして活躍。40試合に登板し防御率2.92という好成績を残しました。
このまま1軍に定着するかと思われましたが、2016年は絶不調。
出ると打たれる試合が続き、11試合で防御率8.44。2軍でも好投できず、今年限りで解雇されてしまいました。
なぜ1年でこうも変わってしまったのか。わからないものです。
青松慶侑は2004年に上宮太子高校からドラフト7位で入団。強打の捕手で、古賀2軍ヘッドコーチから「城島をしのぐセンスの持ち主」として期待をかけられました。
2006年9月26日の西武戦でプロ初出場を果たすも死球。
2007年以降2軍で活躍するも里崎らの厚い壁に阻まれ1軍出場のないまま年数だけが経過しました。
2013年には内野手に転向。2軍でホームランを量産し、7月31日にようやく7年ぶりの1軍昇格を果たしました。
8月3日のオリックス戦では猛打賞を記録。ヒーローインタビューを受けています。
しかし2014年以降も1軍定着はできず、2016年は1軍出場無し。キャンプ中にケガをしてしまったのも響きましたね。バッティングに光るものを持ちながらも、運に恵まれなかった選手だと思います。
そんな青松が一番輝いたのは2015年に行われた台湾ラミゴとの練習試合でヒーローになったことですね。
この妙な踊りが台湾人の心をつかんだのです。
台湾での知名度を生かし、台湾球界に挑戦するという選択肢もありそうです。
伊藤義弘はJR東海から2007年の大学・社会人ドラフト4巡目で入団。
2005年の日本一を支えたコバマサ、薮田、藤田が抜けたマリーンズ中継ぎ陣を支える獅子奮迅の活躍で、2008年から2011年まで4年連続して50試合以上に登板しました。
特に2010年の下剋上は伊藤無くして語れません。日本シリーズでは見事な送りバントも決めましたしね。
しかし、2011年9月1日の日ハム戦で陽の折れたバットが左足を直撃。これがケチのつき始めでした。
2012年は右肩痛や腰の痛みなど故障に悩まされてわずか6試合の登板。
2013年も炎上続きで活躍できず、オフには肩の手術を受けました。
2014年委1軍復帰しますがかつての輝きは戻らず、2016年はついに1軍登板なし。自由契約となってしまいました。
伊藤は200年代後半のマリーンズを支えてくれた功労者です。
本来ならばマリンで引退試合を行える選手なのですが、本人は現役続行を希望しています。
高木晃次のように、どこかで息を吹き返せるのか。伊藤の挑戦を見守りましょう。
そして大松。こんなことになってしまい残念です。
東海大学からドラフト5巡目で入団し、竹原とともに和製大砲として期待されました。
福浦、大松、竹原の和製クリーンアップを期待したファンも多かったでしょう。
2006年には4月15日の西武戦でプロ初ホームランとなる満塁ホームランをかっ飛ばし、その後も満塁で活躍したことから満塁男と呼ばれました。
2008年には5番打者として活躍し24本塁打。2009年には19本塁打。このままマリーンズの主軸として活躍してくれると思われました。
大松にとって不幸だったのは2010年から就任した金森打撃コーチの打撃理論が全く合わなかったことです。
金森の打撃理論はボールをできるだけ体の近くまで引き付けて打つという、体の前でボールをさばく大松の打撃とは全く逆のものでした。
2010年は16本塁打を放ったものの、2011年以降は大きく成績を落としてしまいました。
完全に自分のバッティングを見失った大松。
2011年には角中らにおされてスタメンの座を奪われわずか2本塁打。
2012年に外野からファーストにコンバートされましたが、深刻な打撃不振から抜け出せないまま1年を終え、わずか5本塁打。
2013年はファーストにコンバートされた井口、新外国人のブラゼルとの競争に負けて出番を減らし、ついにホームラン0で終わってしまいます。
2014年も打率1割台と絶不調。井口やハフマンにファーストの座を奪われました。
2015年はわずか18試合の出場。2008年の輝きは完全に失われました。
2016年は2軍で当初打率3割をマークしたものの。5月31日にアキレス腱を断裂。シーズン絶望の大けがを負ってしまいました。
てっきりもう1年待ってくれると思いましたが、プロは甘くありませんね。
1人だけ戦力外の発表が遅れたのは、球団側が引退とスタッフへの転身を求めていたからではないかと思います。
あくまでも現役にこだわる大松ですが、正直厳しいでしょう。
ファンが大松に賭けた夢は宙ぶらりんになってしまいました。
同じ東海大学出身の原監督が巨人にいる間にトレードしていれば違った野球人生になったかもしれませんね。
入ってくる選手がいれば、出ていく選手もいる。
チームが前に進むためにはやむを得ないことです。
第2の人生に幸あらんことを祈りましょう。
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伊藤ら6人に戦力外通告「覚悟はあった。トライアウトには参加します」(報知)
