
ギリシャ旅行記の第19回です。
4日目は古代ギリシャ時代に世界のへそと呼ばれたデルフィ遺跡を見学します。
デルフィ遺跡に入場し、神託が下されたアポロン神殿目指して歩きました。
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■ 4日目 2019年8月31日 土曜日
古代ギリシャ時代に世界の中心だったデルフィにやってきました。考古学博物館の見学を終え、いよいよ遺跡へと向かいます。

考古学博物館と遺跡を結ぶ遊歩道を歩いています。
ギリシャの夏は暑く、日差しが強いです。ただ湿度は低くカラッとしています。

入場券は先ほど見学した考古学博物館との共通入場券を購入済みです。
チケットを見せて、遺跡に入場しました。

デルフィは古代ギリシャからローマ時代にかけての長い間聖地として信仰を集めていました。
デルフィのアポロン神殿では巫女ピューティアによる神託が行われ、個人の悩みから戦争の行く末など、様々な神託が下されたのです。
デルフォイの神託、とも呼ばれています。
有名なエピソードとしては、ペルシアとの戦いを前にしたアテネがデルフィで「木の壁のみがアテネを守る」との神託を受けたことから木造船を大量生産し、サラミスの海戦に勝利したというものがあります。

遺跡の入口付近の広場はローマ時代のアゴラとされています。
古代ローマの時代に広場や建物が整備された部分なのでしょう。

建物は柱部分のみ残ります。

等間隔に建つ柱。

立派な建物だったのでしょう。

石造りの壁の部分。
複雑な模様が描かれています。

坂を上り、デルフィ遺跡の内部へと進みます。

このあたりは宝物庫が並んでいました。
古代ギリシャ時代の様々な都市国家によるアポロン神殿への献上物を保管したそうです。

宝物庫のほとんどは崩れてしまっていますが、壁面のみ一部が復元されています。

この円形の建物には都市国家アルゴスがテーベを攻めた時の7将軍の像が奉納されていたそうです。
ギリシャ悲劇にも登場する有名なエピソードです。

古代ギリシャの時代にはこの道の両側に豪華な宝物庫が並んでいたのでしょう。
各都市国家がデルフィに争うように宝物を献納したのは神託のおかげで成功したというのもあるでしょうけども、時にはデルフィにわいろを贈ることで自分たちに有利な神託を出してもらおうという動きもあったそうです。
聖なる神殿が一気に俗物的な話になりましたね。
ただ、現実問題としてデルフィから下される神託が各都市国家の政策を左右していたのですから、財宝という実弾が飛び交うのもやむを得ないのでしょう。神託もまた都市国家による情報戦の一つだったのかもしれません。

今は壁しか残っていませんが、宝物庫に収蔵された奉納品は考古学博物館に展示されています。

宝物庫の土台のみが残ります。

後ろを振り返るとこんな景色。
空気が澄んでいます。

入口からここまで緩やかな上り坂です。

各都市国家が建造した宝物庫の内、この「アテネ人の宝庫」のみがフランスの考古学会の手によって復元されています。
アテネ人の宝庫の手前には世界のへそを示す「オンファロス」という石が設置されています。
白髪のおじさんが手を置いている石がそうです。

このオンファロスはレプリカですが、考古学博物館には古代ローマ時代に再制作されたオンファロスが展示されています。
なぜ、ここデルフィは世界のへそなのでしょうか。
古代ギリシャ神話によると、最高神デウスが世界の中心を定めるために地平線の両端から2羽の鷲を飛ばし、鷲が出会ったのがここデルフィだったのだそうです。

立派な神殿のようなアテネ人の宝庫。
紀元前490年に起こったマラトンの戦いでペルシアに勝利したアテネが感謝のしるしとして奉納したのだそうです。

宝物庫の破風には戦いの模様を表現したレリーフが彫られていました。

宝物庫が集まるエリアを抜け、先へと進みます。

建物の遺構が見えてきました。
下がアテネ人の柱廊、上がアポロン神殿です。

かつて神託が下された神殿だけあって、威厳あふれる柱です。

細く優美な柱が印象的なアテネ人の柱廊は紀元前478年にアテネがサラミスの海戦に勝利したことを記念し、戦利品を奉納するために建てられました。
もともとは7本の円柱により木製の屋根を支えていましたが、現在は3本の円柱のみ残ります。

