千葉ロッテマリーンズの新監督が決まりました。
昨年は投手コーチとして佐々木朗希を育て、今年ピッチングコーディネーターを務めた吉井理人氏です。
また、ヘッドコーチは福浦に決まりました。

【ロッテ】吉井理人新監督就任決定「身が引き締まる思い」1軍ヘッドは福浦和也打撃コーチ(ニッカン)
ロッテは7日、吉井理人氏(57)の新監督就任が決まったと発表した。

井口資仁監督(47)が2日に退任を表明していた。吉井氏は昨季までロッテ投手コーチを務め、今季はピッチングコーディネーターに転身していた。侍ジャパンの投手コーチも務めている。

球団を通じ「(就任要請に)ただ、ただ驚いています。これまでコーチとしての役割ということで勉強をしながらやってきましたが、これからは全体のマネジメントを任される立場になるということで身が引き締まる思いです。基本的には選手のパフォーマンス向上と人間力の向上の2つを上げること。そして最終的には勝つこと、10月に大舞台に立てることを目指していきます」とコメントした。

河合克美代表取締役オーナー代行兼社長は「マリーンズが掲げているのは2025年に常勝軍団になるということ。吉井新監督はこの目標に向かって、共通の認識で戦っていただける方だと考えています。これまでのビジョンを引き継いで、常勝軍団を作ってくれる監督だと期待をしています」とコメントした。

また、福浦和也1軍打撃コーチ(46)が、1軍ヘッド兼打撃コーチに就任することも発表された。

◆吉井理人(よしい・まさと)1965年(昭40)4月20日、和歌山県生まれ。箕島から83年ドラフト2位で近鉄入団。88年最優秀救援投手。95年トレードでヤクルト移籍。97年オフにFAでメッツ入団。ロッキーズ、エクスポズを経て、03年オリックスで日本球界復帰。07年途中ロッテに移籍し同年引退。日米通算121勝129敗62セーブ、防御率4・14。08年から日本ハム投手コーチ。ソフトバンク、日本ハム、ロッテでも担当し、今年はロッテのピッチングコーディネーター、日本代表投手コーチ。187センチ、89キロ。右投げ右打ち。



ロッテ吉井理人新監督が3つの公約「最終的には勝つこと」 侍投手コーチはどうなる?(スポニチ)
 ロッテは7日、来季監督に、今季ピッチングコーディネーターを務めた吉井理人氏(57)が就任すると発表した。2日の今季最終・ソフトバンク戦後に、井口資仁監督(47)が5位で3年ぶりBクラスの責任を取り電撃辞任。後任を急ぎ検討し、数々の名投手を育て、チーム事情も熟知する名伯楽に白羽の矢を立てた。また、福浦和也打撃コーチ(46)がヘッド兼打撃コーチになることも決まった。
 井口監督辞任から、わずか5日。今度は吉井新監督の電撃就任が発表された。会見などは未定だが「ただ、ただ驚いています。これまでコーチとしての役割で勉強しながらやってきたが、全体のマネジメントを任される立場になる。身が引き締まる思いです」と球団を通じ、第一声のコメントを出した。

 驚きも当然だ。今季最終戦セレモニーが行われた2日。昨季限りでユニホームを脱ぎ、今季はフロントに転身して大リーグを視察するなど、チームの将来を見据えた育成システムなどを学んだ吉井氏は「井口監督が辞めるのも、そこで初めて聞いた」と言う。

 投手コーチとして、日本ハムでダルビッシュ(現パドレス)、大谷(現エンゼルス)、ソフトバンクで千賀と世界クラスの投手を育て上げた。ロッテでも佐々木朗の育成プランを確立し、3年目の今季完全試合を達成できる土台をつくった。ロッテとの契約は今季限りだったが、そんな中での監督要請だった。

 ただ、経験は十分にある。現役時代も日米通算121勝をマークし、7球団でプレー。最後にユニホームを着たのがロッテなのも縁を感じる。「選手のパフォーマンス向上と人間力の向上の2つ。そして最終的には勝つこと、10月に大舞台に立てることを目指していきます」と1シーズン制では70年以来の勝率1位でのリーグ制覇を誓った。また栗山英樹監督の下、来年3月のWBCに出場する侍ジャパンの投手コーチも兼務していた。2、3月の時期に新監督との兼務は簡単ではなく、こちらは今後協議される模様だ。

 ヘッドコーチには、福浦打撃コーチが兼任で昇格する。ロッテ一筋で2000安打を達成した生え抜きで、球団にとっては切り札となる次期監督候補に、いい形でバトンを託すのも使命となる。河合克美オーナー代行兼社長の退任に伴い、球団執行役員事業担当の高坂俊介氏(40)が球団社長の後任となることも内定。いくつも電撃が飛び交う荒波の人事を乗り越え、チームは新たな航海に出発する。(横市 勇)



