ペルー・ボリビア旅行記の第28回です。
8日目は午前中にチチカカ湖を見学し、その後バスに乗ってボリビアの首都ラパスへ。
チチカカ湖からラパスへと向かう道の途中にある古代遺跡、ティワナク遺跡を見学しました。
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■ 8日目 2018年2月1日 木曜日
ユーラシア旅行社の「ペルー・ボリビア・アンデス物語14日間」というツアーに参加し今日が8日目。
チチカカ湖畔のクスコを出発し、陸路で国境を越えてボリビアのティワナク遺跡にやってきました。
遺跡の前には今にも土に埋もれそうな線路があり、黄色い駅舎がありました。
月1回観光列車が走るので廃止はされていないのですが、現在の駅舎はティワナク遺跡のチケット売り場として使用されているようです。
まずはティワナク遺跡の博物館に入りました。
ティワナク遺跡の模型。
博物館はここ以外撮影禁止でしたので写真はありません。
遺跡から発掘された石像や石の門などが展示されていました。
注目はたかさ7メートル半の大きな石像。重機も無い時代にどうやってそのような高い石像を作り上げたのでしょうか。
驚かされます。
博物館を出て遺跡へ。月1回だけ観光列車が通過する線路を渡ります。
しかしこの線路。観光列車は脱線せずに走行できるのでしょうか。
ティワナク遺跡の敷地に入りました。
チチカカ湖周辺やチリ北部で栄えたティワナク文化は紀元前1〜2世紀ごろに現れ、800年ごろから1100年ごろに最盛期を迎えたとされています。
ティワナク遺跡は西暦110年ごろに建設されたティワナクの中心都市で、最盛期は2万人もの人たちが暮らしていたそうです。
その後1100年代後半にティワナク文化は突如崩壊し、ティワナクの町も放棄されてしまいました。
干ばつによる食糧不足なのか、気候変動なのか、理由ははっきりしていません。
ティワナク遺跡の構内図。遺跡は非常に広大で、全体の3割程度しか発掘できていないそうです。
標高3900メートル。富士山より高い場所にこんな巨大な遺跡があるとは驚きですね。
巨大なピラミッドが見えてきました。
崩れてしまった箇所が多く、原形をとどめているとはいいがたいです。
ピラミッドを上る人たち。雨が上がったものの、足元は滑りやすく危険です。
カラササヤと呼ばれる広場が見えてきました。
ピラミッドはもともと7段の基壇があったそうです。
見事な石積みです。
古代の建物ながら排水溝があったのでしょうか。
カラササヤの壁の部分。
カラササヤの内部。
エル・フライレと呼ばれる石像。発見者の名前が付けられています。
カラササヤから眺めるピラミッド。かつてはどんな形だったのでしょう。
カラササヤは宗教的施設だったらしいのですが、かなりいい加減な復元をされてしまったようで、カナら筋もティワナク遺跡が現役の都市だったころのイメージをそのまま伝えているわけではありません。
祭壇でしょうか。
カラササヤの入り口の門。柵があって通り抜けができないようになっています。
祭壇の向こうに建つ石像はポンセと呼ばれています。
ポンセと呼ばれる石像。
涙を流しているのが特徴的です。
手に持つのはお酒らしいです。
パンツの柄がかなり細かいですね。
ポンセ像の説明書き。模様の再現が興味深いです
腕や胴回りにも精巧な模様が彫られています。
カラササヤの崩れてしまった部分。
太陽の門。本来あった場所からは移動してしまっています。
中央にいるのは太陽針ことピラコチャ神。周囲には48の鳥人が彫られています。
太陽の門の解説文。
驚くべきことに高さ3メートル、幅3.75メートルのの一枚の石をツルツルに加工しています。
ティワナク文化が高い技術を持っていたことがわかります。
このレリーフにどんな意味があったのでしょう。
どの鳥人に太陽の光が当たるかで日付を確認していたという説があります。
つまり、この門は古代のカレンダーだったのかもしれません。
カラササヤを出て半地下神殿へ。
カラササヤの立派な石垣。ぴったり石が詰まれ、まるでインカ文明のようです。
ティワナク文化の高い技術がここにも表れています。
巨石と小さな石を組み合わせた石垣。ダイナミックなデザインに古代ティワナク人の美意識が現れています。
石像がにょっきり。
石垣に沿って歩きます。
カラササヤの門。ここから入れないのが残念。
カラササヤの隣にある半地下神殿。
中央にあるのがコンティキ神の立像です。
神殿の周りには180個の石の顔が彫られています。
彫りが濃いものや薄いもの、黒人のような顔もあり、様々な民族と交流があったことがわかります。
石の大半は摩耗して顔がわからなくなっていますが、全部そのまま残っていたらかなり不気味ですね。
残念ながら半地下神殿に降りることはできませんでした。
コンティキ神の石像。
半地下神殿からカラササヤを望みます。こうして見ると巨大な遺跡ですね。
遺跡を出てバスに乗り込みます。
古代へのロマンあふれる遺跡ですが、マチュピチュに比べるとインパクトは弱いです。
もう少し発掘が進んだら面白くなるかもしれません。
