ニュージーランドに初めて誕生したプロ野球チーム、オークランド・トゥアタラに所属する平沢、酒居、種市の3選手。
試合は主に週末行われ、YOUTUBEで生中継を見ることができます。
しかし、できたばかりのチームであるせいかなかなか勝つことができないようです。

まず平沢。平沢は先々週初タイムリーとなる初ヒットを放ちました。

平沢がオーストラリア・ベースボールリーグでの初ヒット&初タイムリーを放った瞬間です。・


しかし、その後は不調にあえぎ、現在10試合に出場して21打数1安打、打率.048、三振11という成績です。
バットがボールにうまく当たってくれないという印象。慣れない環境で戸惑っているのでしょうか。
ショートの守備ではさすがの存在感を示しています。焦らずに頑張ってほしいです。

種市は先発として3試合に登板て0勝2敗。15回2/3イニングを投げて自責点8、被安打14、18奪三振、防御率3.45となっています。
好投しているのですが、キャッチャーが種市のフォークを捕れずに後ろに逸らすことが多いです。
オークランド・トゥアタラは急造チームだけにキャッチャーがあまり良くありません。
一番マシなのが郭峻偉。台湾の統一7-ELEVEnの控えキャッチャーです。今シーズンは1軍で12試合、2軍で45試合出場しています。
続いてBeau Te Wera Bishop。2012、2013、2015年に米マイナーのルーキーリーグで19試合出場。マオリ人の25歳のキャッチャーです。
そしてHuriwaka Repiaは16歳のマオリ人のキャッチャー。U15のニュージーランド代表に選ばれるなど将来が期待されますが、まだ16歳です。
最後は金子。シーズン途中で加入した日本人ですが、現地在住でニュージーランド現地の野球リーグに所属するノースショアというチームでプレーしていたようです。高校時代は東海大高輪台高校で野球をしていたようですが、東海大学進学後にケガをしたのか全く試合に出ていません。

そんな環境でも安定した成績を挙げているのが酒居。
主に中継ぎとして登板して1勝1敗。7回を投げて自責点2、被安打6、11奪三振、防御率2.57です。
先発としてもっと投げてほしいです。


オーストラリアベースボールリーグの日本語ページで3選手の特集記事がありました。

平沢大河、“待望の1本”
ABL第3ラウンド、対キャンベラ第4戦で、平沢大河(千葉ロッテマリーンズ)にABL初ヒットが飛び出した。試合後、ABL Japanに「やるべきことを、またやっていきたい」とコメントしてくれた、その「やるべきこと」とは――。“1本”にかける、平沢の想いを追った。

“待望の1本”だった。

11月23日、ニュージーランド入り。翌24日からのホーム開幕、対ブリスベン4連戦は、ノーヒットに終わった。30日から、キャンベラを迎えてのホームシリーズ4連戦も、3戦目まで快音は聞かれなかった。

ABLの公式サイトでは、「千葉ロッテマリーンズの若き実力派スターが、トゥアタラ入り」と華々しく紹介された。トゥアタラはABLに今季誕生したばかりの、いわば寄せ集めチームである。NPBのトッププレーヤーが要のショートを守り、活躍してくれれば、戦力面でも興行面でも頼もしい。

ところが、平沢のバットは湿りっぱなしだった。途中、代打を送られた試合もあった。本拠地・オークランドのスタンドでは、「カモン、タイガー!!」と地元ファンも声を上げて応援したが、なおノーヒットは続いた。

ようやくヒットが出たのは、対キャンベラ4戦目。 ひときわ大きな拍手と歓声に迎えられ、平沢はファーストベースに達した。「初ヒット」にやきもきする日本のファン同様、地元ファンも「まだノーヒット」ということを気にかけていたのだ。

「ホッとした?」

試合後、そう聞くと平沢は「ホッとはしましたけど……」と言って、いったん言葉を切った。

「これからも変わらず、やるべきことをやっていくだけです」

本来なら心身ともオフに入る、この時期。球団から「こういう機会があるけど、行ってみるか?」と声を掛けられ、即決した。

「球場、ピッチャー、バッター……いろいろな環境、プレーを経験することは、きっと自分のプラスになると思いました」

18年、一軍に定着し、試合出場の機会も得てはいたものの、19年の自分がどうなるか。今の状況ではわからない。レギュラーを取る絶対的な力があるかといえば、そこには至っていないだろう。