無造作に石が並ぶ一角は、かつては宝物庫が並んでいました。

先へと進みましょう。

柱の跡もありました。

傾斜地に建てられた宝物庫の跡。

前方にねじり飴のような柱が見えてきました。
プラタイアイの戦勝記念碑です。

歩きやすいように階段が整備されています。

プラタイアイの戦勝記念碑を近くから眺めます。

プラタイアイの戦勝記念碑はもともと3匹のヘビが巻き付いた形になっていたそうですが、今は上部が折れてなくなってしまいました。

かつての姿の想像図。

階段を登り、アポロン神殿へ。

神託、つまりアポロン神による神のお告げをもたらしたアポロン神殿の遺構。
近くで見るとその大きさに圧倒されます。

アポロン神殿の想像図。
アポロン神殿は紀元前700年ごろに建てられたもののその後地震で倒壊し、現在残る遺構は紀元前370年ごろに建てられたものなのだすです。
神殿には地下室があり、そこで巫女による神託が下されました。

神殿内に立ち入ることはできませんが、柱の大きさを見るだけでもかつての威容が偲ばれます。

人間の大きさと比べれば神殿の巨大さが一目瞭然です。

アポロン神殿の土台部分を横目に、先へと進みます。

アポロン神殿と通路を挟んで建つのはクラテロスの宝物庫。

柱と土台だけが残るアポロン神殿。

遺跡をだいぶ登ってきました。
アテネ人の宝庫の屋根の部分が見えています。

結構登りましたが、まだまだ先があります。

アテネ人の宝庫など、宝物庫が並んでいた一角を見下ろします。

かつての古代ギリシャの人たちもこのような景色を眺めていたのでしょうか。

階段を登ったことにより、アポロン神殿の構造が見えてきました。
大きい、とにかく大きいです。

アポロン神殿の遺構とデルフィの山々。
かつての古代ギリシャ人がここを聖なる地とした理由がわかりした。
空気が違うんですよ。伊勢神宮や出雲大社に通じる、清らかな神々しさを感じます。
デルフィに来てよかった。心から思いました。
次回もデルフィの遺跡を歩きます。
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古代ギリシャ時代に世界の中心だったデルフィにやってきました。考古学博物館の見学を終え、いよいよ遺跡へと向かいます。

考古学博物館と遺跡を結ぶ遊歩道を歩いています。
ギリシャの夏は暑く、日差しが強いです。ただ湿度は低くカラッとしています。

入場券は先ほど見学した考古学博物館との共通入場券を購入済みです。
チケットを見せて、遺跡に入場しました。

デルフィは古代ギリシャからローマ時代にかけての長い間聖地として信仰を集めていました。
デルフィのアポロン神殿では巫女ピューティアによる神託が行われ、個人の悩みから戦争の行く末など、様々な神託が下されたのです。
デルフォイの神託、とも呼ばれています。
有名なエピソードとしては、ペルシアとの戦いを前にしたアテネがデルフィで「木の壁のみがアテネを守る」との神託を受けたことから木造船を大量生産し、サラミスの海戦に勝利したというものがあります。

遺跡の入口付近の広場はローマ時代のアゴラとされています。
古代ローマの時代に広場や建物が整備された部分なのでしょう。

建物は柱部分のみ残ります。

等間隔に建つ柱。

立派な建物だったのでしょう。

石造りの壁の部分。
複雑な模様が描かれています。

坂を上り、デルフィ遺跡の内部へと進みます。

このあたりは宝物庫が並んでいました。
古代ギリシャ時代の様々な都市国家によるアポロン神殿への献上物を保管したそうです。

宝物庫のほとんどは崩れてしまっていますが、壁面のみ一部が復元されています。

この円形の建物には都市国家アルゴスがテーベを攻めた時の7将軍の像が奉納されていたそうです。
ギリシャ悲劇にも登場する有名なエピソードです。

古代ギリシャの時代にはこの道の両側に豪華な宝物庫が並んでいたのでしょう。
各都市国家がデルフィに争うように宝物を献納したのは神託のおかげで成功したというのもあるでしょうけども、時にはデルフィにわいろを贈ることで自分たちに有利な神託を出してもらおうという動きもあったそうです。
聖なる神殿が一気に俗物的な話になりましたね。
ただ、現実問題としてデルフィから下される神託が各都市国家の政策を左右していたのですから、財宝という実弾が飛び交うのもやむを得ないのでしょう。神託もまた都市国家による情報戦の一つだったのかもしれません。

