ペルー・ボリビア旅行記の第5回です。
3日目はナスカの地上絵を見ます。
リマからバスで4時間かけてピスコという街まで南下しました。
にほんブログ村 千葉ロッテマリーンズ
プロ野球・人気blogランキング
■ 3日目 2018年1月27日
ペルー・ボリビア旅行の3日目はナスカの地上絵です。
ナスカの地上絵は紀元前2世紀から紀元後8世紀に栄えたナスカ文化の時代に描かれた巨大な地上絵です。
地上絵の線の部分は暗赤褐色の表層の土を深さ30センチ、幅1〜2メートルにわたって取り除き、白い砂地の地面を露出させることで描いています。
日本なら雨ですぐに洗い流されてしまいますが、ペルー南部のナスカ地方は年間降水量がわずか1mmにも満たないほど雨が降らないため、古代文明の地上絵が崩れることなく1000年の時を超え現代に残ったのです。
ナスカ文化をはじめとしたアンデス文明は文字を持たないため、巨大な地上絵が何のために作られたのかはわかっていません。
暦、社会事業、雨ごい儀式、宇宙人との交信・・・。様々な説があります。
ナスカの地上絵が発見されたのは1939年、アメリカのポール・コソックの調査によります。
その後ドイツの数学者マリア・ライヘにより調査研究が進められ、現在は世界遺産に指定されています。
しかし自動車の侵入やグリーンピースによる破壊行為などで損壊が進んでおり、現在は日本の技術を取り入れた保護活動が行われています。
ナスカの地上絵はセスナ機などで空から眺めるしかありません。ナスカ、あるいはナスカ近郊のピスコという街の空港から飛び立ち、1時間ほどのフライトでナスカの地上絵を眺めます。
ナスカよりはリマに近いピスコからのフライトがメジャーらしいのですが、それでもリマから片道4時間もバスに乗って南下しなければなりません。
昨日のゆっくりとした行程から一変し、今日は5時半に起床し、6時半に出発しました。
朝のリマ。頑丈な鉄格子と落書きは治安の悪さを存分に表しています。
リマの近郊鉄道の高架線。残念ながら今回はリマの鉄道に乗る機会がありませんでした。
バスはパンアメリカンハイウェイを南下します。
パンアメリカンハイウェイはアラスカのフェアバンクスからアルゼンチンのウシュアイアまでの2万キロを結ぶ高規格道路で、まさにアメリカ大陸の北の果てから南の果てまでを結ぶ大陸縦断道路です。
車で大陸の端から端まで行けるとはロマンあふれていますね。
しかし車窓はロマンとは程遠く、リマ郊外のスラム街の荒涼とした景色が延々と続いています。
リマ郊外のバスターミナル。同じ色のバスが並んでいます。
非常口の漢字表記を見るとどうやら中国から流れてきた中古バスのようです。
浮き輪を売る店がありました。
畑が広がります。
盆栽と言う名のレストラン。日本食なのでしょうか。
選挙の候補者の名前が書かれています。
ペルーは選挙ポスターではなく壁に名前を書いてアピールします。
選挙が終わっても壁はそのままなので、過去の候補者の名前がいつまでも残ってしまいます。
あばら家が集まっています。
海が見えてきました。残念ながら天気が良くありません。霧が出てきました。
しかしガイドさんによると海流の影響でこの一帯だけ霧が出ており、ナスカ地方は晴れるだろうとのことでした。
海に突き出した半島。リゾート地のような雰囲気です。
住宅地。建設途中のまま放置されているようにも見えますが、ちゃんと人が住んでいます。
田舎からリマ周辺への人口流入が続いており、こうしたスラム街は増加傾向にあるそうです。
山を越えます。
霧が出てきました。この天気だと地上絵を見ることは難しいですが、ナスカに着けば晴れるでしょうか。
黄色い派手な看板のレストランがありました。
丘陵に囲まれた池。あいかわらず雲っています。
8時15分。リマから約2時間でトイレ休憩となりました。
日系人が経営するお土産屋さんに入ります。
Tシャツが10ドルで売られており、良心的な値段です。やはり日系人は信用できますね。
1着買いましたが上等な生地で、もっと買えばよかったと後悔しています。
他にも民芸品など様々なお土産が売られています。
なお、ペルーの現地通貨はソルですが、米ドルもかなり流通しており、ホテルやお土産屋やレストランでは米ドルが使えます。
