ペルー・ボリビア旅行記の第20回です。
7日目は観光列車チチカカ・トレインに乗って鉄道の旅。クスコからプーノまでの383.7キロを10時間かけて移動します。
列車はアンデスの高原地帯をゆっくり走り、やがてシクアニという町に到着しました。
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■ 7日目 2018年1月31日
インカ帝国時代の都クスコからチチカカ湖畔の町プーノまでの384キロ。
豪華列車チチカカ・トレインに乗って10時間の長旅です。
私は最後尾の展望車に腰を据え、ひたすら景色を眺めました。
クスコ〜プーノ間の路線は今でこそ週3往復の観光用定期列車が走るだけですが、かつては一般向けの普通列車も運行されていました。
沿線には今では使われなくなった廃駅の駅舎が残っています。
なぜか駅でもない場所で列車は停車しました。何かあったのでしょうか。
最後尾の展望車から顔を出して編成の前方を眺めます。
しばらく停車し、ゆっくりと動き出しました。
カーブの前方に工事用の車両が止まっているように見えます。
怖っ!
いかにも「たった今がけ崩れがありました」という場所をゆっくりと通過します。
砂ぼこりが舞っているのはブルドーザーで土砂をどかしたからでしょうか。
まさに現在進行形で土砂を取り除く作業をしています。
土砂が列車に直撃しなくて良かったですね・・・。
危険地帯を通過し、ほっと一息。
展望車量とラウンジではスタッフたちによるアンデスのフォルクローレショーが始まりました。
「コンドルは飛んで行く」の生演奏を聴きながらアンデスの高原の車窓を眺める。
鉄道ファンとしては最高のひと時でした。
線路の両側に木が生えています。標高3000メートル地帯でこんな木が生えているのは珍しいです。
小さな集落の小さな廃駅を通過。駅舎の軒下にオートバイが止まっていました。
トゥパク・アマル。
インカ帝国最後の皇帝の名前でもあり、首都リマで日本大使公邸占拠事件を起こしたテロ組織の名前でもあります。
赤茶けた家が線路沿いに並んでいます。
3階建てのビルがありました。平屋じゃない建物を見たのは久々です。
ちゃんとした道路ですね。大きな町に差し掛かった気配です。
列車交換設備を備えた廃駅を通過します。
線路際に畑が広がっています。
急に赤茶けた大地になりました。
小川が蛇行しています。
少し雲が出てきました。列車は草原をゆっくりと進みます。
畑の向こうに集落が見えます。
再び晴れ間が広がってきました。
サッカーグラウンドがありました。標高3000メートルの高地で90分間走り回るなんて想像できません。
慣れとは恐ろしいものです。
山肌に何か書かれています。
雲の位置が低いですし、空の青さが日本よりも濃い気がします。
集落を通過します。
教会と公園がありました。
牛が放牧されています。
同じような景色が続きますが、日本とは決定的に色が違います。
見ていて飽きることがありません。
家から出て列車に手を振る親子。
お父さんが上半身裸です。
犬が列車を追いかけてきました。
警官が交通違反の取り締まりをしているのでしょうか。バイクが止められています。
大きめの町に差し掛かったようです。
踏切を渡ります。
古ぼけたトラックに燦然と輝く三菱のマーク。
ホスピタル・シクアニと書かれています。シクアニの町に入りました。
クスコを出発して以来久しく見ることが無かった5階建てのビルがあります。
ここシクアニの町は人口約55000人。沿線では比較的大きな町です。
標高は3500メートル。富士山より少し低いだけの場所ですが、人々は普通に暮らしています。
列車は幹線道路に沿って進みます。線路と道路を隔てる柵は無く、人々は悠々と線路を横切っていきます。
カラフルな建物が並んでいますね。
薬屋がありました。町の人たちはのんびり歩いており、治安の悪さはあまり感じません。
線路が立派な柵に囲われています。駅が近いのでしょう。
ポイントを通過し、シクアニ駅の敷地内に入りました。
ターンテーブルがあります。今も使われているのでしょうか。
シクアニ駅に到着しました。緑色の大きな駅舎で、トタン屋根はさび付いています。
シクアニ駅は2000年代初頭まで旅客駅として使用されていたようですが、現在は客扱いを行っていないようです。
チチカカ・トレインも停車こそしますが乗り降りはありませんでした。
ただ貨物扱いがあるからか駅員がおり、駅として機能はしているようです。
ひょっとしたら情報が無いだけで旅客列車が走っているのかもしれません。
10:53にシクアニ駅を発車。クスコを出発してから4時間弱が経過しています。
保線用の車両。観光ルートですから保線作業はしっかり行われているようで、あまり揺れません。
駅の外は市場になっていました。
シャッターが閉まったお店が多いようです。
列車は1日1本あるか無いかなので、市場の人たちは列車に遠慮することなく品物を広げています。
こんなところでバルサのマフラーが売られています。もちろん偽物でしょう。
サッカー場がありました。
リーグ戦が行われているようで観客がいます。
線路が観客席になっており、観客をかき分けるように列車は進みます。
それにしても標高3500メートルでサッカー。
日本人には想像を絶する世界ですね。
次回はいよいよ標高4000メートルの世界に向けて登っていきます。
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インカ帝国時代の都クスコからチチカカ湖畔の町プーノまでの384キロ。
豪華列車チチカカ・トレインに乗って10時間の長旅です。
私は最後尾の展望車に腰を据え、ひたすら景色を眺めました。
クスコ〜プーノ間の路線は今でこそ週3往復の観光用定期列車が走るだけですが、かつては一般向けの普通列車も運行されていました。
沿線には今では使われなくなった廃駅の駅舎が残っています。
なぜか駅でもない場所で列車は停車しました。何かあったのでしょうか。
最後尾の展望車から顔を出して編成の前方を眺めます。
しばらく停車し、ゆっくりと動き出しました。
カーブの前方に工事用の車両が止まっているように見えます。
怖っ!