まだまだ「野球がうまくなりたい」。そうすれば自ずと、レギュラーポジションはついてくる。

ABLに来る前の秋季キャンプでは、球の待ち方、タイミングの取り方をテーマに取り組んできた。『タイミングの取り方』はバッターにとって、永久不滅ともいえるテーマだ。平沢自身、「タイミングの取り方が(バッティングの)すべてかな」と言う。ABLに来てからは、外国人選手たちのタイミングの取り方にも注視するようになった。

「こっちの人は、タイミングの取り方がシンプルですね。足の上げ方が小さいです」

そういう方法もあるんだな、と確認し、自分の引き出しにしまった。今は、秋から取り組んでいるテーマを、ぶれずに続けていかなければならない。

「プロは結果がすべて」といわれる中、幸いにもマリーンズの首脳陣は試合前の準備、練習の仕方などの“プロセス”を見てくれる。オークランド・トゥアタラのミンツ監督も同様に、平沢の取り組みを尊重してくれている。一方で、「やって当たり前」の一軍選手としてここに送り込まれた。人知れずプレッシャーを受け、肩身の狭い思いもしたはずだ。

ヒットが出ない毎日も、「結果だけを求めて、ぶれてはいけない」と自分自身に言い聞かせてきた。どんな形であれヒットが出れば、ファンは喜び、安心してくれるだろう。そんな中、生まれたファン“待望の1本”。

だが――平沢にとってのゴールは‟今、この1本“ではない。今回ABLに来た目的は、来季以降、マリーンズでしっかり結果を残すこと。この先1本、また1本と、納得のいく1本を積み重ねていくための、確固たる土台を作っておくことだ。


酒居知史が破った“殻”
「野球って楽しい」――ずっと、そう思って野球を続けてきた。その気持ちが強かったから、プロにもなれた。だが、仕事でする野球は時に、彼らを苦しめる。そこから抜け出すための、再び「野球って楽しいんだ」と思えるようになるためのきっかけ作りとしての、ABL派遣もある。
なかったはずの“殻”が、そこにできていた。

1年目、ルーキーのころは、何も考えていなかった。

2年目の今季は、何か型にはまろうとしている自分がいた。

「マウンドでの気持ちの入り方、表し方……何もかも『こうでなければいけない』とムリに作っていたら、なんだかしっくりこなくなった。自分らしさを押し殺して、人の目を気にしながら、マウンドに上がっていたような気がします」

息苦しかった。

春先、清水直行コーチから球団のABL派遣プランを聞き、「行ってみたい」と思った。言葉も文化も違えば、同じ野球でも価値観が違うだろう。その違いを自分の肌で感じてみたかった。

「野球の技術磨きというよりは、人間的な幅を広げて帰ってきたいんです」

希望は受け入れられ、オフに入るとすぐニュージーランドへ渡った。

確かに、独特な世界だった。

「日本と同様、『チームのために』というチーム愛はあるんだけど、一人ひとりの個性はメチャクチャ強い。日本では『チーム愛』に基づく行動をそれとして意識せざるを得ませんが、こちらは『チーム愛』でガッとまとまるのが当たり前、なんです。メリハリがあるというのかな」

自分を自分のまま、出していい。そんな空気の中にいたら、日本で感じていたストレスが消えていった。


「野球って楽しいんだな」ともう一度思ってほしい


酒居の姿を間近で見ていた、清水コーチは言う。

「日本での酒居は『“もっともっとできるはず”という期待に応えなければ』といろんなことにトライしすぎた部分があったと思うんです。変化球を増やそう、とか。もっとシンプルでいいんです。自分の武器で相手バッターと戦う。純粋に、バッターを打ち取るところに返ってほしい。ここで自分のやりたいことをやっていけば、きっと彼の中で何かが変わると思いますよ」

あの“殻”は、いつの間にかなくなっていた。

「直さん(清水コーチ)には、『“野球って楽しいんだな”ともう一度思ってほしい』と言われてきました。ここではもちろん結果も求めていきますが、その結果に対して、バッターを抑えれば純粋にうれしいし、打たれれば混じりっけなしに悔しい。今思い出しているこの感覚を日本に帰っても継続していければ――自ずと野球の技術もついてくると思います」