ロッテは1日、さいたま市のロッテ浦和球場内で伊藤義弘投手(34)、木村優太投手(31)、川満寛弥投手(25)、吉原正平投手(27)、香月良仁投手(32)、青松慶侑内野手(29)の6人に戦力外通告を行った。6選手は現役続行を希望している。
2010年の日本シリーズ第7戦で胴上げ投手となった伊藤は「34歳で1軍に上がっていないので、覚悟はあった。トライアウトがあるので、それには参加したいと思います。そこで声がかからなかったら引退します」と話した。
ロッテ大松が現役続行を希望「別の形で元気な姿を」(ニッカン)
ロッテ大松尚逸内野手(34)が2日、戦力外通告を受けた。
5月29日のイースタン・リーグ楽天戦で右アキレス腱(けん)を断裂。手術を受け、リハビリ中だった。大松は現役続行を希望し、今後はリハビリのペースを上げながら、移籍先を探す。「マリーンズファンの皆様には長い間、いつも熱く応援をしていただき、感謝の気持ちしかありません。マリーンズのユニホームでプレーしている姿をもう1度、お見せすることができなかったことは残念ですが、別の形で元気な姿をお見せできるよう頑張ります。本当にありがとうございました」とコメントした。
ここ数年大卒や社会人出身選手の見切りが早いです。成長が望めなかったり、成長していても上積みが望めない選手は数年で解雇されてしまいますね。
木村優太は東京ガスからの2008年ドラフト1位。2006年のドラフトでは在京パリーグ希望という聞きなれない希望を出して注目を浴びたものの、指名は横浜。木村は入団を拒否しました、その後2007年に西武が木村に栄養費として現金を渡していたことが発覚、謹慎と対外試合禁止が通達されました。
その後満を持して在京パリーグのロッテに1位指名され入団するのですが、長身を全く活かせない軟投派のピッチャーになってしまいました。
ルーキーの2011年には13試合に登板し防御率3.38を記録しましたが、2012年はわずか4試合の登板に終わり、2013年には1軍登板すらありませんでした。
2014年には負け試合を中心に19試合に登板も防御率5.35。2015年4月8日にはオリックス戦に先発し5回を1失点に抑えようやく初勝利を飾りました。
しかし1軍には定着できずわずか5試合の登板に終わり、22016年も敗戦処理で6試合の登板。
ドラフト1位が30歳を過ぎて敗戦処理をやっているようではいけません。
残念ながら、入団時に色々騒がれた割には結果を出すことができませんでした。
川満寛弥は2012年に九州共立大学からドラフト2位で入団。伸びのあるストレートとカーブが武器のピッチャーでした。
首脳陣の期待も高かったのですが、度重なる怪我に泣かされました。
川満の弱点は制球の悪さ。2014年と2015年は2軍でイニング数を上回る四球を出し、防御率も9〜10点台。これでは使い物になりません。
2016年もなぜか首脳陣の評価は高くキャンプは1軍スタートでした。
しかしラミゴとの練習試合でもノーコンぶりを発揮、結果を出せずにキャンプを終えました。
シーズン中は2軍の先発を務め21試合に登板。100イニングを投げ被安打103、64四球ですからとても評価できません。CS前に1軍で投げさせるという話もありましたが、結局1軍登板のないまま解雇となっています。
CS進出決定後 ロッテ川満1軍初登板へ (スポニチ)
ロッテの落合投手コーチがCS進出決定後に4年目左腕・川満を起用することを示唆した。「CSを決めたら川満に投げさせたい」と意向を語った。
川満は12年ドラフト2位で九州共立大から入団し、1軍登板はなし。イースタン・リーグでは今季21試合で5勝4敗、リーグ4位の85奪三振。1メートル86の長身から投げ下ろすカーブが武器で、「カーブが決まれば打たれないと聞いている」と期待した。結果を残せばCSに抜てきされる可能性もある。
吉原正平は2013年に日本生命からドラフト4位で入団。即戦力の中継ぎとして期待されました。
2014年のオープン戦で好投し開幕1軍の座をつかみ、4月5日の日ハム戦では同点の場面を抑えてプロ初勝利を挙げました。
と、ここまでは良かったのですが、その後はノーコンぶりを発揮して炎上が続き2軍落ち。結局6試合に登板して防御率9.64でした。
翌2015年はキャンプ中に左ひざの半月板を負傷し1年をリハビリに当てる羽目になりました。
2016年は2軍で25試合に投げるも防御率4.67と振るわず。これ以上の成長は見込めないと判断されたのでしょうか。わずか3年で解雇されてしまいました。
川満と吉原の獲得は失敗だったと言わざるを得ません。特に川満はなぜ2位なのか。
スカウティングスタッフの改善が望まれます。
香月良仁は社会人クラブチームの熊本ゴールデンラークスから2008年のドラフト6位で入団。
スーパーでコロッケを揚げながら野球を続けた苦労人として注目されました。
入団後は伸び悩んだものの、2015年にはカーブやチェンジアップを武器に同点やビハインド時の中継ぎとして活躍。40試合に登板し防御率2.92という好成績を残しました。