今は壁しか残っていませんが、宝物庫に収蔵された奉納品は考古学博物館に展示されています。

宝物庫の土台のみが残ります。

後ろを振り返るとこんな景色。
空気が澄んでいます。

入口からここまで緩やかな上り坂です。

各都市国家が建造した宝物庫の内、この「アテネ人の宝庫」のみがフランスの考古学会の手によって復元されています。
アテネ人の宝庫の手前には世界のへそを示す「オンファロス」という石が設置されています。
白髪のおじさんが手を置いている石がそうです。

このオンファロスはレプリカですが、考古学博物館には古代ローマ時代に再制作されたオンファロスが展示されています。
なぜ、ここデルフィは世界のへそなのでしょうか。
古代ギリシャ神話によると、最高神デウスが世界の中心を定めるために地平線の両端から2羽の鷲を飛ばし、鷲が出会ったのがここデルフィだったのだそうです。

立派な神殿のようなアテネ人の宝庫。
紀元前490年に起こったマラトンの戦いでペルシアに勝利したアテネが感謝のしるしとして奉納したのだそうです。

宝物庫の破風には戦いの模様を表現したレリーフが彫られていました。

宝物庫が集まるエリアを抜け、先へと進みます。

建物の遺構が見えてきました。
下がアテネ人の柱廊、上がアポロン神殿です。

かつて神託が下された神殿だけあって、威厳あふれる柱です。

細く優美な柱が印象的なアテネ人の柱廊は紀元前478年にアテネがサラミスの海戦に勝利したことを記念し、戦利品を奉納するために建てられました。
もともとは7本の円柱により木製の屋根を支えていましたが、現在は3本の円柱のみ残ります。

無造作に石が並ぶ一角は、かつては宝物庫が並んでいました。

先へと進みましょう。

柱の跡もありました。

傾斜地に建てられた宝物庫の跡。

前方にねじり飴のような柱が見えてきました。
プラタイアイの戦勝記念碑です。

歩きやすいように階段が整備されています。

プラタイアイの戦勝記念碑を近くから眺めます。

プラタイアイの戦勝記念碑はもともと3匹のヘビが巻き付いた形になっていたそうですが、今は上部が折れてなくなってしまいました。

かつての姿の想像図。

階段を登り、アポロン神殿へ。

神託、つまりアポロン神による神のお告げをもたらしたアポロン神殿の遺構。
近くで見るとその大きさに圧倒されます。

アポロン神殿の想像図。
アポロン神殿は紀元前700年ごろに建てられたもののその後地震で倒壊し、現在残る遺構は紀元前370年ごろに建てられたものなのだすです。
神殿には地下室があり、そこで巫女による神託が下されました。

神殿内に立ち入ることはできませんが、柱の大きさを見るだけでもかつての威容が偲ばれます。

人間の大きさと比べれば神殿の巨大さが一目瞭然です。

アポロン神殿の土台部分を横目に、先へと進みます。

アポロン神殿と通路を挟んで建つのはクラテロスの宝物庫。

柱と土台だけが残るアポロン神殿。

遺跡をだいぶ登ってきました。
アテネ人の宝庫の屋根の部分が見えています。

結構登りましたが、まだまだ先があります。

アテネ人の宝庫など、宝物庫が並んでいた一角を見下ろします。

かつての古代ギリシャの人たちもこのような景色を眺めていたのでしょうか。

階段を登ったことにより、アポロン神殿の構造が見えてきました。
大きい、とにかく大きいです。

アポロン神殿の遺構とデルフィの山々。
かつての古代ギリシャ人がここを聖なる地とした理由がわかりした。
空気が違うんですよ。伊勢神宮や出雲大社に通じる、清らかな神々しさを感じます。
デルフィに来てよかった。心から思いました。
次回もデルフィの遺跡を歩きます。
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