ペルー・ボリビア旅行記の第30回です。
9日目はラパスからウユニ塩湖のあるウユニへ飛行機移動。
ウユニでは放置された蒸気機関車が並ぶ列車墓場へと向かいました。
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■ 9日目 2018年2月2日 金曜日
ユーラシア旅行社のツアー「ペルー・ボリビア・アンデス物語14日間」も9日目。
12日目の朝には帰国の途に就きますから、今日を入れて実質あと3日間です。
今日は朝ボリビアの首都ラパスからバスに乗り、隣町のエル・アルト国際空港からウユニに飛びます。
ウユニでは放置された蒸気機関車の残骸が残る「列車墓場」と製塩所を見学し、午後はいよいよウユニ塩湖の散策です。
今日と明日はウユニに連泊し、ウユニ塩湖をじっくり巡るのですが、今は雨季なので雨が多いのが心配です。
晴れるといいのですが。
ラパスの高級ホテル「カサ・グランデスイーツホテル」を朝6時40分に出発。ホテル朝食が遅いらしく、レストランでの朝食は無し。パンとリンゴと飲み物が渡されました。
バスの中で食べながらエル・アルト国際空港へ向かうのですが、あいにく天気は雨。少し霧が出ています。
それほど渋滞することなく、朝7時40分にエル・アルト国際空港に到着しました。
ターミナルは新しく、トイレもきれいです。ですが何と言っても標高4100メートル。
世界で一番高い国際空港です。椅子から立ち上がれば立ち眩み、ちょっと歩いただけで息苦しくなります。
深呼吸しながらゆっくり歩かなければなりません。こんな場所で普通に暮らせる現地の人たちが信じられません。
慣れというのはすごいですね。
ただ、やはり高所ゆえの気圧の低さから飛行機が揚力を得るは普通の空港よりも難しく、滑走路は4000メートルもあります。
また、燃料を満タンにすると重くて飛べなくなるため遠距離のフライトができず、ヨーロッパや中東への便は設定されていません。
8時45分にボリビアーナ航空の飛行機でウユニに向けて出発。
エチケット袋のデザインが面白いです。今にも吐きそうな顔ですね。
飛行機はウユニに向け南下。雨は上がったようです。地面には何もありません。本当に何もないです。
何万年もかけて出来上がった地形がそのまま残っているのでしょう。ダイナミックな景色です。
9時35分にウユニ空港に到着。まわりには何もありません。
ウユニは人口1万人ほどの小さな町ですが、世界的観光地であるウユニ塩湖の玄関口なので、こうして立派な空港が作られているのです。
タラップを降りて地面へ。
ウユニ空港のターミナルはとても小さく、荷物がでてくるターンテーブルすらありませんでした。
ウユニの空港からは現地の旅行会社が用意した4WD車6台に分乗。ウユニ観光スタートです。
空港を出て、ウユニの町に入った途端この景色。
これがちゃんとした道路だというのですから驚きですね。
どう見ても川です。よほどの大雨だったのでしょう。
街道から外れると舗装道路がありません。
ここは本当に道路なのか。すごい所に来てしまったと思います。
犬がうろうろしています。狂犬病の危険があるのであまり近づかないほうがいいそうです。
建物はぽつぽつとしか建っていませんが、道がやたら広いです。
市街地を抜け、ウユニの郊外へ。
見えてきました。使われなくなった蒸気機関車の群れが朽ち果てるままに放置されている、「列車墓場」です。
車を降りて列車墓場へ。線路を渡ります。
ネットで検索すると「列車墓場」は廃線となった路線の蒸気機関車が放置されていると説明するものが多いです。
しかし、実際は違います。
もともとこの路線はイギリスの資本がボリビア内陸部から産出する資源や鉱産物を太平洋側のアントファガスタ港に運ぶために建設したものです。
1873年に太平洋側から工事が始まり、1892年にウユニまで開通。太平洋側のアントファガスタ港からウユニを経由してラパスまで鉄路で結ばれました。
その後建設当時ボリビア領だった太平洋側のアントファガスタが1879年から始まった戦争でチリに敗れたことによってチリに占領され、1904年の平和友好条約の締結により正式にチリ領となってしまいました。
ボリビアは太平洋に面した領土を失い内陸国となったわけですが、チリ領となったアントファガスタ港が立ち入り禁止となったわけではなく、路線自体も廃止はされずに現在まで生き残っています。
現在の運営会社はチリの鉱業会社アントファガスタPLCの子会社であるFCAB(アントファガスタ(チリ)&ボリビア鉄道)です。
ただし、ボリビアからアントファガスタへの旅客輸送は少なくとも20年以上前には廃止されてしまい、現在は貨物輸送のみとなっています。沿線人口が少なく、長距離バスや飛行機に負けたのです。
