ペルー・ボリビア旅行記の第7回です。
4日目はインカ帝国の首都クスコに移動。
リマから飛行機でアンデス山脈を越えてクスコに移動し、クスコ旧市街を散策しました。
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■ 4日目 2018年1月28日
ペルー・ボリビア旅行の4日目。今日は朝の飛行機でクスコに飛び、クスコを半日ほど観光してからバスと鉄道を乗り継いでマチュピチュへと向かいます。
クスコは標高約3400メートル。リマからアンデス山脈を越えた先にある高原の街です。
15世紀前半ごろからインカ帝国の首都として栄えましたが、16世紀にスペインの侵略者たちにより破壊されてしまいました。
現在はインカ帝国時代の石壁や石組を土台に教会や貴族の邸宅などが建ち、インカ帝国時代の痕跡はすくなくなってしまいました。それでも古都独特の不思議な雰囲気は今も残り、1983年に世界遺産に指定されています。
ペルーからクスコへは飛行機移動が一般的です。アンデス越えの有視界飛行となるため、比較的気流や天候が安定している早朝5時から13時ごろまでに飛んでしまい、午後のフライトはほとんどありません。欠航や遅れも多いと言います。
また長距離バスもあり、リマからクスコまで所要21時間。アンデスを越える山道を行くため素人にはお勧めできないルートです。
我々のツアーが乗る飛行機はリマ発9時15分。5時半に起床し、6時半にホテルを出発。7時過ぎに空港に到着しました。
幸い我々が乗る飛行機は時間通りの出発予定とのことで、無事チェックインできました。
恐ろしいことに我々が乗る便の次便である10:25発クスコ行の便は乗客が少ないため欠航とのこと。
いかに適当なラテン諸国とはいえ、そんな理由でスケジュールが狂わされるのは御免こうむりたいです。
9時15分に離陸したクスコ行の飛行機は一気に高度を上げアンデス越えに挑みます。
眼下には早速険しいアンデスの山々が広がっています。
機内はガラガラ。もっと混んでいるかと思いましたが、意外です。
飛行機の上昇が止まり、安定飛行となりました。
信じられないほど近くに地面があります。
標高4000メートル越えは想像を絶する世界ですが、ちゃんと道があり、畑や家もあります。
なぜそんな高いところに住んでいるのでしょうか。彼らがいうには高山地帯は変な虫がおらず、逆に暮らしやすいのだそうです。
赤茶けたアンデスの山々と点在する湖。美しい景色が広がります。
日本では見られない景色です。
天気は良好。景色も素晴らしいです。私は離陸から窓の外をずっと眺めています。
さらに標高が高い山々は山頂付近が雪に覆われています。
1時間半ほどでクスコの町並みが見えてきました。
標高3400メートルの街クスコ。飛行機はほとんど高度を下げていませんが、すぐ下にはもう町並みが広がっています。
サッカー場もある立派な町ですね。それにしても標高3400メートルもある高地でサッカーなどできるのでしょうか。
空港が見えてきました。空気が薄く気圧も低いため、離陸するには通常よりも長い距離の滑走路が必要なのだそうです。
民家の屋根が銀色に輝いているのは何でしょうか。
ひょっとして太陽光発電用のソーラーパネル?
