インドネシア旅行記の第16回です。
6日目の午後はジョグジャカルタの市内観光。
まずジョグジャカルタの王宮を見学しました。
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■ 6日目 2015年9月22日 火曜日
今日は朝3時に起きてインドネシアが誇る仏教遺跡ボロブドゥールを見学しました。
残念ながら日の出は見られなかったものの、朝の神秘的な雰囲気の遺跡を堪能できたので十分です。
9時半にホテルに到着し、朝ご飯を食べて朝10時。眠いのでこのまま昼間でひと眠りしようと思いましたが、ガイドブックをパラパラ読むうちに目が覚めました。
ジョグジャカルタ市内の主要な観光スポットの開館時刻が昼過ぎまでなのです。王宮が13時半、離宮であるタマン・サリが14時で閉まってしまいます。
普通こうした観光地は夕方まで開けているものですが、やる気があまりないのでしょうか。
時刻は10時半。のんびりしている場合ではありません。急いで支度をしてバス停へと向かいました。
まずはジョグジャカルタ市内の代表的観光スポットである王宮を目指します。
ホテル前のバス停から市内を走る路線バス「トランス・ジョグジャ」の3A系統に乗り市内中心部へ。
運賃は3600ルピア均一。どこまで乗っても36円と激安です。タクシーはいまいち信用できませんし、ジョグジャカルタのバスは比較的安全です。
3Aのバスはバスはまずジョグジャカルタを経由してから中心街のマリオボロ通りを南下します。お店が並び活気がありました。
王宮近くのバス停で下車したものの、道が工事中で歩きにくいです。
王宮は建物が北と南に分かれており、博物館などの主要見学スポットは南側にあります。入口も別で、料金も別々となっています。
北側の建物は14時まで見学できますが、南側は13時半で終わりなので、まずは南側の入口へとやってきました。
入場料は12500ルピア。125円です。カメラ撮影をする場合は1000ルピアの追加料金を払います。
王宮に入場しました。王宮は1790年に完成し、ジャワ建築の最高傑作と呼ばれています。
王族や軍の公式行事が行われた建物では、ガムランなどの伝統音楽が毎日演奏されています。
この日は訪問した時間が遅かったため、演奏はすでに終わっていました
王宮の門。
大きな屋根が印象的で、とても涼し気な建物です。
伝統音楽に使われる楽器。
暑いですが、静かで落ち着いた雰囲気です。
王宮の敷地内を歩きます。
そもそも大統領制のインドネシアにおいて、なぜ今もなお王宮があるのでしょうか。
実は、王宮には現在も王族が住んでおり、住居の一部を一般開放しているのです。
現在の王族はもともと16世紀後半にジョグジャカルタ地方で建国されたマタラム王国に端を発します。
一時期はジャワ島の大部分を支配し、オランダ領のバタヴィアを攻めるほどの力を持っていましたが、17世紀後半から地方貴族の反乱が相次ぐようになり弱体化。
18世紀初めごろからオランダの援助を受けるようになりました。オランダは王族の内紛にも介入し、結果として内戦が頻発。
1755年にマタラム王国はジョグジャカルタとスラカルタに分裂。1757にはさらに分裂し、4つの王家が分立することとなりました。
これら4つの王家の領地はオランダの保護領として自治権を与えられた王侯領となり、マタラム王国の名は消滅しました。
こうしてジョグジャカルタの王家であるスルタン家は政治的に無力化されたのですが、文化の中心としての地位は保ち続けました。
インドネシア独立戦争の際はスルタン家が独立勢力に協力して重要な役割を果たしたことから、独立後も政府はジョグジャカルタを特別行政地域としてスルタン領の存続を認め、スルタンがジョグジャカルタ特別州知事を兼任することとなりました。
独立当時のスルタンであるハメンクブウォノ9世は国民からの絶大な人気を誇り、スハルト、スカルノ政権下でも大臣職を歴任。1973年から1978年までは副大統領職を務めました。
現在のスルタンであるハメンクブウォノ10世はハメンクブウォノ9世の死去により1988年に即位。現在に至るまでジョグジャカルタ州特別知事としてジョグジャカルタを統治しています。
ヨーロッパとアジアの建築様式がまじりあった建物。