したがって我々が今横切っている線路は廃線にはなっておらず、ウユニやポトシ鉱山などからチリのアントファガスタ港への貨物列車が不定期に運行されているようです。
列車墓場となっているのはウユニの南のビリャソン方面からの路線からチリ方面の路線に合流するデルタ線とヤードの跡地。
アントファガスタ(チリ)&ボリビア鉄道がディーゼル機関車を導入し、不要になった蒸気機関車を大量に放置した結果こうなったようです。
現在放置されている蒸気機関車は1906年から1913年ごろに製造されたものがほとんどです。
さて、ここでボリビアの鉄道について紹介しましょう。
ボリビアの旅客列車はFerroviaria Andina社によって運行されています。
Ferroviaria Andina社ホームページ
上記ホームページの地図の赤線の部分が現在旅客営業されている区間です。
オルーロ〜ビラソン 週4便
エル・アルト〜グアキ 月1便
ビアチャ〜チャラナ 週2便
コチャバンバ〜アイキーレ 週3便
ポトシ〜スクレ(エルテハル駅) 週3便
オルーロは首都ラパスの南にある町です。かつては首都ラパスからオルーロまでも運行されていたのですが、かなり前に運行休止となってしまいました。
メインのルートはオルーロからアルゼンチン国境のビラソンに至る列車で、途中ウユニを経由することから観光客の利用が多いです。
風前の灯の鉄道輸送ですがこの区間は道路事情が悪いため定期列車として生き残っています。
銀山で有名なポトシとスクレを結ぶ路線は乗り合いバスをディーゼルカーに改造した車両が週3便往復しています。
バスから改造したので運転席にハンドルがあるそうです。このホームページを見ると乗りたくなりますね。
ボリビア鉄道の旅(鉄道小バザール)
上記以外にはボリビア東部の大都市サンタクルスから東に向かいブラジルとの国境に近いプエルト・キハロに至る路線が毎日2便。
サンタクルスから南のアルゼンチン国境ヤクイバまでの路線が週1便運行されています。
FERROVIARIA ORIENTAL
というわけで、現役の貨物線の線路を通り過ぎれば、そこはもう列車墓場。
100年前に製造された蒸気機関車の残骸がずらりと並ぶ様は壮観です。
幸いにして雨は上がりました。30分ほど自由時間となったので、列車墓場を存分に散策してみましょう。
前面のふたが垂れ下がり、骨格だけとなった蒸気機関車。
放置されてから40年以上経過しているはずですが、意外なほどに原形をとどめています。
機関室に乗りこめば、穴の開いたボイラーがありました。
蒸気機関車を正面から。
標高3800メートルの地に放置された蒸気機関車の群れ。
朽ち果てるまま野ざらしになっているのはもったいないですね。
ヨーロッパだったら鉄道博物館を造って陳列する国もあるのでしょうけども、ここは南米。
もともと鉄道の地位があまり高くなかったのかもしれません。
落書きされてしまった蒸気機関車。
低く垂れこめた雲、どこまでも続く荒野。そして蒸気機関車の残骸。
不思議なほどに現実感の無い光景です。
使える部品は持ち去られてしまったのでしょう。
水たまりにうつる蒸気機関車の残骸。
我々ユーラシア旅行社のツアー一行以外にも観光客がたくさんおり、思い思いに蒸気機関車を眺めています。
ウユニ塩湖の現地ツアーに申し込むと必ずこの列車墓場に立ち寄るようです。
錆が浮かぶ胴体。
1960年代までは貨物輸送に使用されていたと思われます。
いろいろな形の蒸気機関車がありますね。
前面の蓋が無くなっていることを除けばかなり状態のいい蒸気機関車です。
内部を除きます。
蒸気機関車の上に登っている人もいます。危ないのでお勧めできません。
水に映る蒸気機関車と青い空。絵になります。インスタ映えというやつですね。
どの蒸気機関車も内部の部品は持ち去られたようで、穴が開いています。
立派な蒸気機関車なのに・・・。時の流れは無常です。
内部の構造が見えています。
腐食が進行し今にも崩れそうな蒸気機関車。
斜めになったまま放置されています。
列車墓場は広く、30分では足りないです。
客車や貨車の残骸。原形をとどめていません。
小型の蒸気機関車の残骸が並びます。
台車の部分はすでに原形をとどめていません。
こちらは比較的原形をとどめています。
ここだけ時が止まったかのような、とても不思議な空間です。
時間となりました。40年以上前に時を止めた列車墓場を後にして、次の目的地に向かいましょう。
朽ち果てるがままの蒸気機関車。鉄道好きとしては面白くもあり、少し悲しくもある。
そんな列車墓場でした。
