ペルー・ボリビア旅行記の第41回です。
長い旅もいよいよ終わり。
ボリビアの首都ラパスからリマ、メキシコを経由して日本へ帰ります。
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■ 11日目 2018年2月4日 日曜日
14日間に及ぶユーラシア旅行社の「ペルー・ボリビア・アンデス物語14日間」のツアー。観光の最終日の日程を終え、あとは一泊して帰国するだけとなりました。
17時にホテルに戻り、近くのスーパーマーケット「KETAL」でお買い物。
職場用のお土産のチョコートや怪しげなカップラーメンを買いました。
レモン味のカップラーメンなど日本では見たことがありませんが、「マルチャン」と書かれているので日本メーカーです。味は大丈夫でしょう。明日はホテルの朝ご飯がありませんから、部屋で食べるとします。
ホテルは「カサ・グランデ・スイーツ」という豪華ホテル。すべての部屋がスイートルームです。
私の止まった部屋もリビングとキッチンと2つの寝室があり、トイレも2つあります。1人で泊まる部屋ではありません。
19:30、ホテルでの夕食です。標高3300メートルの高地に慣れたとはいえ油断は禁物。お酒は遠慮しました。
メニューはカプレーゼサラダ、牛肉のグリル、パンナコッタでした。
車の音がややうるさいですが、23時に就寝。明日は6時起きです。
■ 12日目 2018年2月5日 月曜日
朝6時に起床。ホテルの部屋のキッチンでお湯を沸かし、昨日の夕方スーパーで買ったレモン味のカップラーメンを食べました。酸っぱいですが、違和感のない味です。
ホテルをチェックアウトし、7時にバスに乗り込み空港に向けて出発します。
ラパスの空の玄関口エル・アルト空港は標高4100メートル。
標高3300メートルのラパス中心部から800メートル近くバスで登ります。
前回ウユニ塩湖に行く時も空港を利用しましたが、あの時は霧で何も見えませんでした。
今日は最後のボリビアですから、沿道の景色を目に焼き付けておきましょう。
街中のいたるところにあるモラレス大統領の看板。数年後不正選挙で失脚し他国に亡命するとは予想していませんでした。
ラパスの公共交通機関であるロープウェイ。高低差のあるラパスでは鉄道よりもロープウェイが適しているのです。
平日の朝ですから人が多いです。白いスカートは学校の制服でしょうか。
教会でしょう。立派な鐘楼のある建物です。
ラパスの町を走るボンネットバス。あの路線バスに乗れなかったのが心残りです。
ただ、無防備なアジア人が一人で乗れば高確率でスリに遭いますから、近寄らないほうが無難でしょう。
ラパス中心部を抜け、高原の衛星都市エル・アルトへ。
渋滞解消のため道路の拡張工事が行われています。
道路から見下ろすラパスの町並み。雲が出てきました。
ラパスに向かうバス停に長蛇の列ができていました。歩道橋まで列が続いています。
ずらりと並ぶミニバス。市民の通勤の足です。
坂を上り切り、エルアルトの町へ。間もなく空港です。
バスが好きなもので、ボンネットバスを見るとついつい撮影してしまいます。
7:55にエル・アルト空港に到着。
ラ・タム航空のブースでチェックインを済ませ、トイレに行きました。トイレはきれいですが鍵が壊れていました。
小さな空港なので免税店も小さいです。おまけにチョコレートが高い。
おもちゃ類もありますね。日本のソフトパワーは地球の裏側まで席巻しています。
ラ・タム航空のリマ行きの出発を待ちます。
エル・アルト空港は標高4400メートルの高所にあるため酸素が薄く、平地に比べて十分な揚力を得ることができません。燃料を満タンにすると飛び立てないほどです。
そのため遠方へのフライトができず、行き先はペルーなど隣国がほとんどです。アメリカのマイアミに行く便もあるようですが、標高が低い他の空港を経由して燃料の補給を行う必要があります。
つまり日本に帰る我々も直接日本行きの便がある空港に飛ぶことはできず、ペルーのリマを経由してメキシコシティにて成田行きのアエロメヒコ航空AM58便に乗り換えることになります。
10:30、予定通りラ・タム航空LA2403便でペルーの首都リマへ。
1時間40分でリマ・ホルヘチャベス空港に到着しました。
時刻は11時。ボリビアとの時差は1時間です。そして何と嬉しいことに標高は100メートル。
標高3000メートルの世界から平地へと帰ってきました。空気が濃いです。そして暑い!