ロッテ吉井理人新監督の哲学「選手に向いて仕事しないと…」 “日本で一番優秀”な投手コーチ(スポニチ)
ロッテは7日、来季監督に、今季ピッチングコーディネーターを務めた吉井理人氏(57)が就任すると発表した。2日の今季最終・ソフトバンク戦後に、井口資仁監督(47)が5位で3年ぶりBクラスの責任を取り電撃辞任。後任を急ぎ検討し、数々の名投手を育て、チーム事情も熟知する名伯楽に白羽の矢を立てた。スポーツニッポン本紙のロッテ担当記者が吉井氏の素顔を明かした。
 吉井さんとは07年オフに初めて会った。この年で現役引退し、翌年から日本ハム投手コーチに決まっていた。偶然にも、記者は年明けから札幌転勤し、日本ハムを取材予定で、「わしが変なことを言ったら“ダメですよ”と注意して!」と目付け役を言い渡された。

 温和で、関西人らしくコメントもユーモアあふれるが、自分のポリシーを曲げられない性格だ。日本ハム・梨田、栗山、ソフトバンク・工藤、ロッテでも井口といった歴代監督と起用法でよく意見がぶつかったというが、2年連続リーグ2位だった井口監督以外は、全員胴上げに導いた。

 昨オフ、栗山監督が日本ハムを退任する際、吉井さんから興味深い話を聞いた。「この前、栗山さんと話して“ヨシには何度も怒られ、ケンカもしたけど勉強になった”と言われた。ちょっと、うれしかった。中間管理職だけど、選手に向いて仕事しないと、僕はいけないと思っている」。これが哲学だ。侍ジャパンの栗山監督から投手コーチを頼まれるのも自然な流れだと思った。個人的には、日本で一番優秀な投手コーチだと、ずっと思っている。(ロッテ担当・横市 勇)



【ロッテ】吉井理人氏が新監督就任 「25年に常勝軍団」の目標達成へ、先まで見通した指導に定評(ニッカン)
ロッテは7日、昨季まで投手コーチで、今季はピッチングコーディネーターを務めた吉井理人氏(57)が新監督に就任すると発表した。井口資仁監督(47)が2日の今季最終戦後、退任を電撃表明。後任の選定を進めていた。福浦和也1軍打撃コーチ(46)の1軍ヘッド兼打撃コーチ就任も決定。また、任期満了で退任する河合克美代表取締役オーナー代行兼社長の後任社長として、球団執行役員の高坂俊介氏(40)が内定した。

   ◇   ◇   ◇

ロッテの新監督は、恐らく誰も予想していなかった人物だった。午後4時半。ZOZOマリンの記者室で配布された「就任の件」と題したリリースにあった名前は「吉井理人」。突然の発表を示すかのように、吉井氏のコメントも「(就任要請に)ただ、ただ驚いています」で始まっていた。就任会見の日程は未定だ。

本人が驚いても、リリースには「25年に常勝軍団」という目標達成へ、球団の意欲が込められている。河合オーナー代行兼社長は「この目標に向かって、共通の認識で戦っていただける方。これまでのビジョンを引き継いで、常勝軍団を作ってくれる監督だと期待をしています」。吉井氏は19年から3年間、投手コーチを務めた。今季は現場から引き、ピッチングコーディネーターという立場でチームを俯瞰(ふかん)した。シーズン中には、米国に数度にわたりメジャーに“短期留学”。侍ジャパンでは栗山監督の下、投手コーチを担う。知見を広める手を緩めない。

そのスタイルは現役時からだ。97年オフにFA権を行使し、ヤクルトから大リーグのメッツに移籍。国内5球団の誘いを断った。金銭面の条件は低かったが、それでも人生経験を選んだ。03年に日本球界に復帰。07年にロッテで現役を終えるまで、日米7球団でプレーした。コーチも3球団を数える。

先まで見通した指導に定評がある。ロッテでは佐々木朗に代表されるように、若手を着実にステップアップさせ、リリーフ陣も整備した。3年連続Bクラスだったチームは、20年から2年連続2位。吉井コーチの下支えは大きかった。この日、森脇浩司ヘッド兼内野守備コーチ(62)の退団申し出が受理され、井口監督以下、首脳陣の退任は8人目となった。福浦1軍打撃コーチの1軍ヘッド兼打撃コーチへの就任も決まり、組閣も進んでいく。5位から常勝軍団へ−。ハードルは決して低くない。革新と継続の先、手腕を発揮する場が待っている。【古川真弥】



【ロッテ】新監督就任の吉井理人氏、現役時代は日米通算121勝 筑波大大学院の修士課程で学ぶ(ニッカン)
ロッテは7日、吉井理人氏(57)の新監督就任を発表した。吉井氏は昨季までロッテ投手コーチを務め、今季はピッチングコーディネーターに転身していた。侍ジャパンの投手コーチも務めている。現役時代は日米通算121勝を挙げている。

1965年生まれで和歌山県出身。箕島では2年春と3年夏に2度、甲子園に出場した。83年のドラフト2位で近鉄に入団した。

1軍デビューは2年目の85年で、同初勝利は87年。23歳シーズンの88年から抑えの守護神に抜てきされ、34セーブポイント(24セーブ)で最優秀救援投手に輝いた。89年には日本シリーズに初出場し、巨人を相手に5試合登板した。93年から先発に転向した。