最近は南米でもエコを意識しているのだなぁと感動しましたが、着陸直前に見直したら単なる銀色のトタン屋根でした。なんだ。
飛行機はほとんど高度を下げず、あっという間にクスコの空港に着陸。
こんな着陸の仕方は初めてです。
飛行機を降りるとターミナルビルまで地面を歩かされます。
息が苦しい!少し歩いただけでも心臓の動機が激しくなり、息が上がります。
ここは標高3400メートル。無理をすると高山病になってしまいますから、深呼吸しながらゆっくりと歩きましょう。
クスコ空港からはバスに乗って中心部を観光します。
なお、クスコやオリャイタンタンボ駅からマチュピチュへと向かう鉄道路線はスーツケースの持ち込みができないため、マチュピチュへは滞在2泊3日分の荷物のみを持参し、その他の荷物はスーツケースに入れて6日目に宿泊するクスコのホテルに送ってもらうことになっています。
11時過ぎにクスコ空港を出発。空港周辺には高い建物がありません。地方都市の雰囲気です。
教会がありました。
線路を渡ります。後日乗車するクスコからプーノへの列車がこの線路を走ります。
土に埋もれて廃止されたかのような雰囲気ですね。きちんと保線作業を行っていないようです。
プーノ行列車が発着するワンチャク駅。列車の発着時以外は立ち入りできないよう線路にゲートが設けられています。
街の中心であるアルマス広場にはバスが入れないため、広場の近くで下車して歩くことになりました。
バスの階段を降りるだけでも動悸がします。深呼吸しながらゆっくり歩くことを心がけましょう。
インカの戦士が描かれたレリーフ。
石畳の細い路地。16世以降にスペイン人たちが作った街並みですが、その土台はインカ帝国時代のもの。
単純なヨーロッパの様式とは違う、独特の雰囲気があります。
高級そうなホテル。かつては貴族の邸宅だったのでしょう。
サント・ドミンゴ教会という立派な教会がありました。
かつてインカ帝国だったころには黄金で彩られた太陽の神殿があったのです。
黄金製の太陽の祭壇など様々な金銀財宝はスペイン人の侵略者たちがすべて持ち去ってしまい、神殿も破壊して教会に作り変えてしまいました。
1950年にクスコが大地震に襲われた時、スペイン人が作った教会は全壊してしまいましたが、土台となったインカ帝国時代の石組み部分はびくともしなかったと言われています。
教会の土台となっているインカ時代の石垣。
ぴっちりと石が積み上げられています。
教会の前の広場では若い男女とその家族が記念撮影をしていました。15歳のお祝いなのだそうです。
歩いてアルマス広場へ。白い壁と青で統一された町並みが美しいです。
道の両側には立派な石の壁がそびえています。これらはすべてインカ帝国時代に作られたものです。
左側の建物は植民地時代に作られた旧大司教庁で、現在宗教美術博物館となっています。
残念ながら博物館の見学は時間の関係でできませんでしたが、もっとも見るべきなのは博物館そのものではなく、土台として再利用されているインカ時代の石壁です。
石壁は非常に精巧に組み立てられており、石と石の間にはカミソリの刃一枚すら通らないと言われています。
中でもインカ帝国の技術力の高さを示すのがこの12角の石。石組なので4角形でよさそうなものなのに、なぜわざわざ12角にしたのでしょうか。
一説によると、インカ帝国皇帝の12人の家族を象徴しているのだと言われています。
このようなすばらしい石組みを見るとつい触りたくなりますが、文化財保護のためおさわりは厳禁です。
触ろうとすると係員が飛んできて注意します。
インカの石組みにすわるインディヘナの衣装を着た物売りたち。
インカ帝国時代の服装をした人たちもうろついており、記念撮影するとお金を取られます。
アルマス広場に出ました。巨大なカテドラルがそびえ立っています。
広場の周囲には飲食店やお土産屋さんが並びます。
観光客でにぎわうアルマス広場。
インカ時代の神殿跡地に建つカテドラルは1550年から100年もかけて建設されました。
中に入りたいのですが、残念ながら外から眺めるのみです。
広場周辺の小道をぶらぶら歩きます。