次回はバスでボリビアの首都ラパスに入ります。
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ユーラシア旅行社の「ペルー・ボリビア・アンデス物語14日間」というツアーに参加し今日が8日目。
チチカカ湖畔のクスコを出発し、陸路で国境を越えてボリビアのティワナク遺跡にやってきました。
遺跡の前には今にも土に埋もれそうな線路があり、黄色い駅舎がありました。
月1回観光列車が走るので廃止はされていないのですが、現在の駅舎はティワナク遺跡のチケット売り場として使用されているようです。
まずはティワナク遺跡の博物館に入りました。
ティワナク遺跡の模型。
博物館はここ以外撮影禁止でしたので写真はありません。
遺跡から発掘された石像や石の門などが展示されていました。
注目はたかさ7メートル半の大きな石像。重機も無い時代にどうやってそのような高い石像を作り上げたのでしょうか。
驚かされます。
博物館を出て遺跡へ。月1回だけ観光列車が通過する線路を渡ります。
しかしこの線路。観光列車は脱線せずに走行できるのでしょうか。
ティワナク遺跡の敷地に入りました。
チチカカ湖周辺やチリ北部で栄えたティワナク文化は紀元前1〜2世紀ごろに現れ、800年ごろから1100年ごろに最盛期を迎えたとされています。
ティワナク遺跡は西暦110年ごろに建設されたティワナクの中心都市で、最盛期は2万人もの人たちが暮らしていたそうです。
その後1100年代後半にティワナク文化は突如崩壊し、ティワナクの町も放棄されてしまいました。
干ばつによる食糧不足なのか、気候変動なのか、理由ははっきりしていません。
ティワナク遺跡の構内図。遺跡は非常に広大で、全体の3割程度しか発掘できていないそうです。
標高3900メートル。富士山より高い場所にこんな巨大な遺跡があるとは驚きですね。
巨大なピラミッドが見えてきました。
崩れてしまった箇所が多く、原形をとどめているとはいいがたいです。
ピラミッドを上る人たち。雨が上がったものの、足元は滑りやすく危険です。
カラササヤと呼ばれる広場が見えてきました。
ピラミッドはもともと7段の基壇があったそうです。
見事な石積みです。
古代の建物ながら排水溝があったのでしょうか。
カラササヤの壁の部分。
カラササヤの内部。
エル・フライレと呼ばれる石像。発見者の名前が付けられています。
カラササヤから眺めるピラミッド。かつてはどんな形だったのでしょう。
カラササヤは宗教的施設だったらしいのですが、かなりいい加減な復元をされてしまったようで、カナら筋もティワナク遺跡が現役の都市だったころのイメージをそのまま伝えているわけではありません。
祭壇でしょうか。
カラササヤの入り口の門。柵があって通り抜けができないようになっています。
祭壇の向こうに建つ石像はポンセと呼ばれています。
ポンセと呼ばれる石像。
涙を流しているのが特徴的です。
手に持つのはお酒らしいです。
パンツの柄がかなり細かいですね。
ポンセ像の説明書き。模様の再現が興味深いです
腕や胴回りにも精巧な模様が彫られています。
カラササヤの崩れてしまった部分。
太陽の門。本来あった場所からは移動してしまっています。
中央にいるのは太陽針ことピラコチャ神。周囲には48の鳥人が彫られています。
太陽の門の解説文。
驚くべきことに高さ3メートル、幅3.75メートルのの一枚の石をツルツルに加工しています。
ティワナク文化が高い技術を持っていたことがわかります。
このレリーフにどんな意味があったのでしょう。
どの鳥人に太陽の光が当たるかで日付を確認していたという説があります。
つまり、この門は古代のカレンダーだったのかもしれません。
カラササヤを出て半地下神殿へ。
カラササヤの立派な石垣。ぴったり石が詰まれ、まるでインカ文明のようです。
ティワナク文化の高い技術がここにも表れています。
巨石と小さな石を組み合わせた石垣。ダイナミックなデザインに古代ティワナク人の美意識が現れています。
石像がにょっきり。
石垣に沿って歩きます。
カラササヤの門。ここから入れないのが残念。
カラササヤの隣にある半地下神殿。
中央にあるのがコンティキ神の立像です。
神殿の周りには180個の石の顔が彫られています。
彫りが濃いものや薄いもの、黒人のような顔もあり、様々な民族と交流があったことがわかります。
石の大半は摩耗して顔がわからなくなっていますが、全部そのまま残っていたらかなり不気味ですね。
残念ながら半地下神殿に降りることはできませんでした。
コンティキ神の石像。
半地下神殿からカラササヤを望みます。こうして見ると巨大な遺跡ですね。
遺跡を出てバスに乗り込みます。
古代へのロマンあふれる遺跡ですが、マチュピチュに比べるとインパクトは弱いです。
もう少し発掘が進んだら面白くなるかもしれません。
次回はバスでボリビアの首都ラパスに入ります。
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