95年、西村龍次とのトレードでヤクルト移籍。野村克也監督の下で3年連続の2ケタ勝利をマーク。95年、97年と2度の日本一に貢献した。同年オフにFA権を公使し、横浜や巨人などのオファーを断り、メッツと1年50万ドル(出来高を除く)で契約した。

メッツでは元ロッテのバレンタイン監督の下で、1年目の98年は6勝8敗、2年目の翌99年は12勝8敗とローテーションに定着。99年はプレーオフに出場し、ナ・リーグ優勝決定シリーズでは2試合に先発した。

2000年はロッキーズ、01、02年はエクスポズ(現ナショナルズ)でプレー。メジャーでは5年プレーし、通算162試合(118先発)に登板して32勝47敗、防御率4・62。ロ軍時代の00年6月24日ダイヤモンドバックス戦の5回、殿堂左腕ランディ・ジョンソンから、日本選手初の盗塁(二盗)を記録した。

03年からオリックスで日本球界復帰。07年はロッテで1年プレーし、ユニホームを脱いだ。NPB通算は385試合(170先発)で89勝82敗62セーブ、防御率3・86。

引退後は日本ハム、ソフトバンク、ロッテで1軍投手コーチなどを務めた。また、14年から2年、筑波大大学院の修士課程で学んだ。


誰もが予想していなかった人選ですが、もうすぐ秋季練習が始まることを考えると外部からの登用は難しいでしょう。
言われてみれば吉井は近鉄で仰木監督から、ヤクルトで野村監督から教えを受け、コーチとしてはダルビッシュ、大谷など幾多の名投手を育てています。
起用法を巡って監督と対立することが多かったのは選手を守ろうとする気持ちの表れ。きっと選手を大事にしてくれるでしょう。
安心しました。吉井監督はマリーンズの将来を託すに足る監督です。
打撃コーチの福浦はさらに次の監督候補なのでしょうか。残念ながら今年打撃コーチとして結果を出したとは言えませんので、補佐する人材をしっかり選んでほしいです。

それにしても、2007年シーズン途中にオリックスから移籍してきた吉井が、まさかマリーンズの監督になるとは思いませんでした。
4試合に登板して1勝もできず、防御率13.14。バレンタイン監督のコネで使えないピッチャーを獲得したと散々な言われようでしたが、コーチとしての吉井は優秀でした。縁とは不思議なものです。

井口監督が突如役目を放り出して退任した時はどうなるかと思いましたが、ちょっと安心しましたね。
ニッカンの金子記者が井口監督の留任が消えた理由を記事にしていましたが、なるほどと頷ける内容です。

【ロッテ】なぜ“井口留任”の選択肢が消えたのか 課題が露呈したベンチワーク刷新の印象/解説(ニッカン)
ロッテはなぜ監督を交代したのか。退任する河合オーナー代行兼球団社長は吉井新監督に対し「これまでのビジョンを引き継いで常勝軍団を作ってくれる」と期待する。イズム継承ならば、なぜ“井口留任”の選択肢が消えたのか。

これまでの首脳陣は井口前監督いわく「僕の野球観と合うコーチに来てもらっている」メンバーだった。一方で、井口体制は5年になり、役割の線引きが不明瞭になった。コーチ数が増え、戦略コーチがベンチ入りできない試合もあった。ベンチ内には、戦略構築→決定→指示の道筋にスムーズさを欠いたと指摘する声もある。今回退団の鳥越氏はヘッドコーチを3年務めた後、昨季から若手育成で2軍監督に配置転換。鳥越氏がいなくなった1軍ベンチから適度な緊張感が消えたとの証言も少なくない。

2025年、常勝軍団に−。今回の首脳陣変更は、残り3年となったこの目標達成期限へ向け、課題が露呈したベンチワークを刷新した印象が強い。吉井新監督は球団では今世紀初の投手出身監督。チームの柱と見込む佐々木朗の「5カ年育成計画」策定に携わった人物で、優勝に欠かせない長いシーズンでの投手陣の登板管理にも理論がある。

球団の最終目標は、いかに永続的に強くするか。19年の現役引退時から未来の監督候補と目される福浦打撃コーチが、来季はヘッドコーチを兼務する。いよいよ次は、の段階に来た。違和感が生まれたベンチをいかに再構築するか。新監督はもちろん、同僚から「背中で引っ張るタイプ」と称される新ヘッドの手腕も注目される。【ロッテ担当 金子真仁】


的場戦略コーチがベンチ入りできない試合があったのはよろしくないですね。コーチの役割分担や指揮系統がおかしくなってしまっては勝てません。
やはり報道されないだけで、長期政権の弊害や、独裁政権の末期症状は出ていたのです。
来年はコーチ陣と球団が一致団結し、強くて愛されるチームを目指しましょう。

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