見事な石壁です。石をまっすぐ切り出すのではなく、あえて曲がったままの石を使っているところにインカ人の美意識を感じます。
西山写真館。日系人のお店でしょうか。
カテドラルを横から。
カテドラルや教会、博物館などクスコには見どころが多数あるのですが、時間の関係で当初から見学予定がありませんでした。
中を見たかったのですが、残念です。
再びアルマス広場。広場の向こうの山々には上の方まで住宅地が広がっています。
ぶらぶら街歩きするのも楽しそうですが、クスコの治安は中心部を除きあまりよくありません。
雰囲気はいいのですがね。
カテドラルを正面から。
虚飾を排した、重厚なたたずまいです。
アルマス広場の中心には噴水がありました。
噴水の上に立つのはクスコを都として定めたインカ帝国第9代皇帝のパチャクティの像です。
アルマス広場を後にし、バスへと戻ります。
時刻は12時50分。クスコ観光を終えた我々は2時間ほどバスに乗り、マチュピチュ行の列車が出発するオリャイタンタンボ駅へと向かいます。
クスコはもっと観光したかったですね。カテドラルの内部や博物館を見学できればよかったのですが、日程の関係で優先度が低くなるのはやむを得ないでしょう。
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ペルー・ボリビア旅行の4日目。今日は朝の飛行機でクスコに飛び、クスコを半日ほど観光してからバスと鉄道を乗り継いでマチュピチュへと向かいます。
クスコは標高約3400メートル。リマからアンデス山脈を越えた先にある高原の街です。
15世紀前半ごろからインカ帝国の首都として栄えましたが、16世紀にスペインの侵略者たちにより破壊されてしまいました。
現在はインカ帝国時代の石壁や石組を土台に教会や貴族の邸宅などが建ち、インカ帝国時代の痕跡はすくなくなってしまいました。それでも古都独特の不思議な雰囲気は今も残り、1983年に世界遺産に指定されています。
ペルーからクスコへは飛行機移動が一般的です。アンデス越えの有視界飛行となるため、比較的気流や天候が安定している早朝5時から13時ごろまでに飛んでしまい、午後のフライトはほとんどありません。欠航や遅れも多いと言います。
また長距離バスもあり、リマからクスコまで所要21時間。アンデスを越える山道を行くため素人にはお勧めできないルートです。
我々のツアーが乗る飛行機はリマ発9時15分。5時半に起床し、6時半にホテルを出発。7時過ぎに空港に到着しました。
幸い我々が乗る飛行機は時間通りの出発予定とのことで、無事チェックインできました。
恐ろしいことに我々が乗る便の次便である10:25発クスコ行の便は乗客が少ないため欠航とのこと。
いかに適当なラテン諸国とはいえ、そんな理由でスケジュールが狂わされるのは御免こうむりたいです。
9時15分に離陸したクスコ行の飛行機は一気に高度を上げアンデス越えに挑みます。
眼下には早速険しいアンデスの山々が広がっています。
機内はガラガラ。もっと混んでいるかと思いましたが、意外です。
飛行機の上昇が止まり、安定飛行となりました。
信じられないほど近くに地面があります。
標高4000メートル越えは想像を絶する世界ですが、ちゃんと道があり、畑や家もあります。
なぜそんな高いところに住んでいるのでしょうか。彼らがいうには高山地帯は変な虫がおらず、逆に暮らしやすいのだそうです。
赤茶けたアンデスの山々と点在する湖。美しい景色が広がります。
日本では見られない景色です。
天気は良好。景色も素晴らしいです。私は離陸から窓の外をずっと眺めています。
さらに標高が高い山々は山頂付近が雪に覆われています。
1時間半ほどでクスコの町並みが見えてきました。
標高3400メートルの街クスコ。飛行機はほとんど高度を下げていませんが、すぐ下にはもう町並みが広がっています。
サッカー場もある立派な町ですね。それにしても標高3400メートルもある高地でサッカーなどできるのでしょうか。
空港が見えてきました。空気が薄く気圧も低いため、離陸するには通常よりも長い距離の滑走路が必要なのだそうです。
民家の屋根が銀色に輝いているのは何でしょうか。
ひょっとして太陽光発電用のソーラーパネル?