次回は製塩所を見学し、塩のホテルへと向かいます。
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ユーラシア旅行社のツアー「ペルー・ボリビア・アンデス物語14日間」も9日目。
12日目の朝には帰国の途に就きますから、今日を入れて実質あと3日間です。
今日は朝ボリビアの首都ラパスからバスに乗り、隣町のエル・アルト国際空港からウユニに飛びます。
ウユニでは放置された蒸気機関車の残骸が残る「列車墓場」と製塩所を見学し、午後はいよいよウユニ塩湖の散策です。
今日と明日はウユニに連泊し、ウユニ塩湖をじっくり巡るのですが、今は雨季なので雨が多いのが心配です。
晴れるといいのですが。
ラパスの高級ホテル「カサ・グランデスイーツホテル」を朝6時40分に出発。ホテル朝食が遅いらしく、レストランでの朝食は無し。パンとリンゴと飲み物が渡されました。
バスの中で食べながらエル・アルト国際空港へ向かうのですが、あいにく天気は雨。少し霧が出ています。
それほど渋滞することなく、朝7時40分にエル・アルト国際空港に到着しました。
ターミナルは新しく、トイレもきれいです。ですが何と言っても標高4100メートル。
世界で一番高い国際空港です。椅子から立ち上がれば立ち眩み、ちょっと歩いただけで息苦しくなります。
深呼吸しながらゆっくり歩かなければなりません。こんな場所で普通に暮らせる現地の人たちが信じられません。
慣れというのはすごいですね。
ただ、やはり高所ゆえの気圧の低さから飛行機が揚力を得るは普通の空港よりも難しく、滑走路は4000メートルもあります。
また、燃料を満タンにすると重くて飛べなくなるため遠距離のフライトができず、ヨーロッパや中東への便は設定されていません。
8時45分にボリビアーナ航空の飛行機でウユニに向けて出発。
エチケット袋のデザインが面白いです。今にも吐きそうな顔ですね。
飛行機はウユニに向け南下。雨は上がったようです。地面には何もありません。本当に何もないです。
何万年もかけて出来上がった地形がそのまま残っているのでしょう。ダイナミックな景色です。
9時35分にウユニ空港に到着。まわりには何もありません。
ウユニは人口1万人ほどの小さな町ですが、世界的観光地であるウユニ塩湖の玄関口なので、こうして立派な空港が作られているのです。
タラップを降りて地面へ。
ウユニ空港のターミナルはとても小さく、荷物がでてくるターンテーブルすらありませんでした。
ウユニの空港からは現地の旅行会社が用意した4WD車6台に分乗。ウユニ観光スタートです。
空港を出て、ウユニの町に入った途端この景色。
これがちゃんとした道路だというのですから驚きですね。
どう見ても川です。よほどの大雨だったのでしょう。
街道から外れると舗装道路がありません。
ここは本当に道路なのか。すごい所に来てしまったと思います。
犬がうろうろしています。狂犬病の危険があるのであまり近づかないほうがいいそうです。
建物はぽつぽつとしか建っていませんが、道がやたら広いです。
市街地を抜け、ウユニの郊外へ。
見えてきました。使われなくなった蒸気機関車の群れが朽ち果てるままに放置されている、「列車墓場」です。
車を降りて列車墓場へ。線路を渡ります。
ネットで検索すると「列車墓場」は廃線となった路線の蒸気機関車が放置されていると説明するものが多いです。
しかし、実際は違います。
もともとこの路線はイギリスの資本がボリビア内陸部から産出する資源や鉱産物を太平洋側のアントファガスタ港に運ぶために建設したものです。
1873年に太平洋側から工事が始まり、1892年にウユニまで開通。太平洋側のアントファガスタ港からウユニを経由してラパスまで鉄路で結ばれました。
その後建設当時ボリビア領だった太平洋側のアントファガスタが1879年から始まった戦争でチリに敗れたことによってチリに占領され、1904年の平和友好条約の締結により正式にチリ領となってしまいました。
ボリビアは太平洋に面した領土を失い内陸国となったわけですが、チリ領となったアントファガスタ港が立ち入り禁止となったわけではなく、路線自体も廃止はされずに現在まで生き残っています。
現在の運営会社はチリの鉱業会社アントファガスタPLCの子会社であるFCAB(アントファガスタ(チリ)&ボリビア鉄道)です。
ただし、ボリビアからアントファガスタへの旅客輸送は少なくとも20年以上前には廃止されてしまい、現在は貨物輸送のみとなっています。沿線人口が少なく、長距離バスや飛行機に負けたのです。