いかにも「たった今がけ崩れがありました」という場所をゆっくりと通過します。
砂ぼこりが舞っているのはブルドーザーで土砂をどかしたからでしょうか。
まさに現在進行形で土砂を取り除く作業をしています。
土砂が列車に直撃しなくて良かったですね・・・。
危険地帯を通過し、ほっと一息。
展望車量とラウンジではスタッフたちによるアンデスのフォルクローレショーが始まりました。
「コンドルは飛んで行く」の生演奏を聴きながらアンデスの高原の車窓を眺める。
鉄道ファンとしては最高のひと時でした。
線路の両側に木が生えています。標高3000メートル地帯でこんな木が生えているのは珍しいです。
小さな集落の小さな廃駅を通過。駅舎の軒下にオートバイが止まっていました。
トゥパク・アマル。
インカ帝国最後の皇帝の名前でもあり、首都リマで日本大使公邸占拠事件を起こしたテロ組織の名前でもあります。
赤茶けた家が線路沿いに並んでいます。
3階建てのビルがありました。平屋じゃない建物を見たのは久々です。
ちゃんとした道路ですね。大きな町に差し掛かった気配です。
列車交換設備を備えた廃駅を通過します。
線路際に畑が広がっています。
急に赤茶けた大地になりました。
小川が蛇行しています。
少し雲が出てきました。列車は草原をゆっくりと進みます。
畑の向こうに集落が見えます。
再び晴れ間が広がってきました。
サッカーグラウンドがありました。標高3000メートルの高地で90分間走り回るなんて想像できません。
慣れとは恐ろしいものです。
山肌に何か書かれています。
雲の位置が低いですし、空の青さが日本よりも濃い気がします。
集落を通過します。
教会と公園がありました。
牛が放牧されています。
同じような景色が続きますが、日本とは決定的に色が違います。
見ていて飽きることがありません。
家から出て列車に手を振る親子。
お父さんが上半身裸です。
犬が列車を追いかけてきました。
警官が交通違反の取り締まりをしているのでしょうか。バイクが止められています。
大きめの町に差し掛かったようです。
踏切を渡ります。
古ぼけたトラックに燦然と輝く三菱のマーク。
ホスピタル・シクアニと書かれています。シクアニの町に入りました。
クスコを出発して以来久しく見ることが無かった5階建てのビルがあります。
ここシクアニの町は人口約55000人。沿線では比較的大きな町です。
標高は3500メートル。富士山より少し低いだけの場所ですが、人々は普通に暮らしています。
列車は幹線道路に沿って進みます。線路と道路を隔てる柵は無く、人々は悠々と線路を横切っていきます。
カラフルな建物が並んでいますね。
薬屋がありました。町の人たちはのんびり歩いており、治安の悪さはあまり感じません。
線路が立派な柵に囲われています。駅が近いのでしょう。
ポイントを通過し、シクアニ駅の敷地内に入りました。
ターンテーブルがあります。今も使われているのでしょうか。
シクアニ駅に到着しました。緑色の大きな駅舎で、トタン屋根はさび付いています。
シクアニ駅は2000年代初頭まで旅客駅として使用されていたようですが、現在は客扱いを行っていないようです。
チチカカ・トレインも停車こそしますが乗り降りはありませんでした。
ただ貨物扱いがあるからか駅員がおり、駅として機能はしているようです。
ひょっとしたら情報が無いだけで旅客列車が走っているのかもしれません。
10:53にシクアニ駅を発車。クスコを出発してから4時間弱が経過しています。
保線用の車両。観光ルートですから保線作業はしっかり行われているようで、あまり揺れません。
駅の外は市場になっていました。
シャッターが閉まったお店が多いようです。
列車は1日1本あるか無いかなので、市場の人たちは列車に遠慮することなく品物を広げています。
こんなところでバルサのマフラーが売られています。もちろん偽物でしょう。
サッカー場がありました。
リーグ戦が行われているようで観客がいます。
線路が観客席になっており、観客をかき分けるように列車は進みます。
それにしても標高3500メートルでサッカー。
日本人には想像を絶する世界ですね。
次回はいよいよ標高4000メートルの世界に向けて登っていきます。
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