なのでペルーについてもまだ両替はしていません。トイレのチップは現地通貨ですが、ドルを使うとお釣りが現地通貨のソルで返ってくるので、お釣りを貯めておけばよいでしょう。
アルパカの毛皮のセーターもありますが、高くて買えません。
マチュピチュ遺跡は明後日です。楽しみですね。
バスに乗り込みます。
休憩を終え、再び海沿いを走ります。プールがありましたが、誰も入っていません。
ナスカに近づくにつれてそれまでの曇天が嘘のように晴れました。
これなら地上絵は大丈夫そうです。
乾いた大地に申し訳程度の川。
畑の中に古代遺跡。
リマから4時間。10時ごろにピスコの町へと入りました。
舗装道路があまりなく、埃っぽい町です。
ペルーの海。家族連れが海沿いを歩いていました。
何の変哲もない地方都市ですが、ピスコには遊覧飛行用の空港があります。
10:15にピスコ空港に到着。妙に立派な空港です。
駐車場も広く、まるで国際空港のようです。
それもそのはず。ピスコ空港は2016年に大規模改修工事が行われ、国際空港として使用できるターミナルビルが新たに建設されたのです。
リマ国際空港の滑走路拡張工事の遅れから代替国際空港としての役割が期待され、一時はクスコへの国内線やチリのサンティアゴ、ベネズエラのカラカスへの便が就航しましたが、リマから遠く離れた田舎町では採算など取れずはずが無く撤退。
現在はナスカの地上絵を見るための遊覧飛行のみが行われています。
ペルー政府にとっては夢破れた形となった巨大ターミナル。人気が全くなく、もの悲しい雰囲気です。
広大なチェックインカウンターの一つだけが営業います。
ナスカの地上絵を見る遊覧飛行の受付です。まずはここで体重を図り、飛行機の座席を決めます。
1機目は11:20、2機目は11:44に飛び立つようです。
待合室で飛行機を待ちます。
セスナ機が着陸してきました。
アレに乗ってナスカの地上絵を見るということなのでしょうか。小さいので揺れそうですね。
酔い止めを飲み、飛行機酔いに備えました。
次回はナスカの地上絵を見ます。
次の旅行記へ 前の旅行記へ 2018年ペルー・ボリビア旅行記目次へ
ペルー・ボリビア旅行の3日目はナスカの地上絵です。
ナスカの地上絵は紀元前2世紀から紀元後8世紀に栄えたナスカ文化の時代に描かれた巨大な地上絵です。
地上絵の線の部分は暗赤褐色の表層の土を深さ30センチ、幅1〜2メートルにわたって取り除き、白い砂地の地面を露出させることで描いています。
日本なら雨ですぐに洗い流されてしまいますが、ペルー南部のナスカ地方は年間降水量がわずか1mmにも満たないほど雨が降らないため、古代文明の地上絵が崩れることなく1000年の時を超え現代に残ったのです。
ナスカ文化をはじめとしたアンデス文明は文字を持たないため、巨大な地上絵が何のために作られたのかはわかっていません。
暦、社会事業、雨ごい儀式、宇宙人との交信・・・。様々な説があります。
ナスカの地上絵が発見されたのは1939年、アメリカのポール・コソックの調査によります。
その後ドイツの数学者マリア・ライヘにより調査研究が進められ、現在は世界遺産に指定されています。
しかし自動車の侵入やグリーンピースによる破壊行為などで損壊が進んでおり、現在は日本の技術を取り入れた保護活動が行われています。
ナスカの地上絵はセスナ機などで空から眺めるしかありません。ナスカ、あるいはナスカ近郊のピスコという街の空港から飛び立ち、1時間ほどのフライトでナスカの地上絵を眺めます。
ナスカよりはリマに近いピスコからのフライトがメジャーらしいのですが、それでもリマから片道4時間もバスに乗って南下しなければなりません。
昨日のゆっくりとした行程から一変し、今日は5時半に起床し、6時半に出発しました。
朝のリマ。頑丈な鉄格子と落書きは治安の悪さを存分に表しています。
リマの近郊鉄道の高架線。残念ながら今回はリマの鉄道に乗る機会がありませんでした。
バスはパンアメリカンハイウェイを南下します。
パンアメリカンハイウェイはアラスカのフェアバンクスからアルゼンチンのウシュアイアまでの2万キロを結ぶ高規格道路で、まさにアメリカ大陸の北の果てから南の果てまでを結ぶ大陸縦断道路です。
車で大陸の端から端まで行けるとはロマンあふれていますね。
しかし車窓はロマンとは程遠く、リマ郊外のスラム街の荒涼とした景色が延々と続いています。
