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クロアチア・スロヴェニア旅行記の第46回です。
9日目はスロヴェニアの鉄道に乗ります。
ノヴァ・ゴリツァは駅前がスロヴェニアとイタリアの国境となっている不思議な駅。かつてユーゴスラビアだったころは国境に壁が築かれ、自由な行き来ができませんでした。
東西冷戦を象徴する町ノヴァ・ゴリツァを散策します。

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■ 2014年9月21日 日曜日


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13:35にボヒニュ鉄道の中心駅であるノヴァ・ゴリツァ駅に到着。30分ほど遅れています。

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ボヒニュ鉄道はスロヴェニアの首都リュブリャナから海沿いの町コペル方面に向かう路線との乗換駅であるセザーナが終点ですが、全区間を直通する列車は少なく、ほとんどがこのノヴァ・ゴリツァで乗り換えとなります。

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歴史を感じさせる立派な駅舎。ただ、本数が少ないせいかあまり客がいません。

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ノヴァ・ゴリツァ駅の切符売り場。19世紀にタイムスリップしたかのようです。

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気になっていたのはこの後の乗り継ぎ。これから乗るセザーナ行きの発車時刻がドイツ国鉄のホームページとスロヴェニア国鉄配布の時刻表で違うのです。
ドイツ国鉄のHPは14:49発、スロベニア国鉄は14:10発。30分も違います。
駅員に効こうと思いましたが、駅の掲示を見て謎が解けました。駅に掲示された時刻表は14:10の表記がマジックで消され、上を見ろと矢印が書いてあります。時刻表の上を見ると14:49発の列車が運行されていると貼り紙が出ていました。運航時刻の変更ですね。外国なのに情報が早いドイツ国鉄に驚きです。

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30分余裕ができたので、駅前をぶらついてみましょう。駅前広場にモニュメントのようなものがあります。

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駅前広場のモニュメントは国境線を表すものでした。
駅舎はスロヴェニア、駅前の町はイタリア領なのです。

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つまり、駅前から伸びるこの通りはスロヴェニアではなくイタリアです。

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で、この立派な駅舎はスロヴェニア領内です。

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私が今立っているのはイタリア、そして駅舎のある場所はスロヴェニア。島国日本に住んでいるとあまり意識することはありませんが、まぎれもなく私は国境に立っています。

ゴリツァ地方、イタリア語でゴリツィア地方は16世紀よりハプスグルク家の統治を受け、避暑地として栄えていました。またイタリア語やスロヴェニア語、ドイツ語が飛び交う国際都市でもありました。
第1次世界大戦後の1920年にイタリアはゴリツィア地方を併合。その後イタリアの支配下に入りました。
第2次世界大戦が終わるとゴリツィアは英米を中心とする連合国の軍政下に入り、その後1947年にイタリアの支配に戻ることになりました。ただしゴリツィア地方の中心部はイタリア領となったものの、その他の大部分はユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成するスロヴェニアに割譲され、ちょうどボヒニュ鉄道に沿って国境線が定められることとなりました。

1948年にユーゴスラビアは駅の東側の広大な土地に新しいゴリツィアを意味するノヴァ・ゴリツァという新しい都市を建設。東西冷戦の勃発により東西陣営の境目となったゴリツィアの町は完全に分断されることとなりました。2007年まで駅前広場には柵が設置され、自由に往来することができなかったのです。

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駅前のモニュメントには東西冷戦終結とともに国境のフェンスが撤去された時の写真が展示されています。

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国境の策が撤去される瞬間の写真。

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撤去された国境の柵は駅前道路の部分のみで、そのほかの部分は現在も残っています。

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東西冷戦が終結する瞬間。今と異なり駅前も柵で分断されています。

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国境のモニュメントをイタリア側から。

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柵が撤去され、東西冷戦が終結した歴史的瞬間の写真です。
2004年にスロヴェニアがEUに加盟し、国境を分断する壁が撤去されました。
その後2007年にスロヴェニアがシェンゲン協定に加入したため、現在は検問無しで国境を自由に出入りすることができます。
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ノヴァ・ゴリツァ駅の一角には冷戦当時のノヴァ・ゴリツァについて展示する分断博物館があります。入場料は1ユーロ。入ってみましょう。

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分断博物館に入りました。小さな博物館ですが、旧共産圏時代の様々な展示があります。

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東西冷戦で分断されていたころの写真。

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駅前に設置された鉄条網。

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鉄条網で分断された駅前を警備する兵士。同じ町でありながら、国境が設けられ行き来できなくなりました。

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MEJNI PASとはスロヴェニア語で国境地帯を意味しています。

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共産主義国家の象徴である赤い星。

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近現代史について深く考えさせられる展示ですね。

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東西冷戦が終結し、街を分断していた柵が取り壊される瞬間です。

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柵を隔てて握手をする両国の首脳。

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博物館を出ました。次の列車までまだ時間がありますので、ノヴァ・ゴリツァとゴリツィアの町を歩いてみましょう。
駅を外れると柵が残っています。

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駅付近のイタリア側は住宅地になっていました。

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道路の部分だけ柵を壊し、ほかの場所はそのままなのでしょうか。

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踏切があります。

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貨物列車が通り過ぎていきました。

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踏切の近くにかつての国境検問所がありました。

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国境を通過していく車。
東西冷戦下では厳しく監視されていたのでしょう。今は両国ともにEUに加盟し、シェンゲン協定の締結国になりました。
国境の検問は廃止され、人々は国境を自由に行き来することができます。

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検問所のオフィス。

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今は必要なくなったため無人です。

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スロヴェニアを表す看板。

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こちらはイタリア側。

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線路はセザーナ方面へと続いています。

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東へと延びる大通り。まっすぐ行けばノヴァ・ゴリツァの中心市街です。観光施設はあまりありませんが、カジノが数軒あり、イタリアからの利用も多いようです。

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駅前に戻ってきました。イタリア側のバス停にはイタリア国鉄のゴリツィア中央駅方面に向かうバスが発着します。
平日は15分間隔ですが、休日は1時間に1本程度になってしまいます。

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イタリアのゴリツィア地区を走るバスの路線図。

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イタリア側の駅前通り。誰も歩いていません。

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そろそろ時間になったのでセザーナ行の列車に乗り込みます。
ブレッド
ト湖からノヴァ・ゴリツァまで乗ってきた列車と同じ車両でした。
ノヴァ・ゴリツァまでは4両でしたが、前2両がセザーナ行となり、後ろ2両はブレッド湖方面に引き返していくようです。


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スロヴェニアの鉄道は時刻も正確で本数も多いものの、落書きが多いのが難点ですね。
ただ、この列車のクマとハチの巣の落書きは芸術的です。

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後ろ2両がブレッド湖方面に出発していきました。

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私が乗るセザーナ行も出発。14:49なので時間通りです。

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先ほどの国境検問所がある踏切を通過しました。

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イタリア国鉄の路線につながる連絡線。残念ながら両国を跨いでイタリアのゴリツィアに向かう旅客列車は無く、貨物列車のみの運行です。

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連絡線の近くの小さな駅に停車。鉄道の旅はまだまだ続きます。


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