来季に向け、秋の台湾遠征ではクローザーとして試合を締めた。ABLでも連日、ブルペンに待機する。

「クローザーという選択肢では、腕をしっかり振って投げることが大切。それは打たれた試合でもできていました。自然と躍動感のある、自分らしいピッチングをこれからもしていきます」

2019年、先発を務めるのかリリーフを務めるのかは、まだわからない。ただ、いずれにしても今、この地で学べるものは学び、盗めるものは盗み、「強い真っすぐを放れるように」という課題は、きっちり収めていくつもりだ。

前回、対キャンベラ戦の登板は「70%の出来」。だが球場で仲間と過ごすときの、その笑顔は100%、弾けていた。


種市篤暉/投げる。
プロ入り2年目のシーズンとなった2018年は8月12日、一軍でプロ初登板、初先発(対オリックス)。9月17日に二軍降格を言い渡されるまでの間に計6試合、先発のチャンスをもらったが、初勝利は3年目へと持ち越された。チームの期待に応えられず、悔しさばかりが募った1カ月。球団からABL派遣の話を受けたのは、そんなときだった。
「ピッチャーとして、さらに経験を積んできてほしい」

プロ入り後、二度目の海外派遣だった。一度目は、2017年オフのアジアウインターベースボールリーグ。NPBイースタン選抜の一員として、参加した。中継ぎで中1日のマウンドも経験し、相手打線を抑えたことが、自信になった。

「また違う環境でやるのもいいな」と思い、即諾した。

週末、同一カード4連戦が行われる、ABL。オークランドでの種市のポジションは、3戦目の先発となった。金曜から始まるカードの場合は、土曜のダブルヘッダー第2戦。「高校以来」というダブルヘッダー2試合目の先発に、「待つ身は長いですね」と言いながら、調整する。

「ここでは“結果を出す”ことを目的にはしていません。いろいろチャレンジして失敗しても、相手を抑えられなくても、そこで何か気づければいい」

日本のオフだからこそ、できることを、どんどん試している。例えば、投球フォーム。1試合1試合、外からでは見分けがつかない程度、変えている。そのフォームがしっくり来れば、ストレートのキレも増すはずだ。

変化球は握りを少しずつ変え、曲がり幅や打者の反応を見ながら、改良を続ける。(八戸工大一)高校時代から武器としているフォークだが、第2ラウンドのブリスベン戦では、一度も三振を取ることができなかった。翌週の第3ラウンド、キャンベラ戦ではそれを課題として握りを少し変え、手応えをつかんだ。

自分で考え、投げて打たれても、そこから学べばいい
視察に訪れた、千葉ロッテ・清水直行投手コーチは言う。

「種市は“試合経験を積んで、感じるものがあればいい”ということで送り出しました。外国人打者に、自分のボールがどこまで通用するか。ストレートに強い打者が多く、それを待っている相手に対し、どれだけストレートを投げることができるか。大いに勉強してきてほしい」

キャンベラ戦では5イニングを投げ、3安打されたうちの2本が、空振りを取りにいったストレートだった。後で動画を見直すと、ストレートの質自体は、悪くない。ただ、中に入ってしまった。

「嫌いなコースなどのデータのない外国人に対しては、やはりコントロール重視。相手の反応やファウルした打球を見ながら何を狙っているか、自分でよく考えて、投げる球を決めていかないと」

日本では、キャッチャー任せだった配球。ここだからこそ、自分の思った球を投げてみる。それで打たれたら、学べばいい。結果だけじゃない。‟その球を投げる“ことに意味がある。

オークランドでは、米マイナーリーグに所属するチームメイトが、貪欲に野球の話を聞きたがる。自分も彼らのハングリーさを、その姿勢を学びたいと、心から思った。中でも最も興味を覚えたのが、彼らのトレーニング方法。身振り手振りを交えながら教わり、試している。オークランドの日本人チームトレーナーからも、これまで知らなかったトレーニング方法やケアの仕方を学んだ。日本へ帰っても一人で続けられるよう、しっかり自分のものにして帰るつもりだ。

清水コーチは種市に、「まずは1年間、野球をする意識を持つこと。1年間投げてみて、足りないものを見つけていってほしい」と言う。

種市自身、来季(2019年)、千葉ロッテの先発ローテーションに入るためには、「技術面の向上が絶対に必要」と自己分析する。ストレート、変化球、体力、すべてにおいて底上げし、さらに技術を磨いていく。技術は投手にとって、ある意味、正しい‟感覚“を身に着けること。そのためにも、このABL派遣終了まで、上がったマウンドの数だけ多くを感じ、学んでいきたい。