様々な建物があります。中に入ることはできません。
豪華な柱が印象的な建物がありました。
この広い建物は王の戴冠式などが行われる建物です。
金細工が見事ですね。
木々に囲まれ、落ち着いた雰囲気です。
ヨーロッパのステンドグラスが取り入れられています。
様々な文化が融合していることが分かります。
この建物には王族が使用する食器などが展示されていました。
王族用の輿です。
敷地の奥にあるのは金の王座のパビリオンと呼ばれる建物です。
中に入ると天井の装飾の見事さに圧倒されます。
ヒンドゥー教と仏教とイスラム教の文化が融合した装飾なのだそうです。
王族を描いた絵画。
様々なものが展示されています。
影絵の劇で使われるものです。
王族の伝統衣装。
古いカメラのコレクション。
金細工。
王様の肖像画。
こちらは王家の歴史についての展示です。
戦前の写真でしょう。日本軍の軍人と王族による記念撮影。
スルタンが日光を訪れた時の写真のようです。
古い本です。スルタンが日本を訪れた時の記録ですね。
ハメンクブウォノ9世が来日した時の記録のようです。佐藤栄作内閣総理大臣の祝辞を代読する竹下内閣官房長官とありますから、1971年(昭和46年)7月5日から1972年(昭和47年)7月7日まで続いた第三次佐藤改造内閣のころの話でしょう。
日本から授与された勲章。
こちらの部屋は様々な食器類などが展示されています。これは日本風の壺。
時計。
洒落た食器類。
凝ったデザインです。
別の建物にも入ってみましょう。
この建物には様々な肖像画が展示されています。
インドネシアの歴史に詳しくないので、誰の肖像画なのかわからないのが残念です。
もうちょっと壁にお金をかけても良いのでは。
王宮の椅子が展示されています。
立派な椅子ですね。
バティックなどの展示。
王宮に献上されたバティックなどの展示がありました。
美しいバティックの展示。一部は撮影不可です。
王宮は意外と見ごたえがありました。
しかし大統領制の国なのにジョグジャカルタでは王様が行政府のトップを務めているのですから複雑で面白いですね。
次回もジョグジャカルタ観光です。
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今日は朝3時に起きてインドネシアが誇る仏教遺跡ボロブドゥールを見学しました。
残念ながら日の出は見られなかったものの、朝の神秘的な雰囲気の遺跡を堪能できたので十分です。
9時半にホテルに到着し、朝ご飯を食べて朝10時。眠いのでこのまま昼間でひと眠りしようと思いましたが、ガイドブックをパラパラ読むうちに目が覚めました。
ジョグジャカルタ市内の主要な観光スポットの開館時刻が昼過ぎまでなのです。王宮が13時半、離宮であるタマン・サリが14時で閉まってしまいます。
普通こうした観光地は夕方まで開けているものですが、やる気があまりないのでしょうか。
時刻は10時半。のんびりしている場合ではありません。急いで支度をしてバス停へと向かいました。
まずはジョグジャカルタ市内の代表的観光スポットである王宮を目指します。
ホテル前のバス停から市内を走る路線バス「トランス・ジョグジャ」の3A系統に乗り市内中心部へ。
運賃は3600ルピア均一。どこまで乗っても36円と激安です。タクシーはいまいち信用できませんし、ジョグジャカルタのバスは比較的安全です。
3Aのバスはバスはまずジョグジャカルタを経由してから中心街のマリオボロ通りを南下します。お店が並び活気がありました。
王宮近くのバス停で下車したものの、道が工事中で歩きにくいです。
王宮は建物が北と南に分かれており、博物館などの主要見学スポットは南側にあります。入口も別で、料金も別々となっています。
北側の建物は14時まで見学できますが、南側は13時半で終わりなので、まずは南側の入口へとやってきました。
入場料は12500ルピア。125円です。カメラ撮影をする場合は1000ルピアの追加料金を払います。
王宮に入場しました。王宮は1790年に完成し、ジャワ建築の最高傑作と呼ばれています。
王族や軍の公式行事が行われた建物では、ガムランなどの伝統音楽が毎日演奏されています。
この日は訪問した時間が遅かったため、演奏はすでに終わっていました
王宮の門。