リマ郊外のバスターミナル。同じ色のバスが並んでいます。
非常口の漢字表記を見るとどうやら中国から流れてきた中古バスのようです。
浮き輪を売る店がありました。
畑が広がります。
盆栽と言う名のレストラン。日本食なのでしょうか。
選挙の候補者の名前が書かれています。
ペルーは選挙ポスターではなく壁に名前を書いてアピールします。
選挙が終わっても壁はそのままなので、過去の候補者の名前がいつまでも残ってしまいます。
あばら家が集まっています。
海が見えてきました。残念ながら天気が良くありません。霧が出てきました。
しかしガイドさんによると海流の影響でこの一帯だけ霧が出ており、ナスカ地方は晴れるだろうとのことでした。
海に突き出した半島。リゾート地のような雰囲気です。
住宅地。建設途中のまま放置されているようにも見えますが、ちゃんと人が住んでいます。
田舎からリマ周辺への人口流入が続いており、こうしたスラム街は増加傾向にあるそうです。
山を越えます。
霧が出てきました。この天気だと地上絵を見ることは難しいですが、ナスカに着けば晴れるでしょうか。
黄色い派手な看板のレストランがありました。
丘陵に囲まれた池。あいかわらず雲っています。
8時15分。リマから約2時間でトイレ休憩となりました。
日系人が経営するお土産屋さんに入ります。
Tシャツが10ドルで売られており、良心的な値段です。やはり日系人は信用できますね。
1着買いましたが上等な生地で、もっと買えばよかったと後悔しています。
他にも民芸品など様々なお土産が売られています。
なお、ペルーの現地通貨はソルですが、米ドルもかなり流通しており、ホテルやお土産屋やレストランでは米ドルが使えます。
なのでペルーについてもまだ両替はしていません。トイレのチップは現地通貨ですが、ドルを使うとお釣りが現地通貨のソルで返ってくるので、お釣りを貯めておけばよいでしょう。
アルパカの毛皮のセーターもありますが、高くて買えません。
マチュピチュ遺跡は明後日です。楽しみですね。
バスに乗り込みます。
休憩を終え、再び海沿いを走ります。プールがありましたが、誰も入っていません。
ナスカに近づくにつれてそれまでの曇天が嘘のように晴れました。
これなら地上絵は大丈夫そうです。
乾いた大地に申し訳程度の川。
畑の中に古代遺跡。
リマから4時間。10時ごろにピスコの町へと入りました。
舗装道路があまりなく、埃っぽい町です。
ペルーの海。家族連れが海沿いを歩いていました。
何の変哲もない地方都市ですが、ピスコには遊覧飛行用の空港があります。
10:15にピスコ空港に到着。妙に立派な空港です。
駐車場も広く、まるで国際空港のようです。
それもそのはず。ピスコ空港は2016年に大規模改修工事が行われ、国際空港として使用できるターミナルビルが新たに建設されたのです。
リマ国際空港の滑走路拡張工事の遅れから代替国際空港としての役割が期待され、一時はクスコへの国内線やチリのサンティアゴ、ベネズエラのカラカスへの便が就航しましたが、リマから遠く離れた田舎町では採算など取れずはずが無く撤退。
現在はナスカの地上絵を見るための遊覧飛行のみが行われています。
ペルー政府にとっては夢破れた形となった巨大ターミナル。人気が全くなく、もの悲しい雰囲気です。
広大なチェックインカウンターの一つだけが営業います。
ナスカの地上絵を見る遊覧飛行の受付です。まずはここで体重を図り、飛行機の座席を決めます。
1機目は11:20、2機目は11:44に飛び立つようです。
待合室で飛行機を待ちます。
セスナ機が着陸してきました。
アレに乗ってナスカの地上絵を見るということなのでしょうか。小さいので揺れそうですね。
酔い止めを飲み、飛行機酔いに備えました。
次回はナスカの地上絵を見ます。
次の旅行記へ 前の旅行記へ 2018年ペルー・ボリビア旅行記目次へ
先人が残した考古学、私も大変興味があります。
文字がないから文明が進んでいなかったのではなく、次世代へ受け継ぐ記憶力・情熱が物凄かったことと思います。逆に文字が必要なかったのではないか、と。
道中トラブルに遭いたくないですが、引き続き実際のお話を聞ければとワクワクしています。
私自身もメキシコ〜ペルー(そして海沿いも !)に居るような感覚になれて嬉しく感じます。