オークランド・トゥアタラで頑張っている日本人選手はマリーンズの3選手ばかりではありません。
他の選手についてもオーストラリアベースボールリーグの日本語ページに記事が上がっていましたので紹介します。

オークランド・トゥアタラの日本人選手たち
千葉ロッテマリーンズから酒居知史、平沢大河、種市篤暉の3選手、香川オリーブガイナーズから原田宥希選手が参加するABL唯一のニュージーランドチーム、オークランド・トゥアタラ。ここで彼らと共に白球を追う、現地在住の日本人選手たちがいる。


奥本涼太選手は2011年、大学留学のため、ニュージーランドへやってきた。高校まで野球をしていたが、当初は野球を続けるつもりはなかったという。大学卒業後はニュージーランドの企業に就職。その傍ら、地元のクラブチーム『ノースショア・ベースボールクラブ』でプレーするようになった。そこでのピッチングが認められ、トゥアタラから「ホームシリーズの3週間のみ契約」というオファーを受けた。ABLでは奥村選手のように野球選手と一般職のダブルワークをしている選手がどのチームにもおり、平日の練習には参加せず、各自試合に向けて調整している。



奥本選手はノースショア・ベースボールクラブで、コーチも兼任。その教え子にあたるのが、Yuuki Takahashi選手だ。日本人の両親を持ち、ニュージーランドで生まれた。小さいころは、バスケットボール、サッカー、タッチラグビーなどに興じていたというTakahashi選手。7歳のころ、友人に誘われて始めた野球に魅せられた。今は、ピッチャーと外野手の‟二刀流“。19年1月にはアメリカの大学に留学し、心理学を学びながら野球を続けていく。アメリカの大学を経て、目指すはメジャー・リーガー!



Takahashi選手のように、ニュージーランド(オーストラリアのチームなら、オーストラリア)生まれの選手を、ABLでは『ローカル』と呼ぶ。一方、千葉ロッテや香川OGの選手たちのように海外から派遣されてくる選手は、『インポート』と呼ばれている。金子隆浩選手は現在ニュージーランド在住ながら、日本国籍を持つため『インポート』のキャッチャーとして試合に出場する。肩の故障で一時は野球を辞め、ニュージーランドへワーキングホリデーでやってきた。半年のつもりが、「この国を好きになって」滞在1年に及んだという金子選手。トライアウトを受け、トゥアタラの一員になった。キャンベラに所属する横浜DeNA・今永昇太選手との対戦では、2打席2三振に終わったが、ケガ前の「より上を目指したい」気持ちがよみがえった。ビザは、12月末まで。日本に帰国し、もう一度プロ球界への夢を追う。



オークランド・トゥアタラの日本人選手たち【その2】
とある練習日、前回の記事で紹介した奥本涼太選手、金子隆浩選手、Yuuki Takahashi選手らに交じり、談笑する2人の日本人の姿があった。

Nao Fukuda選手は10歳のとき、友達と一緒に地元のクラブチームに入ったのが、野球を始めるきっかけになった。15歳までは、投手と外野手の“二刀流” 。今は投手に専念している。
オークランドにニュージーランド初のプロ野球チーム・トゥアタラが誕生すると聞き、トライアウトを受けて、合格した。今年(2018年)、日本でいう高校3年生。来年9月には、アメリカの大学へ進学する予定だ。まだ何を勉強するかは決めていないが、大学でも野球は本格的に続けるつもり。将来の夢はもちろん、MLBプレーヤーだ。

トゥアタラの日本人選手最年少は、16歳のTaichi Nakao選手。日本生まれのお父さんが野球好きで、一緒にテレビ観戦しているうちに「自分もやってみようかな」と思った。“ディベロップメント・プレーヤー”としてトゥアタラに呼んでもらい、今は練習だけに参加している。
ポジションはショート、セカンド。千葉ロッテマリーンズの平沢大河選手に直接アドバイスをもらうなど、練習でも貴重な経験を積んでいる。「今はバッティングが好きだけど、守備もうまい選手になりたい」――アメリカか日本の大学で野球をし、プロ入りを夢見る。


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