したがって我々が今横切っている線路は廃線にはなっておらず、ウユニやポトシ鉱山などからチリのアントファガスタ港への貨物列車が不定期に運行されているようです。
列車墓場となっているのはウユニの南のビリャソン方面からの路線からチリ方面の路線に合流するデルタ線とヤードの跡地。
アントファガスタ(チリ)&ボリビア鉄道がディーゼル機関車を導入し、不要になった蒸気機関車を大量に放置した結果こうなったようです。
現在放置されている蒸気機関車は1906年から1913年ごろに製造されたものがほとんどです。
さて、ここでボリビアの鉄道について紹介しましょう。
ボリビアの旅客列車はFerroviaria Andina社によって運行されています。
Ferroviaria Andina社ホームページ
上記ホームページの地図の赤線の部分が現在旅客営業されている区間です。
オルーロ〜ビラソン 週4便
エル・アルト〜グアキ 月1便
ビアチャ〜チャラナ 週2便
コチャバンバ〜アイキーレ 週3便
ポトシ〜スクレ(エルテハル駅) 週3便
オルーロは首都ラパスの南にある町です。かつては首都ラパスからオルーロまでも運行されていたのですが、かなり前に運行休止となってしまいました。
メインのルートはオルーロからアルゼンチン国境のビラソンに至る列車で、途中ウユニを経由することから観光客の利用が多いです。
風前の灯の鉄道輸送ですがこの区間は道路事情が悪いため定期列車として生き残っています。
銀山で有名なポトシとスクレを結ぶ路線は乗り合いバスをディーゼルカーに改造した車両が週3便往復しています。
バスから改造したので運転席にハンドルがあるそうです。このホームページを見ると乗りたくなりますね。
ボリビア鉄道の旅(鉄道小バザール)
上記以外にはボリビア東部の大都市サンタクルスから東に向かいブラジルとの国境に近いプエルト・キハロに至る路線が毎日2便。
サンタクルスから南のアルゼンチン国境ヤクイバまでの路線が週1便運行されています。
FERROVIARIA ORIENTAL
というわけで、現役の貨物線の線路を通り過ぎれば、そこはもう列車墓場。
100年前に製造された蒸気機関車の残骸がずらりと並ぶ様は壮観です。
幸いにして雨は上がりました。30分ほど自由時間となったので、列車墓場を存分に散策してみましょう。
前面のふたが垂れ下がり、骨格だけとなった蒸気機関車。
放置されてから40年以上経過しているはずですが、意外なほどに原形をとどめています。
機関室に乗りこめば、穴の開いたボイラーがありました。
蒸気機関車を正面から。
標高3800メートルの地に放置された蒸気機関車の群れ。
朽ち果てるまま野ざらしになっているのはもったいないですね。
ヨーロッパだったら鉄道博物館を造って陳列する国もあるのでしょうけども、ここは南米。
もともと鉄道の地位があまり高くなかったのかもしれません。
落書きされてしまった蒸気機関車。
低く垂れこめた雲、どこまでも続く荒野。そして蒸気機関車の残骸。
不思議なほどに現実感の無い光景です。
使える部品は持ち去られてしまったのでしょう。
水たまりにうつる蒸気機関車の残骸。
我々ユーラシア旅行社のツアー一行以外にも観光客がたくさんおり、思い思いに蒸気機関車を眺めています。
ウユニ塩湖の現地ツアーに申し込むと必ずこの列車墓場に立ち寄るようです。
錆が浮かぶ胴体。
1960年代までは貨物輸送に使用されていたと思われます。
いろいろな形の蒸気機関車がありますね。
前面の蓋が無くなっていることを除けばかなり状態のいい蒸気機関車です。
内部を除きます。
蒸気機関車の上に登っている人もいます。危ないのでお勧めできません。
水に映る蒸気機関車と青い空。絵になります。インスタ映えというやつですね。
どの蒸気機関車も内部の部品は持ち去られたようで、穴が開いています。
立派な蒸気機関車なのに・・・。時の流れは無常です。
内部の構造が見えています。
腐食が進行し今にも崩れそうな蒸気機関車。
斜めになったまま放置されています。
列車墓場は広く、30分では足りないです。
客車や貨車の残骸。原形をとどめていません。
小型の蒸気機関車の残骸が並びます。
台車の部分はすでに原形をとどめていません。
こちらは比較的原形をとどめています。
ここだけ時が止まったかのような、とても不思議な空間です。
時間となりました。40年以上前に時を止めた列車墓場を後にして、次の目的地に向かいましょう。
朽ち果てるがままの蒸気機関車。鉄道好きとしては面白くもあり、少し悲しくもある。
そんな列車墓場でした。
次回は製塩所を見学し、塩のホテルへと向かいます。
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