最近は南米でもエコを意識しているのだなぁと感動しましたが、着陸直前に見直したら単なる銀色のトタン屋根でした。なんだ。
飛行機はほとんど高度を下げず、あっという間にクスコの空港に着陸。
こんな着陸の仕方は初めてです。
飛行機を降りるとターミナルビルまで地面を歩かされます。
息が苦しい!少し歩いただけでも心臓の動機が激しくなり、息が上がります。
ここは標高3400メートル。無理をすると高山病になってしまいますから、深呼吸しながらゆっくりと歩きましょう。
クスコ空港からはバスに乗って中心部を観光します。
なお、クスコやオリャイタンタンボ駅からマチュピチュへと向かう鉄道路線はスーツケースの持ち込みができないため、マチュピチュへは滞在2泊3日分の荷物のみを持参し、その他の荷物はスーツケースに入れて6日目に宿泊するクスコのホテルに送ってもらうことになっています。
11時過ぎにクスコ空港を出発。空港周辺には高い建物がありません。地方都市の雰囲気です。
教会がありました。
線路を渡ります。後日乗車するクスコからプーノへの列車がこの線路を走ります。
土に埋もれて廃止されたかのような雰囲気ですね。きちんと保線作業を行っていないようです。
プーノ行列車が発着するワンチャク駅。列車の発着時以外は立ち入りできないよう線路にゲートが設けられています。
街の中心であるアルマス広場にはバスが入れないため、広場の近くで下車して歩くことになりました。
バスの階段を降りるだけでも動悸がします。深呼吸しながらゆっくり歩くことを心がけましょう。
インカの戦士が描かれたレリーフ。
石畳の細い路地。16世以降にスペイン人たちが作った街並みですが、その土台はインカ帝国時代のもの。
単純なヨーロッパの様式とは違う、独特の雰囲気があります。
高級そうなホテル。かつては貴族の邸宅だったのでしょう。
サント・ドミンゴ教会という立派な教会がありました。
かつてインカ帝国だったころには黄金で彩られた太陽の神殿があったのです。
黄金製の太陽の祭壇など様々な金銀財宝はスペイン人の侵略者たちがすべて持ち去ってしまい、神殿も破壊して教会に作り変えてしまいました。
1950年にクスコが大地震に襲われた時、スペイン人が作った教会は全壊してしまいましたが、土台となったインカ帝国時代の石組み部分はびくともしなかったと言われています。
教会の土台となっているインカ時代の石垣。
ぴっちりと石が積み上げられています。
教会の前の広場では若い男女とその家族が記念撮影をしていました。15歳のお祝いなのだそうです。
歩いてアルマス広場へ。白い壁と青で統一された町並みが美しいです。
道の両側には立派な石の壁がそびえています。これらはすべてインカ帝国時代に作られたものです。
左側の建物は植民地時代に作られた旧大司教庁で、現在宗教美術博物館となっています。
残念ながら博物館の見学は時間の関係でできませんでしたが、もっとも見るべきなのは博物館そのものではなく、土台として再利用されているインカ時代の石壁です。
石壁は非常に精巧に組み立てられており、石と石の間にはカミソリの刃一枚すら通らないと言われています。
中でもインカ帝国の技術力の高さを示すのがこの12角の石。石組なので4角形でよさそうなものなのに、なぜわざわざ12角にしたのでしょうか。
一説によると、インカ帝国皇帝の12人の家族を象徴しているのだと言われています。
このようなすばらしい石組みを見るとつい触りたくなりますが、文化財保護のためおさわりは厳禁です。
触ろうとすると係員が飛んできて注意します。
インカの石組みにすわるインディヘナの衣装を着た物売りたち。
インカ帝国時代の服装をした人たちもうろついており、記念撮影するとお金を取られます。
アルマス広場に出ました。巨大なカテドラルがそびえ立っています。
広場の周囲には飲食店やお土産屋さんが並びます。
観光客でにぎわうアルマス広場。
インカ時代の神殿跡地に建つカテドラルは1550年から100年もかけて建設されました。
中に入りたいのですが、残念ながら外から眺めるのみです。
広場周辺の小道をぶらぶら歩きます。
見事な石壁です。石をまっすぐ切り出すのではなく、あえて曲がったままの石を使っているところにインカ人の美意識を感じます。
西山写真館。日系人のお店でしょうか。
カテドラルを横から。
カテドラルや教会、博物館などクスコには見どころが多数あるのですが、時間の関係で当初から見学予定がありませんでした。
中を見たかったのですが、残念です。
再びアルマス広場。広場の向こうの山々には上の方まで住宅地が広がっています。
ぶらぶら街歩きするのも楽しそうですが、クスコの治安は中心部を除きあまりよくありません。
雰囲気はいいのですがね。
カテドラルを正面から。
虚飾を排した、重厚なたたずまいです。
アルマス広場の中心には噴水がありました。
噴水の上に立つのはクスコを都として定めたインカ帝国第9代皇帝のパチャクティの像です。
アルマス広場を後にし、バスへと戻ります。
時刻は12時50分。クスコ観光を終えた我々は2時間ほどバスに乗り、マチュピチュ行の列車が出発するオリャイタンタンボ駅へと向かいます。
クスコはもっと観光したかったですね。カテドラルの内部や博物館を見学できればよかったのですが、日程の関係で優先度が低くなるのはやむを得ないでしょう。
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クスコをブラタモリでやってほしいです📺
アンデス21時間バスは相当危険だと思います。