メキシコシティ行きアエロメヒコ航空AM47便は16:45発なのでしばらく自由時間となりました。
一度荷物を引き取り、シャツやCDなどを物色し、ご飯を食べつつ時間を潰します。
2時間ほどでアエロメヒコ航空のカウンターに向かい、荷物を預けてチェックインしました。
16:45。リマからメキシコに向けて出発。
6時間もかかります。地球は広い。そして南米から日本は遠いです。
21:48。メキシコシティ空港に到着。時差はマイナス1時間です。
日本からリマまではメキシコで荷物を引き取らずリマまで直送だったのですが、帰りは荷物をいったん受け取ったうえで、近くのブースで再び預け入れ。なぜこんなシステムなのか、ラテンの国はよくわかりません。
0:40。日付が変わり13日目の2018年2月6日火曜日です。
アエロメヒコ航空AM58便で成田へと出発しました。
いよいよ日本です。追加料金を払って通路側の席を確保したところ、3列席すべてが空席でした。
行きもそうでしたがこれはラッキーです。3列すべて占領して横になることができます。
日本へは14時間40分。シアトル近辺まで北上し、日本を目指します。
うとうとしているうちに日付変更線を超えて最終日の2018年2月7日水曜日。
朝6:20に成田空港に到着しました。
3日間のフライトは長かった。そして旅も長かった。
日本へと帰ってきてしまいました。
体調を崩すことなく、カメラも壊すことなく無事に帰国できてほっとしています。
そして明日からは仕事です。どれだけ仕事が溜まっているか恐ろしいですが、まずは迷惑をかけた同僚に感謝とお詫びしないといけません。
ユーラシア旅行社の「ペルー・ボリビア・アンデス物語14日間」が終わりました。
ナスカの地上絵は思ったより小さく、セスナ機の振動で乗り物酔いしましたが、この目で見られたのは大きな財産です。
そしてマチュピチュ遺跡。どうしても行きたい遺跡でした。2日間もじっくり歩くことができ、大満足しています。
クスコからチチカカ湖への高山列車。鉄道ファンにとっては夢の列車です。子供の時に宮脇俊三氏の寄稿文を読んで以来、いつか乗ってみたいと思っていました。想像を絶する車窓でした。
そしてウユニ塩湖。まさに夢のような、言葉に言い表せない景色でした。夕日や朝日は拝めませんでしたが、美しい星空を見ることができたのは幸運でした。
幸運。ペルーとボリビアを旅できたのは幸運の一言でしょう。
夢のようなひと時でした。100万円もしましたし、2週間も休むなんて尋常ではありません。
ですが、休めるチャンスがあるのなら行きたかった。この時を逃せば一生行く機会はないでしょうから、思い切って良かったです。
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14日間に及ぶユーラシア旅行社の「ペルー・ボリビア・アンデス物語14日間」のツアー。観光の最終日の日程を終え、あとは一泊して帰国するだけとなりました。
17時にホテルに戻り、近くのスーパーマーケット「KETAL」でお買い物。
職場用のお土産のチョコートや怪しげなカップラーメンを買いました。
レモン味のカップラーメンなど日本では見たことがありませんが、「マルチャン」と書かれているので日本メーカーです。味は大丈夫でしょう。明日はホテルの朝ご飯がありませんから、部屋で食べるとします。
ホテルは「カサ・グランデ・スイーツ」という豪華ホテル。すべての部屋がスイートルームです。
私の止まった部屋もリビングとキッチンと2つの寝室があり、トイレも2つあります。1人で泊まる部屋ではありません。
19:30、ホテルでの夕食です。標高3300メートルの高地に慣れたとはいえ油断は禁物。お酒は遠慮しました。
メニューはカプレーゼサラダ、牛肉のグリル、パンナコッタでした。
車の音がややうるさいですが、23時に就寝。明日は6時起きです。
■ 12日目 2018年2月5日 月曜日
朝6時に起床。ホテルの部屋のキッチンでお湯を沸かし、昨日の夕方スーパーで買ったレモン味のカップラーメンを食べました。酸っぱいですが、違和感のない味です。
ホテルをチェックアウトし、7時にバスに乗り込み空港に向けて出発します。
ラパスの空の玄関口エル・アルト空港は標高4100メートル。
標高3300メートルのラパス中心部から800メートル近くバスで登ります。
前回ウユニ塩湖に行く時も空港を利用しましたが、あの時は霧で何も見えませんでした。
今日は最後のボリビアですから、沿道の景色を目に焼き付けておきましょう。
街中のいたるところにあるモラレス大統領の看板。数年後不正選挙で失脚し他国に亡命するとは予想していませんでした。
ラパスの公共交通機関であるロープウェイ。高低差のあるラパスでは鉄道よりもロープウェイが適しているのです。
平日の朝ですから人が多いです。白いスカートは学校の制服でしょうか。