このまま1軍に定着するかと思われましたが、2016年は絶不調。
出ると打たれる試合が続き、11試合で防御率8.44。2軍でも好投できず、今年限りで解雇されてしまいました。
なぜ1年でこうも変わってしまったのか。わからないものです。
青松慶侑は2004年に上宮太子高校からドラフト7位で入団。強打の捕手で、古賀2軍ヘッドコーチから「城島をしのぐセンスの持ち主」として期待をかけられました。
2006年9月26日の西武戦でプロ初出場を果たすも死球。
2007年以降2軍で活躍するも里崎らの厚い壁に阻まれ1軍出場のないまま年数だけが経過しました。
2013年には内野手に転向。2軍でホームランを量産し、7月31日にようやく7年ぶりの1軍昇格を果たしました。
8月3日のオリックス戦では猛打賞を記録。ヒーローインタビューを受けています。
しかし2014年以降も1軍定着はできず、2016年は1軍出場無し。キャンプ中にケガをしてしまったのも響きましたね。バッティングに光るものを持ちながらも、運に恵まれなかった選手だと思います。
そんな青松が一番輝いたのは2015年に行われた台湾ラミゴとの練習試合でヒーローになったことですね。
この妙な踊りが台湾人の心をつかんだのです。
台湾での知名度を生かし、台湾球界に挑戦するという選択肢もありそうです。
伊藤義弘はJR東海から2007年の大学・社会人ドラフト4巡目で入団。
2005年の日本一を支えたコバマサ、薮田、藤田が抜けたマリーンズ中継ぎ陣を支える獅子奮迅の活躍で、2008年から2011年まで4年連続して50試合以上に登板しました。
特に2010年の下剋上は伊藤無くして語れません。日本シリーズでは見事な送りバントも決めましたしね。
しかし、2011年9月1日の日ハム戦で陽の折れたバットが左足を直撃。これがケチのつき始めでした。
2012年は右肩痛や腰の痛みなど故障に悩まされてわずか6試合の登板。
2013年も炎上続きで活躍できず、オフには肩の手術を受けました。
2014年委1軍復帰しますがかつての輝きは戻らず、2016年はついに1軍登板なし。自由契約となってしまいました。
伊藤は200年代後半のマリーンズを支えてくれた功労者です。
本来ならばマリンで引退試合を行える選手なのですが、本人は現役続行を希望しています。
高木晃次のように、どこかで息を吹き返せるのか。伊藤の挑戦を見守りましょう。
そして大松。こんなことになってしまい残念です。
東海大学からドラフト5巡目で入団し、竹原とともに和製大砲として期待されました。
福浦、大松、竹原の和製クリーンアップを期待したファンも多かったでしょう。
2006年には4月15日の西武戦でプロ初ホームランとなる満塁ホームランをかっ飛ばし、その後も満塁で活躍したことから満塁男と呼ばれました。
2008年には5番打者として活躍し24本塁打。2009年には19本塁打。このままマリーンズの主軸として活躍してくれると思われました。
大松にとって不幸だったのは2010年から就任した金森打撃コーチの打撃理論が全く合わなかったことです。
金森の打撃理論はボールをできるだけ体の近くまで引き付けて打つという、体の前でボールをさばく大松の打撃とは全く逆のものでした。
2010年は16本塁打を放ったものの、2011年以降は大きく成績を落としてしまいました。
完全に自分のバッティングを見失った大松。
2011年には角中らにおされてスタメンの座を奪われわずか2本塁打。
2012年に外野からファーストにコンバートされましたが、深刻な打撃不振から抜け出せないまま1年を終え、わずか5本塁打。
2013年はファーストにコンバートされた井口、新外国人のブラゼルとの競争に負けて出番を減らし、ついにホームラン0で終わってしまいます。
2014年も打率1割台と絶不調。井口やハフマンにファーストの座を奪われました。
2015年はわずか18試合の出場。2008年の輝きは完全に失われました。
2016年は2軍で当初打率3割をマークしたものの。5月31日にアキレス腱を断裂。シーズン絶望の大けがを負ってしまいました。
てっきりもう1年待ってくれると思いましたが、プロは甘くありませんね。
1人だけ戦力外の発表が遅れたのは、球団側が引退とスタッフへの転身を求めていたからではないかと思います。
あくまでも現役にこだわる大松ですが、正直厳しいでしょう。
ファンが大松に賭けた夢は宙ぶらりんになってしまいました。
同じ東海大学出身の原監督が巨人にいる間にトレードしていれば違った野球人生になったかもしれませんね。
入ってくる選手がいれば、出ていく選手もいる。
チームが前に進むためにはやむを得ないことです。
第2の人生に幸あらんことを祈りましょう。
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課題であった球威不足に改善が見られなかったのが残念でした。
大学監督の「3年鍛えれば日本を代表する投手になれる」との評価を鵜呑みにはできませんが
入る球団を間違えたというところでしょうか。