大きな屋根が印象的で、とても涼し気な建物です。
伝統音楽に使われる楽器。
暑いですが、静かで落ち着いた雰囲気です。
王宮の敷地内を歩きます。
そもそも大統領制のインドネシアにおいて、なぜ今もなお王宮があるのでしょうか。
実は、王宮には現在も王族が住んでおり、住居の一部を一般開放しているのです。
現在の王族はもともと16世紀後半にジョグジャカルタ地方で建国されたマタラム王国に端を発します。
一時期はジャワ島の大部分を支配し、オランダ領のバタヴィアを攻めるほどの力を持っていましたが、17世紀後半から地方貴族の反乱が相次ぐようになり弱体化。
18世紀初めごろからオランダの援助を受けるようになりました。オランダは王族の内紛にも介入し、結果として内戦が頻発。
1755年にマタラム王国はジョグジャカルタとスラカルタに分裂。1757にはさらに分裂し、4つの王家が分立することとなりました。
これら4つの王家の領地はオランダの保護領として自治権を与えられた王侯領となり、マタラム王国の名は消滅しました。
こうしてジョグジャカルタの王家であるスルタン家は政治的に無力化されたのですが、文化の中心としての地位は保ち続けました。
インドネシア独立戦争の際はスルタン家が独立勢力に協力して重要な役割を果たしたことから、独立後も政府はジョグジャカルタを特別行政地域としてスルタン領の存続を認め、スルタンがジョグジャカルタ特別州知事を兼任することとなりました。
独立当時のスルタンであるハメンクブウォノ9世は国民からの絶大な人気を誇り、スハルト、スカルノ政権下でも大臣職を歴任。1973年から1978年までは副大統領職を務めました。
現在のスルタンであるハメンクブウォノ10世はハメンクブウォノ9世の死去により1988年に即位。現在に至るまでジョグジャカルタ州特別知事としてジョグジャカルタを統治しています。
ヨーロッパとアジアの建築様式がまじりあった建物。
様々な建物があります。中に入ることはできません。
豪華な柱が印象的な建物がありました。
この広い建物は王の戴冠式などが行われる建物です。
金細工が見事ですね。
木々に囲まれ、落ち着いた雰囲気です。
ヨーロッパのステンドグラスが取り入れられています。
様々な文化が融合していることが分かります。
この建物には王族が使用する食器などが展示されていました。
王族用の輿です。
敷地の奥にあるのは金の王座のパビリオンと呼ばれる建物です。
中に入ると天井の装飾の見事さに圧倒されます。
ヒンドゥー教と仏教とイスラム教の文化が融合した装飾なのだそうです。
王族を描いた絵画。
様々なものが展示されています。
影絵の劇で使われるものです。
王族の伝統衣装。
古いカメラのコレクション。
金細工。
王様の肖像画。
こちらは王家の歴史についての展示です。
戦前の写真でしょう。日本軍の軍人と王族による記念撮影。
スルタンが日光を訪れた時の写真のようです。
古い本です。スルタンが日本を訪れた時の記録ですね。
ハメンクブウォノ9世が来日した時の記録のようです。佐藤栄作内閣総理大臣の祝辞を代読する竹下内閣官房長官とありますから、1971年(昭和46年)7月5日から1972年(昭和47年)7月7日まで続いた第三次佐藤改造内閣のころの話でしょう。
日本から授与された勲章。
こちらの部屋は様々な食器類などが展示されています。これは日本風の壺。
時計。
洒落た食器類。
凝ったデザインです。
別の建物にも入ってみましょう。
この建物には様々な肖像画が展示されています。
インドネシアの歴史に詳しくないので、誰の肖像画なのかわからないのが残念です。
もうちょっと壁にお金をかけても良いのでは。
王宮の椅子が展示されています。
立派な椅子ですね。
バティックなどの展示。
王宮に献上されたバティックなどの展示がありました。
美しいバティックの展示。一部は撮影不可です。
王宮は意外と見ごたえがありました。
しかし大統領制の国なのにジョグジャカルタでは王様が行政府のトップを務めているのですから複雑で面白いですね。
次回もジョグジャカルタ観光です。
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かつての王国がそのようにして分解していったとは。。