教会でしょう。立派な鐘楼のある建物です。
ラパスの町を走るボンネットバス。あの路線バスに乗れなかったのが心残りです。
ただ、無防備なアジア人が一人で乗れば高確率でスリに遭いますから、近寄らないほうが無難でしょう。
ラパス中心部を抜け、高原の衛星都市エル・アルトへ。
渋滞解消のため道路の拡張工事が行われています。
道路から見下ろすラパスの町並み。雲が出てきました。
ラパスに向かうバス停に長蛇の列ができていました。歩道橋まで列が続いています。
ずらりと並ぶミニバス。市民の通勤の足です。
坂を上り切り、エルアルトの町へ。間もなく空港です。
バスが好きなもので、ボンネットバスを見るとついつい撮影してしまいます。
7:55にエル・アルト空港に到着。
ラ・タム航空のブースでチェックインを済ませ、トイレに行きました。トイレはきれいですが鍵が壊れていました。
小さな空港なので免税店も小さいです。おまけにチョコレートが高い。
おもちゃ類もありますね。日本のソフトパワーは地球の裏側まで席巻しています。
ラ・タム航空のリマ行きの出発を待ちます。
エル・アルト空港は標高4400メートルの高所にあるため酸素が薄く、平地に比べて十分な揚力を得ることができません。燃料を満タンにすると飛び立てないほどです。
そのため遠方へのフライトができず、行き先はペルーなど隣国がほとんどです。アメリカのマイアミに行く便もあるようですが、標高が低い他の空港を経由して燃料の補給を行う必要があります。
つまり日本に帰る我々も直接日本行きの便がある空港に飛ぶことはできず、ペルーのリマを経由してメキシコシティにて成田行きのアエロメヒコ航空AM58便に乗り換えることになります。
10:30、予定通りラ・タム航空LA2403便でペルーの首都リマへ。
1時間40分でリマ・ホルヘチャベス空港に到着しました。
時刻は11時。ボリビアとの時差は1時間です。そして何と嬉しいことに標高は100メートル。
標高3000メートルの世界から平地へと帰ってきました。空気が濃いです。そして暑い!
メキシコシティ行きアエロメヒコ航空AM47便は16:45発なのでしばらく自由時間となりました。
一度荷物を引き取り、シャツやCDなどを物色し、ご飯を食べつつ時間を潰します。
2時間ほどでアエロメヒコ航空のカウンターに向かい、荷物を預けてチェックインしました。
16:45。リマからメキシコに向けて出発。
6時間もかかります。地球は広い。そして南米から日本は遠いです。
21:48。メキシコシティ空港に到着。時差はマイナス1時間です。
日本からリマまではメキシコで荷物を引き取らずリマまで直送だったのですが、帰りは荷物をいったん受け取ったうえで、近くのブースで再び預け入れ。なぜこんなシステムなのか、ラテンの国はよくわかりません。
0:40。日付が変わり13日目の2018年2月6日火曜日です。
アエロメヒコ航空AM58便で成田へと出発しました。
いよいよ日本です。追加料金を払って通路側の席を確保したところ、3列席すべてが空席でした。
行きもそうでしたがこれはラッキーです。3列すべて占領して横になることができます。
日本へは14時間40分。シアトル近辺まで北上し、日本を目指します。
うとうとしているうちに日付変更線を超えて最終日の2018年2月7日水曜日。
朝6:20に成田空港に到着しました。
3日間のフライトは長かった。そして旅も長かった。
日本へと帰ってきてしまいました。
体調を崩すことなく、カメラも壊すことなく無事に帰国できてほっとしています。
そして明日からは仕事です。どれだけ仕事が溜まっているか恐ろしいですが、まずは迷惑をかけた同僚に感謝とお詫びしないといけません。
ユーラシア旅行社の「ペルー・ボリビア・アンデス物語14日間」が終わりました。
ナスカの地上絵は思ったより小さく、セスナ機の振動で乗り物酔いしましたが、この目で見られたのは大きな財産です。
そしてマチュピチュ遺跡。どうしても行きたい遺跡でした。2日間もじっくり歩くことができ、大満足しています。
クスコからチチカカ湖への高山列車。鉄道ファンにとっては夢の列車です。子供の時に宮脇俊三氏の寄稿文を読んで以来、いつか乗ってみたいと思っていました。想像を絶する車窓でした。
そしてウユニ塩湖。まさに夢のような、言葉に言い表せない景色でした。夕日や朝日は拝めませんでしたが、美しい星空を見ることができたのは幸運でした。
幸運。ペルーとボリビアを旅できたのは幸運の一言でしょう。
夢のようなひと時でした。100万円もしましたし、2週間も休むなんて尋常ではありません。
ですが、休めるチャンスがあるのなら行きたかった。この時を逃せば一生行く機会はないでしょうから、思い切って良かったです。
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